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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 01日 ( 2 )


2014年 10月 01日

法華経本門・寿量品の智慧をはなれては諸経の得道は有名無実なり、と断じた書【小乗大乗分別抄】

【小乗大乗分別抄(しょうじょうだいじょうふんべつしょう)】
■出筆時期::文永十年(西暦1273年)五十二歳 御作。下総の強信徒・富木常忍に与えられた書。
■出筆場所:佐渡ヶ島 一の谷。
■出筆の経緯:釈尊の一代聖教を小乗と大乗に区分し、その優劣について詳細に説き「寿量品の智慧をはなれては諸経は跨節・当分の得道共に有名無実なり」と断じ、法華経・寿量品こそ大乗のなかの大乗の教であることを解き明かしている。
■ご真筆: 小湊 誕生寺、他20ヶ処に分散して所蔵されている。

[小乗大乗分別抄  本文]

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[小乗大乗分別抄 ご真筆:小湊 誕生寺、他分散所蔵]

 夫れ小大定めなし、一寸の物を一尺の物に対しては小と云い、五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う。外道の法に対しては一切の大小の仏教を皆大乗と云う。「大法東漸通指仏教以為大法等」と釈する是なり。
 
 仏教に入つても鹿苑十二年の説、四阿含経等の一切の小乗経をば、諸大乗経に対して小乗経と名けたり。又諸大乗経には、大乗の中にとりて劣る教を小乗と云う。華厳の大乗経に其余楽小法と申す文あり。天台大師はこの小法というは常の小乗経にはあらず、十地の大法に対して十住・十行・十回向の大法を下して小法と名くと釈し給へり。又法華経第一の巻・方便品に「若以小乗化・乃至於一人」と申す文あり。
 天台妙楽は阿含経を小乗と云うのみにあらず、華厳経の別教・方等般若の通別の大乗をも小乗と定め給う。又玄義の第一に「会小帰大・是漸頓泯合」と申す釈をば、智証大師は初め華厳経より終り般若経にいたるまで、四教八教の権教諸大乗経を、漸頓と釈す。泯合とは八教を会して一大円教に合すとこそ・ことはられて候へ。
 又法華経の寿量品に「楽於小法・徳薄垢重者」と申す文あり。天台大師は此経文に小法と云うは小乗経にもあらず、又諸大乗経にもあらず、久遠実成を説かざる華厳経の円乃至方等般若法華経の迹門十四品の円頓の大法まで、小乗の 法なり。又華厳経等の諸大乗経の教主の法身・報身・毘盧遮那盧舎那・大日如来等をも、小仏なりと釈し給ふ。
 
 此の心ならば涅槃経・大日経等の一切の大小権実顕密の諸経は皆小乗経。八宗の中には倶舎宗・成実宗・律宗を小乗と云うのみならず、華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸大乗宗を小乗宗として、唯天台の一宗計り実大乗宗なるべし。彼彼の大乗宗の所依の経経には絶えて二乗作仏・久遠実成の最大の法をとかせ給はず。譬えば一尺二尺の石を持つ者をば大力といはず。一丈二丈の石を持つを大力と云うが如し。華厳経の法界円融四十一位、般若経の混同無二、十八空乾慧地等の十地、瓔珞経の五十二位、仁王経の五十一位、薬師経の十二の大願、雙観経の四十八願、大日経の真言印契等此等は、小乗経に対すれば大法秘法なり。法華経の二乗作仏久遠実成に対すれば小乗の法なり。一尺二尺を一丈二丈に対するが如し。又二乗作仏・久遠実成は法華経の肝用にして、諸経に対すれば奇たりと云へども、法華経の中にてはいまだ奇妙ならず。

 一念三千と申す法門こそ奇が中の奇、妙が中の妙にて、華厳大日経等に分絶たるのみならず、八宗の祖師の中にも真言等の七宗の人師名をだにもしらず、天竺の大論師竜樹菩薩・天親菩薩は内には珠を含み、外には書きあらはし給はざりし法門なり。
雨衆が三徳・米斉が六句の先仏の教を盗みとれる様に、華厳宗の澄観・真言宗の善無畏等は、天台大師の一念三千の法門を盗み取つて我が所依の経の、心仏及衆生の文の心とし、心実相と申す文の神とせるなり。かくのごとく盗み取つて我が宗の規模となせるが、又還つて天台宗を下し、華厳宗・真言宗には劣れる法なりと申す。此等の人師は世間の盗人にはあらねども仏法の盗人なるべし。此等をよくよく尋ね明むべし。
又、世間の天台宗の学者並びに諸宗の人人の云く、法華経は但二乗作仏・久遠実成計りなり等云云。今反詰して云く、汝等が承伏に付いて、但二乗作仏と久遠実成計り法華経にかぎつて諸経になくば、此れなりとも豈奇が中の奇にあらずや。二乗作仏諸経になくば、仏の御弟子・頭陀第一の迦葉、智慧第一の舎利弗、神通第一の目連等の十大弟子、千二百の羅漢、万二千の声聞・無数億の二乗界、過去遠遠劫より未来無数劫にいたるまで法華経に値いたてまつらずば、永く色心倶に滅して永不成仏の者となるべし。豈大なる失にあらずや。又二乗界、仏にならずば、迦葉等を供養せし梵天・帝釈・四衆・八部・比丘・比丘尼等の二界・八番の衆はいかんがあるべき。又、久遠実成が此の経に限らずんば三世の諸仏、無常遷滅の法に堕しなん。譬えば天に諸星ありとも、日月ましまさずんばいかんがせん。地に草木ありとも大地なくばいかんがせん。是は汝が承伏に付いての義なり、実をもつて勘へ申さば、二乗作仏なきならば九界の衆生、仏になるべからず。法華経の心は法爾のことはりとして、一切衆生に十界を具足せりえば、人、一人は必ず四大を以てつくれり。一大かけなば人にあらじ。一切衆生のみならず十界の依正の二法・非情の草木・一微塵にいたるまで、皆十界を具足せり。二乗界、仏にならずば、余界の中の二乗界も仏になるべからず。又、余界の中の二乗界、仏にならずば余界の八界、仏になるべからず。譬えば父母ともに持ちたる者、兄弟九人あらんか二人は凡下の者と定められば、余の七人も必ず凡下の者となるべし。仏と経とは父母の如し。九界の衆生は実子なり。声聞・縁覚の二人、永不成仏の者となるならば、菩薩・六凡の七人、あに得道をゆるさるべきや。「今此の三界は皆是我が有なり、其の中の衆生は悉く是吾子なり。乃至、唯我一人のみ能く救護を為す」の文をもつて知るべし。
 
 又、菩薩と申すは必ず四弘誓願をおこす。第一衆生無辺誓願度の願、成就せずば第四の無上菩提誓願証の願も成就すべからず。前四味の諸経にては菩薩・凡夫は仏になるべし、二乗は永く仏になるべからず等云云。而るをかしこげなる菩薩も、はかなげなる六凡も共に思へり、我等仏になるべし、二乗は仏にならざれば、かしこくして彼の道には入ざりけると思ふ。二乗はなげきをいたき、此の道には入るまじかりし者をと恐れかなしみしが、今法華経にして二乗を仏になし給へる時、二乗、仏になるのみならず、かの九界の成仏をもときあらはし給へり。諸の菩薩、此の法門を聞いて思はく、我等が思ひは、はかなかりけり爾前の経経にして二乗仏にならずば、我等もなるまじかりける者なり。二乗を永不成仏と説き給ふは、二乗一人計りなげくべきにあらざりけり。我等も同じなげきにてありけりと心うるなり。

又寿量品の久遠実成が爾前の経経になき事を以て思ふに、爾前には久遠実成なきのみならず仏は天下第一の大妄語の人なるべし。爾前の大乗第一たる華厳経・大日経等に始めて正覚を成じ、我昔道場に坐す等云云。真実甚深・正直捨方便の無量義経と法華経の迹門には我先に道場にして・我始め道場に坐すと説れたり。此等の経文は寿量品の「然るに我実に成仏してより已来無量無辺なり」の文より思い見れば、あに大妄語にあらずや。仏の一身すでに大妄語の身なり。一身に備えたる六根の諸法、あに実なるべきや。大冰の上に造れる諸舎は春をむかへては破れざるべしや。水中の満月は実に体ありや。爾前の成仏往生等は水中の星月の如し、爾前の成仏往生等は体に随ふ影の如し。本門寿量品をもつて見れば寿量品の智慧をはなれては諸経は跨節・当分の得道共に有名無実なり。天台大師、此の法門を道場にして独り覚知し玄義十巻・文句十巻・止観十巻等かきつけ給うに、諸経に二乗作仏・久遠実成絶えてなき由を書きをき給ふ。是は南北の十師が教相に迷つて三時・四時・五時・四宗・五宗・六宗・一音・半満・三教四教等を立てて教の浅深勝劣に迷いし此等の非義を破らんが為に、まず眼前たる二乗作仏・久遠実成をもつて諸経の勝劣を定め給いしなり。然りと云つて余界の得道をゆるすにはあらず。其の後、華厳宗の五教・法相宗の三時・真言宗の顕密・五蔵・十住心・義釈の四句等は、南三北七の十師の義よりも尚誤れる教相なり。

 此等は他師の事なれば・さてをきぬ。又自宗の学者が天台・妙楽・伝教大師の御釈に迷うて、爾前の経経には二乗作仏・久遠実成計りこそ無けれども余界の得道は有りなんど申す人人、一人二人ならず日本国に弘まれり。他宗の人人・是に便を得て弥天台宗を失ふ。此等の学者は譬えば野馬の蜘蛛の網にかかり渇る鹿の陽炎をおふよりもはかなし。例せば頼朝の右大将家は泰衡を討たんが為に泰衡を誑して義経を討たせ、太政入道清盛は源氏を喪して世をとらんが為に我が伯父平馬介忠正を切る。義朝はたぼらかされて慈父為義を切るが如し。此等は墓なき人人のためしなり。天台大師、法華経より外の経経には二乗作仏・久遠実成は絶えてなしなんど釈し給へば、菩薩の作仏・凡夫の往生はあるなんめりとうち思いて、我等は二乗にも・あらざれば爾前の経経にても得道なるべし。 此の念い心中にさしはさめり。

 其の中にも観経の九品往生はねがひやすき事なれば法華経をばなげすて念仏申して浄土に生れて観音・勢至・阿弥陀仏に値いたてまつて成仏を遂ぐべし云云。当世の天台宗の人人を始として諸宗の学者皆此くの如し実義をもつて申さば、一切衆生の成仏のみならず六道を出で十方の浄土に往生する事はかならず法華経の力なり。例せば日本国の人・唐土の内裏に入らん事は必ず日本の国王の勅定によるべきが如し。穢土を離れて浄土に入る事は必ず法華経の力なるべし。例せば民の女・乃至関白大臣の女に至るまで大王の種を下せば其の産る子・王となりぬ。大王の女なれども臣下の種を懐姙せば其の子王とならざるが如し。十方の浄土に生るる者は三乗・人天・畜生等までも皆王の種姓と成つて生るべし皆仏となるべきが故なり。
 阿含経は民の女の民を夫とし、華厳・方等・般若等は臣の女の臣を夫とせるが如し。又華厳経・方等・般若・大日経等の円教の菩薩等は、大王の女の臣下を夫とせるが如し。皆浄土に生るべき法にはあらず。又華厳・阿含・方等・般若等の経経の間に六道を出づる人あり、是は彼彼の経経の力には非ず過去に法華経の種を殖えたりし人、現在に法華経を待たずして機すすむ故に爾前の経経を縁として過去の法華経の種を発得して成仏往生をとぐるなり。
 例せば縁覚の無仏世にして飛花落葉を観じて独覚の菩提を証し孝養父母の者の梵天に生るるが如し。飛花落葉・孝養父母等は独覚と梵天との修因にはあらねどもかれを縁として過去の修因を引きおこし、彼の天に生じ独覚の菩提を証す。而るに尚過去に小乗の三賢・四善根にも入らず有漏の禅定をも修せざる者は、月を観じ花を詠じ孝養父母の善を修すれども独覚ともならず色天にも生ぜず。過去に法華経の種を殖ざる人は華厳経の席に侍りしかども初地・初住にものぼらず、鹿苑説教の砌にても見思をも断ぜず観経等にても九品の往生をもとげず、但大小の賢位のみに入つて聖位には・のぼらずして法華経に来つて始めて仏種を心田に下して一生に初地・初住等に登る者もあり。又涅槃の座へさがり乃至・滅後・未来までゆく人もあり。
 
 過去に法華経の種を殖たる人人は結縁の厚薄に随つて華厳経を縁として初地初住に登る人もあり。阿含経を縁として見思を断じて二乗と成る者もあり。観経等の九品の行業を縁として往生する者もあり。方等・般若も此れをもつて知んぬべし、此等は彼彼の経経の力にはあらず偏に法華経の力なり。譬えば民の女に王の種を下せるを人しらずして民の子と思ひ、大臣等の女に王の種を下せるを人しらずして臣下の子と思へども、大王より是を尋ぬれば皆王種となるべし。爾前にして界外へ至る人を法華経より之を尋ぬれば皆法華経の得道なるべし。又過去に法華経の種を殖えたる人の根鈍にして爾前の経経に発得せざる人人は法華経にいたりて得道なる。是は爾前の経経をばめのととして、きさき腹の太子・王子と云うが如くなるべし。又仏の滅後にも正法一千年が間は在世の如くこそなけれども、過去に法華経の種を殖えて法華・涅槃経にて覚りをとぐる者もありぬ。現在・在世にて種を下せる人人も是多し。

 又滅後なれども現に法華経ましませば外道の法より小乗経にうつり、小乗経より権大乗にうつり、権大乗より法華経にうつる人人、数をしらず。竜樹菩薩・無著菩薩・世親論師等是なり。像法一千年には正法のほどこそ無けれども、又過去・現在に法華経の種を殖えたる人人も少少之有り。而るを漸漸に仏法澆薄になる程に、宗宗も偏執石の如くかたく、我慢、山の如く高し。像法の末に成りぬれば仏法によつて諍論興盛して、仏法の合戦ひまなし。世間の罪よりも仏法の失に依つて無間地獄に堕つる者数をしらず。

 今は又末法に入つて二百余歳。過去現在に法華経の種を殖えたりし人人も、やうやくつきはてぬ。又種をうへたる人人は少少あるらめども、世間の大悪人・出生の謗法の者数をしらず国に充満せり。譬えば大火の中の小水、大水の中の小火、大海の中の水、大地の中の金なんどの如く悪業とのみなりぬ。又過去の善業もなきが如く現在の善業もしるしなし。或は弥陀の名号をもつて人を狂はし法華経をすてしむれば、背上向下のとがあり。或は禅宗を立てて教外と称し、仏教をば真の法にあらずと蔑如して増上慢を起し、或は法相・三論・華厳宗を立てて法華経を下し、或は真言宗大日宗と称して法華経は釈迦如来の顕教にして真言宗に及ばず等云云。而るに自然に法門に迷う者もあり。或は師師に依つて迷う者もあり。或は元祖・論師・人師の迷法を年久しく真実の法ぞと伝へ来る者もあり。或は悪鬼・天魔の身に入りかはりて悪法を弘めて正法ぞと思ふ者もあり。或ははづかの小乗一途の小法をしりて大法を行ずる人はしからずと我慢して、我が小法を行ぜんが為に大法秘法の山寺をおさへとる者もあり。
 或は慈悲魔と申す魔・身に入つて三衣一鉢を身に帯し、小乗の一法を行ずるやからはづかの小法を持ちて、国中の棟梁たる比叡山・竜象の如くなる智者どもを、一分我が教にたがへるを見て邪見の者・悪人なんどうち思へり。此の悪見をもつて国主をたぼらかし、誑惑して正法の御帰依をうすうなし、かへつて破国破仏の因縁となせるなり。彼の妲己・褒じと申せし后は、心もおだやかに、みめかたちも人にすぐれたりき。愚王これを愛して国をほろぼす因縁となす。当世の禅師・律師・念仏者なんど申す聖一・道隆・良観・道阿弥・念阿弥なんど申す法師どもは、鳩鴿が糞土を食するが如く、西施が呉王をたぼらかししに似たり。或は我が小乗の臭糞・驢乳の戒を持て・・・<これ以降は欠損している>・・・・。

[小乗大乗分別抄] 完。





by johsei1129 | 2014-10-01 21:27 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 01日

78 熱原の法難


八月となった。旧暦では秋である。収穫の季節が始まった。

熱原では弥四郎が弥五郎と弥六郎を引きつれて信者の農家を訪ねていた。三人は一戸一戸、法華経の信心をつづけるよう説得した。 だが刃傷沙汰いらい、どこも反応はにぶかった。

法華経の勢いは優勢だが、院主代の行智はいまだに寺を支配している。法華宗の日秀や日弁は寺の片隅にかくれるようにして住むしかない。応援する伯耆房もこの状況をかえることができない。

弥四郎が百姓家で説得した。

「先日の刃傷で問注所に訴えることになった。たのむ、協力してくれ」

百姓は弥四郎たちに冷たかった。

「おら、あらそいごとはきらいでな。もう寄合にはでない。法華経の信心も考えてみるつもりだ」

「なにをいう。この信心はありがたいといったではないか」

「滝泉寺は刀や弓矢がある。百姓にはない。わしも斬られたくはないのでな」

百姓が弥四郎を押しかえして戸をしめた。

村はだまってしまった。ついには弥四郎たちが声をかけても戸をあけなくなった。

「おい、いるだろ。あした寄合をひらく。必ずきてくれ。日秀様や日弁様もこられるぞ」

中からは反応がない。三人はあきらめて去った。

あぜ道で手をとり説得してもきいてくれない。百姓たちは手をふりきって去ってしまう。

見渡すかぎりの田んぼの稲穂がこうべを垂れ、収穫は間近となっていた。

お昼どき、弥四郎、弥五郎、弥六郎の三人が大木にもたれた。
「だめだ。村の衆はみな臆病になっている」

弥五郎がねをあげた。弥六郎も村人の説得がうまくゆかず、ほとほと参っていた。

「百姓は確かに武士には弱いな。この熱原が法華経で結束したと思ったが、けが人がでただけでこの始末だ。いっそわれらも刀をもつか」

指導者格の弥四郎が思いつめたようにいう。彼は焦っていた。

「それも一つの方法だな。刀には刀でむかうしかないかもしれん」

弥五郎がとめた。

「いかんぞ、それは。庄屋や地頭がだまっていないぞ。神四郎もいっていた」

弥四郎がにらむ。

「神四郎の話はするな。あいつ、自分がかわいいばかりに臆病になった。信心より妻子が大事なのだ」

この時である。

人の足音がした。

弥四郎がなにごとかと立ちあがった。

滝泉寺の武士だった。その武士が弥四郎にむかっていきなり刀をぬいた。弥四郎があわてて背を向け逃げようとしたが、その背中をしたたかに斬られて倒れてしまった。

武士はさらにうつ伏せに倒れた弥四郎にまたがり、首を一気に打ち落とした。そして無残にも刀で弥四郎の首を高くかかげた。

あっという間の出来事だった。

弥五郎と弥六郎はあまりのことにぼう然としていた。

武士が狂ったように叫ぶ。

「百姓どもに伝えろ。法華経を捨てなければこのような目にあうとな。日秀、日弁の坊主も例外ではないぞ」

武士が勇躍かえっていく。この武士が誰だったか名前は伝わっていない。

のこった弥五郎と弥六郎が首のない弥四郎の遺体に泣きすがった。
 

その夜、弥四郎の家に熱原の信徒がぞくぞくとあつまった。

弥四郎の遺体は取り急ぎ用意されたひつぎにおさめられ、真新しい布がかけられた。みな手をあわせた。

信じられないことが起きた。昨日まで率先して信徒を指導していた弥四郎が理由もなく斬殺されたのだ。

かけつけた日秀と日弁も祈った。伯耆房は甲斐にいて不在だった。神四郎の一家は最後尾にすわった。

弥五郎が目を真っ赤にしていった。

「これできまった。滝泉寺の行智はわれらを根絶やしにするつもりだ。みんな弥四郎につづこう。問注所に訴えるのだ。証拠はある。評定はかならず勝つぞ」

信徒からも一斉に賛同の声があがる。乱暴狼藉ならいざ知らず、信徒に犠牲者がでた。公に訴えでなければ自分たちの命も危うい。

弥四郎のひつぎの前で異常な熱気がうずまいた。

この時、外がさわがしくなった。

武将にひきいられた兵士がなだれこんできたのである。幕府政所の武士だった。

つづいて院主代の行智があらわれた。彼は百姓を指さした。寺と幕府政所が結託しているのは明らかだった。

武士が薙刀や刀で威嚇する。

弥四郎の位牌が土間にすてられた。

百姓たちがあわてふためく。

兵士は日秀らの僧侶を手荒く外へ追いだした。彼らの目的は日蓮の弟子ではなく百姓たちだった。

女たちが悲鳴をあげる。

兵士は少人数だったが、手ぶらの百姓がかなう相手ではない。神四郎が両手で妻子をかばった。

武将が周りを見渡しながら声高に言い放った。

「滝泉寺から訴えがあった。法華経を信じる者どもがいる。首謀者はだれか、立て」

すべての百姓がおそろしさのあまり、うずくまって頭を床につけた。お上が法華経の信心にお怒りだ。

武将がゆっくりと百姓ひとりひとりの顔を見ながらいった。

「法華経の信心は捨てろ。捨てない者は引ったてる。ここは幕府直轄の地である。この土地に法華の信徒がいるのは許さぬ。異論ある者は立て」

だれも立ちあがれない。

武将が不敵に笑った。

「だれも立つ者はおらぬか。そうだ、それでよいのだ。幕府にさからう馬鹿者はおらんのだ。われらはなにも乱暴はせぬ。法華経を捨てて元の念仏にもどるだけだ。そうだ、それでよいのだ。おまえたちは阿弥陀をおがみ、田を耕しておればよいのだ」

百姓の中に立ちあがろうとする者がいるが、立てずにいた。立とうとしても妻子がとめた。弥五郎、弥六郎も立てずにくやしがった。

兵士が笑って去ろうとする時、ついに神四郎が立ちあがった。

「あんた」

「おとう」
 神四郎の妻子が叫ぶ。

彼はふるえながら言った。

「熱原住人の神四郎なり。いかにおどされても法華経の信心はだんじて捨てませぬ」

一瞬の静寂のあと、兵士が刀をもって息まく。

ここで弥五郎も立った。

「おなじく弥五郎と申す。日蓮聖人とは離れませんぞ」

兵士の怒号の中、弥六郎も立った。

「弥六郎でござる。南無妙法蓮華経は捨てませぬぞ」

つづいて老若男女が勢いよく立った。

「わしも法華経は捨てません」

 この時とばかり、みなが口々に叫んだ。
 さすがの武将も、この百姓の気迫に一瞬たじろぐ。武将の脇を固
めていた兵士どもも百姓全員が立ちあがったのをみて、身の危険を感じてしまった。

異様な光景だった。武器をもたない百姓が捨て身でせまる。

「こやつらを引ったてろ」

武将が命令したが、兵士は恐怖をおぼえて逃げだしてしまった。それにつれ武将もまた背をむけて立ち去った。

弥四郎の家に静寂がもどった。
 子供らは安心したのだろう、一斉に泣きじゃくった。

男たちは互いに無言で肩をだいた。

彼らは散らかった祭壇を直し、弥四郎のひつぎを前に、ふたたび題目を唱えた。

いつのまにか神四郎が輪の中心にいた。

熱原の信徒の集団は法華講とよばれるようになった。熱原の法華経の信徒は弥四郎宅で見せた勇気が機縁となり、いちだんと結束を強めることになった。

そして待ちに待った収穫がはじまった。

信徒はみな目を輝かせて稲を刈っていく。どの顔も満足だった。その日、彼らは日秀の持分の田を刈り取った。豊作のよろこびに加えて、自分たちの住職のために稲を刈る。このうえない喜びの一瞬だった。

しかしそこに異様な静寂がただよった。

見慣れない武士の一団が百姓を取りかこんだのである。

百人はいようか。地元の兵ではない。弥四郎の家の事件とは比べようもない規模だった。

神四郎たちは、なすすべもなく捕縛された。

縛られた百姓はちょうど二十人。彼らは一人一人、用意された籠にほうりこまれ、運ばれていった。

明らかに巨大な力が動いていた。得体の知れない何者かによって、事前に周到に用意された出来事だった。

時に弘安二年九月二十一日、熱原の法難のはじまりだった。

百姓の捕縛とあわせたように、院主代行智が鎌倉の政所におもむき、訴状を提出した。

彼は奉行人の前で訴状を読みあげた。

「駿河の国、富士下方滝泉寺院主代、平左近入道行智、つつしんで訴え申す。

一、当滝泉寺の日秀・日弁、日蓮房の弟子と号し、法華経よりほかの余経あるいは真言の行人はみなもって今世後世、叶うべからざるの由、之を申す。

二、日本国は阿弥陀経をもって勤めとなすべきであるのに、彼ら法華経をもって勤めとするは一大事である。

三、さらに今月二十一日、多勢の人数をもよおし弓矢を帯び、わが院主分の坊内に打ち入り、下野房日秀は馬で乗りつけ、熱原の百姓は立札をもち、田畑を刈り取って日秀の住房に入れ申した。これ盗賊の振舞なり。

以上三ヶ条、仏神を恐れぬ大罪なり。よろしく御吟味あってお裁きを」

奉行人が訴状を受けとったが気がすすまない。

「この訴状、いつわりはないであろうな。日蓮の一派を訴えた者はあまたおる。だが真実であったためしがないのだ」

行智がにやりとした。

「ここに証人がおりまする」

驚くことに、三位房日行があらわれて言上した。

「先日まで日蓮の弟子でありました三位房と申す。日蓮の悪行に耐えかねて、このたび証人となり、かの悪僧の企てを(くじ)きたいとぞんじまする。これにより、かの熱原の百姓どもの罪科があらわれることは、火を見るよりも明らかでございまする」

奉行人は驚いた。三位房といえば日蓮の高弟ではないか。

さらにこの時、まっていたとばかり平頼綱が登場した。

係の者が驚いたように叫んだ。

(へい)左衛門尉(さえもんのじょう)様、おなり」

奉行人がぼう然として平伏した。奉行人は事の意味がまるでわからない。北条家の家政長官(内管領)つまり鎌倉幕府の筆頭高官がなぜここに現われたのか。

その頼綱が威厳をはなった。

「このたびの訴え。まことに重大であり見逃がしがたい。熱原は幕府直轄の地である。よってこのたびの評定は、直参であるこの頼綱があつかう。百姓どもは頼綱があずかることにいたす。異議ありや」

奉行人は頼綱の威圧する目に思わず頭をさげた。

院主代行智もまた、にやりと笑みを浮かべ平伏した。

熱原の百姓二十人が竹の籠に押し込まれ運ばれていく。
「なんの罪もない百姓をなぜ捕える」
 日秀と日弁が必死で兵士に訴えたが、なすすべもなく払いのけられた。

兵士は無表情だった。

二十人は兵士にともなわれ、遠い道を行く。
「出してくれ、どこへ連れていくのだ」
 籠の中から悲鳴をあげる百姓がいた。

空には、熱原の農民の行く末を暗示するかのように不気味な雲がただよった。

 百姓の叫びも虚しく、二十の籠は駿河をこえて相州鎌倉へはいった。


   79 伯耆房日興、評定対決 につづく


下巻目次



by johsei1129 | 2014-10-01 13:18 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)