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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 06月 16日 ( 1 )


2014年 06月 16日

天台の止観は釈尊滅後の像法時の正観で、末法では妙法蓮華経こそ正観であることを説いた【立正観抄】三

[立正観抄 本文]その三

 問う天台大師真実に此の一言の妙法を証得したまわざるや、答う内証爾らざるなり、外用に於ては之を弘通したまわざるなり、所謂内証の辺をば祕して外用には三観と号して一念三千の法門を示現し給うなり、問う何が故ぞ知り乍ら弘通し給わざるや、答う時至らざるが故に付属に非ざるが故に迹化なるが故なり、問う天台此の一言の妙法を証得し給える証拠之有りや、答う此の事天台一家の祕事なり世に流布せる学者之を知らず潅頂 玄旨の血脈とて天台大師自筆の血脈一紙之有り、天台御入滅の後は石塔の中に之有り伝教大師御入唐の時八舌の鑰を以て之を開き道邃和尚より伝受し給う血脈とは是なり、此の書に云く「一言の妙旨・一教の玄義」文、伝教大師の血脈に云く「夫れ一言の妙法とは両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし両眼を閉じて無念に住する時は不変真如なるべし、故に此の一言を聞くに万法茲に達し一代の修多羅一言に含す」文、此の両大師の血脈の如くならば天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり、一心三観とは所詮妙法を成就せん為の修行の方法なり、三観は因の義・妙法は果の義なり但因の処に果有り果の処に因有り因果倶時の妙法を観ずるが故に是くの如き功能を得るなり、爰に知んぬ天台至極の法門は法華本迹未分の処に無念の止観を立てて最祕の大法とすと云える邪義大なる僻見なりと云う事を四依弘経の大薩たは既に仏経に依つて諸論を造る天台何ぞ仏説に背いて無念の止観を立てたまわんや、若し此の止観・法華経に依らずといわば天台の止観・教外別伝の達磨の天魔の邪法に同ぜん都て然る可からず哀れなり哀れなり。

 伝教大師の云く「国主の制に非ざれば以て遵行する無く法王の教に非ざれば以て信受すること無けん」と文、又云く「四依・論を造るに権有り実有り三乗旨を述ぶるに三有り一有り、所以に天台智者は三乗の旨に順じて四教の階を定め一実の教に依つて一仏乗を建つ、六度に別有り、戒度何ぞ同じからん受法同じからず威儀豈同じからんや、是の故に天台の伝法は深く四依に依り亦仏経に順う」文、本朝の天台宗の法門は伝教大師より之を始む若し天台の止観法華経に依らずと云わば日本に於ては伝教の高祖に背き漢土に於ては天台に背く両大師の伝法既に法華経に依る豈其の末学之に違せんや、違するを以て知んぬ当世の天台家の人人・其の名を天台山に借ると雖も所学の法門は達磨の僻見と善無畏の妄語とに依ると云う事、天台伝教の解釈の如くんば己心中の秘法は但妙法の一言に限るなり、然而当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失う故に天台の血脈相承の秘法を習い失いて我と一心三観の血脈とて我意に任せて書を造り錦の袋に入れて頚に懸け箱の底に埋めて高直に売る故に邪義国中に流布して天台の仏法破失するなり、天台の本意を失い釈尊の妙法を下す是れ偏えに達磨の教訓・善無畏の勧なり、故に止観をも知らず・一心三観・一心三諦をも知らず一念三千の観をも知らず本迹二門をも知らず相待・絶待の二妙をも知らず法華の妙観をも知らず教相をも知らず権実をも知らず四教・八教をも知らず五時五味の施化をも知らず、教・機・時・国・相応の義は申すに及ばず実教にも似ず権教にも似ざるなり道理なり道理なり。

 天台・伝教の所伝は法華経は禅・真言より劣れりと習う故に達磨の邪義・真言の妄語と打ち成つて権教にも似ず実教にも似ず二途に摂せざるなり、故に大謗法罪顕れて止観は法華経に勝ると云う邪義を申し出して過無き天台に失を懸けたてまつる故に高祖に背く不孝の者・法華経に背く大謗法罪の者と成るなり。

 [立正観抄 本文]その四に続く

by johsei1129 | 2014-06-16 22:47 | Trackback | Comments(0)