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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 06月 22日 ( 2 )


2014年 06月 22日

法華経二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品であると説いた書【月水御書i二

[月水御書 本文]その二

 されば此の御消息を拝し候へば優曇華を見たる眼よりもめづらしく・一眼の亀の浮木の穴に値へるよりも乏き事かなと・心ばかりは有がたき御事に思いまいらせ候間、一言・一点も随喜の言を加えて善根の余慶にもやと・はげみ候へども只恐らくは雲の月をかくし塵の鏡をくもらすが如く短く拙き言にて殊勝にめでたき御功徳を申し隠しくもらす事にや候らんといたみ思ひ候ばかりなり、然りと云えども貴命もだすべきにあらず一滴を江海に加へしゃつ火を日月にそへて水をまし光を添ふると思し食すべし、先法華経と申すは八巻・一巻・一品・一偈・一句・乃至・題目を唱ふるも功徳は同じ事と思し食すべし、譬えば大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり、如意宝珠は一珠なれども万宝をふらす、百千万億の滴珠も又これ同じ法華経は一字も一の滴珠の如し、乃至万億の字も又万億の滴珠の如し、諸経・諸仏の一字一名号は江河の一滴の水山海の一石の如し、一滴に無量の水を備えず一石に無数の石の徳をそなへもたず、若し然らば此の法華経は何れの品にても御坐しませ只御信用の御坐さん品こそ・めづらしくは候へ。

 総じて如来の聖教は何れも妄語の御坐すとは承り候はねども・再び仏教を勘えたるに如来の金言の中にも大小・権実・顕密なんど申す事・経文より事起りて候、随つて論師・人師の釈義にあらあら見えたり、詮を取つて申さば釈尊の五十余年の諸教の中に先四十余年の説教は猶うたがはしく候ぞかし、仏自ら無量義経に「四十余年未だ真実を顕さず」と申す経文まのあたり説かせ給へる故なり、法華経に於ては仏自ら一句の文字を「正直に方便を捨てて但だ無上道を説く」と定めさせ給いぬ、其の上・多宝仏・大地より涌出でさせ給いて「妙法華経皆是真実」と証明を加へ十方の諸仏・皆法華経の座にあつまりて舌を出して法華経の文字は一字なりとも妄語なるまじきよし助成をそへ給へり、譬えば大王と后と長者等の一味同心に約束をなせるが如し、若し法華経の一字をも唱えん男女等・十悪・五逆・四重等の無量の重業に引かれて悪道におつるならば日月は東より出でさせ給はぬ事はありとも・大地は反覆する事はありとも・大海の潮はみちひぬ事はありとも、破たる石は合うとも江河の水は大海に入らずとも・法華経を信じたる女人の世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず、若し法華経を信じたる女人・物をねたむ故・腹のあしきゆへ・貪欲の深きゆへなんどに引れて悪道に堕つるならば・釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏・無量曠劫よりこのかた持ち来り給へる不妄語戒忽に破れて調達が虚誑罪にも勝れ瞿伽利が大妄語にも超えたらん争か・しかるべきや。

 法華経を持つ人・憑しく有りがたし、但し一生が間・一悪をも犯さず・五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち・一切経をそらに浮べ・一切の諸仏・菩薩を供養し無量の善根をつませ給うとも、法華経計りを御信用なく又御信用はありとも諸経・諸仏にも並べて思し食し・又並べて思し食さずとも他の善根をば隙なく行じて時時・法華経を行じ・法華経を用ひざる謗法の念仏者なんどにも語らひをなし、法華経を末代の機に叶はずと申す者を科とも思し食さずば・一期の間・行じさせ給う処の無量の善根も忽にうせ・並に法華経の御功徳も且く隠れさせ給いて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん事・雨の空にとどまらざるが如く・峰の石の谷へころぶが如しと思し食すべし、十悪・五逆を造れる者なれども法華経に背く事なければ往生成仏は疑なき事に侍り、一切経をたもち諸仏・菩薩を信じたる持戒の人なれども法華経を用る事無ければ悪道に堕つる事疑なしと見えたり。

 
[月水御書 本文]その三に続く


by johsei1129 | 2014-06-22 19:52 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2014年 06月 22日

法華経二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品であると説いた書【月水御書】一

【月水御書(がっすいごしょ】
■出筆時期:文永元年四月十七日(西暦1264年) 四十三歳御作
 鎌倉に住んでいた比企大学三郎熊本の夫人に与えられた書。
■出筆場所:鎌倉
■出筆の経緯:大学三郎の夫人が「法華経一部読誦と一品読誦とは、どちらが正しいのか」また「月水(月経)時における修行は、どうするのが良いか」との質問に答えられるため、本書を認められました。
尚、大学三郎は京都で儒学を習学、順徳天皇に仕えた後鎌倉へ下り、儒官として幕府に仕えた。大聖人が『立正安国論』を北条時頼に提出される際、大学三郎に見せられており、この事を縁として大学三郎は大聖人に帰依する。晩年、大学三郎は自分の邸宅なげうって本行院を建立し自身も出家、自ら本行院日学と称した。婦人ともども大聖人への帰依の志しは生涯変わらず深かったと思われます。
■ご真筆: 現存していない。

[月水御書 本文]その一

与大学三郎妻 伝え承はる御消息の状に云く法華経を日ごとに一品づつ二十八日が間に一部をよみまいらせ候しが当時は薬王品の一品を毎日の所作にし候、ただ・もとの様に一品づつを・よみまいらせ候べきやらんと云云、法華経は一日の所作に一部八巻・二十八品・或は一巻・或は一品・一偈・一句・一字・或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍となへ・或は又一期の間に只一度となへ・或は又一期の間にただ一遍唱うるを聞いて随喜し・或は又随喜する声を聞いて随喜し・是体に五十展転して末になりなば志もうすくなり随喜の心の弱き事・二三歳の幼穉の者のはかなきが如く・牛馬なんどの前後を弁へざるが如くなりとも、他経を学する人の利根にして智慧かしこく・舎利弗・目連・文殊弥勒の如くなる人の諸経を胸の内にうかべて御坐まさん人人の御功徳よりも勝れたる事・百千万億倍なるべきよし・経文並に天台・妙楽の六十巻の中に見え侍り、されば経文には「仏の智慧を以て多少を籌量すとも其の辺を得ず」と説かれて仏の御智慧すら此の人の功徳をば・しろしめさず、仏の智慧のありがたさは此の三千大千世界に七日・若しは二七日なんど・ふる雨の数をだにも・しろしめして御坐候なるが只法華経の一字を唱えたる人の功徳をのみ知しめさずと見えたり、何に況や我等逆罪の凡夫の此の功徳をしり候いなんや、然りと云えども如来滅後二千二百余年に及んで五濁さかりになりて年久し事にふれて善なる事ありがたし、設ひ善を作人も一の善に十の悪を造り重ねて結句は小善につけて大悪を造り心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり、然るに如来の世に出でさせ給いて候し国よりしては二十万里の山海をへだてて東によれる日域辺土の小嶋にうまれ・五障の雲厚うして三従の・きづなに・つながれ給へる女人なんどの御身として法華経を御信用候は・ありがたしなんど・とも申すに限りなく候、凡そ一代聖教を披き見て顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だにも・近来は法華経を捨て念仏を申し候に何なる御宿善ありてか此の法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給いけん。

[月水御書 本文]その二に続く


by johsei1129 | 2014-06-22 00:08 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)