日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 04月 16日 ( 1 )


2014年 04月 16日

唯一妙法蓮華経のみが女人も仏に成ることを明かした書【法華経題目抄】一

【法華経題目抄(ほけきょうだいもくしょう】
■出筆時期:文永三年正月六日(西暦1266年)四十五歳御作 
■出筆場所:千葉・清澄寺
■出筆の経緯:いまだ念仏への執着から離れられない在家の女性信徒に対し、大海の一滴に一切の河の水が収まっているように、法華経六万九千三百八十四文字全てが「妙法蓮華経」に収まっていると説き、さらに「釈迦五十年の説法のうち、「四十二年の経経には女人・仏になるべからずと説きたまひしなり、今法華経にして女人仏に成る」と説き、妙法蓮華経と唱えることで女人も仏になれると、諭すために書き記した書となっている。
■ご真筆:京都本国時他に分散されて保存。時代写本:日目上人書写 大石寺所蔵。
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[法華経題目抄 本文] その一

                                          根本大師門人 日蓮 撰
南無妙法蓮華経
問うて云く法華経の意をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや、答えて云くしかるべきなり、問うて云く火火といへども手にとらざればやけず水水といへども口にのまざれば水のほしさもやまず、只南無妙法蓮華経と題目計りを唱うとも義趣をさとらずば悪趣をまぬかれん事いかがあるべかるらん、答えて云く師子の筋を琴の絃として一度奏すれば余の絃悉くきれ梅子のすき声をきけば口につたまりうるをう世間の不思議すら是くの如し況や法華経の不思議をや小乗の四諦の名計りをさやづる鸚鵡なを天に生ず三帰計りを持つ人大魚の難をまぬかる何に況や法華経の題目は八万聖教の肝心一切諸仏の眼目なり汝等此れを唱えて四悪趣をはなるべからずと疑うか、正直捨方便の法華経には「信を以て入ることを得」と云い雙林最後の涅槃経には「是の菩提の因は復無量なりと雖も若し信心を説けば則ち已に摂尽す」等云云。

 夫れ仏道に入る根本は信をもて本とす五十二位の中には十信を本とす十信の位には信心初めなりたとひさとりなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者なりたとひさとりあるとも信心なき者は誹謗闡提の者なり、善星比丘は二百五十戒を持ち四禅定を得十二部経を諳にせし者・提婆達多は六万八万の宝蔵をおぼへ十八変を現ぜしかども此等は有解無信の者今に阿鼻大城にありと聞く、迦葉舎利弗等は無解有信の者なり仏に授記を蒙りて華光如来光明如来といはれき・仏説いて云く「疑を生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」等云云、此等は有解無信の者を説き給う、而るに今の代に世間の学者の云く只信心計りにて解する心なく南無妙法蓮華経と唱うる計りにて争か悪趣をまぬかるべき等云云、此の人人は経文の如くならば阿鼻大城まぬかれがたし、さればさせる解りなくとも南無妙法蓮華経と唱うるならば悪道をまぬかるべし譬えば蓮華は日に随つて回る蓮に心なし芭蕉は雷によりて増長す此の草に耳なし、我等は蓮華と芭蕉との如く法華経の題目は日輪と雷との如し、犀の生角を身に帯して水に入りぬれば水五尺身に近づかず栴檀の一葉開きぬれば四十由旬の伊蘭を変ず我等が悪業は伊蘭と水との如く法華経の題目は犀の生角と栴檀の一葉との如し、金剛は堅固にして一切の物に破られずされども羊の角と亀の甲に破らる尼倶類樹は大鳥にも枝おれざれどもかのまつげに巣くうせうれう鳥にやぶらる、我等が悪業は金剛の如く尼倶類樹の如し法華経の題目は羊の角のごとくせうれう鳥の如し琥珀は塵をとり磁石は鉄をすう我等が悪業は塵と鉄との如く法華経の題目は琥珀と磁石との如し。
 
 かくをもひて常に南無妙法蓮華経と唱うべし、法華経の第一の巻に云く「無量無数劫にも是の法を聞かんこと亦難し」第五の巻に云く「是の法華経は無量の国中に於て乃至名字をも聞くことを得可からず」等云云法華経の御名を聞く事はをぼろげにもありがたき事なり、されば須仙多仏多宝仏は世にいでさせ給いたりしかども法華経の御名をだにも説き給わず釈迦如来は法華経のために世にいでさせ給いたりしかども四十二年が間は名をひしてかたりいださせ給わず仏の御年七十二と申せし時はじめて妙法蓮華経ととなえいでさせ給いたりき、しかりといえども摩訶尸那日本の辺国の者は御名をもきかざりき一千余年すぎて三百五十余年に及びてこそ纔に御名計りをば聞きたりしか、さればこの経に値いたてまつる事をば三千年に一度華さく優曇華・無量無辺劫に一度値うなる一眼の亀にもたとへたり、大地の上に針を立てて大梵天王宮より芥子をなぐるに針のさきに芥子の・つらぬかれたるよりも法華経の題目に値う事はかたし、此の須弥山に針を立ててかの須弥山より大風のつよく吹く日・いとをわたさんにいたりてはりの穴にいとのさきの・いりたらんよりも法華経の題目に値い奉る事かたし、さればこの経の題目を・となえさせ給はんにはをぼしめすべし、生盲の始めて眼をあきて父母等を・みんよりも・うれしく・強き・かたきに・とられたる者の・ゆるされて妻子を見るよりも・めづらしとをぼすべし。

  問うて云く題目計りを唱うる証文これありや、答えて云く妙法華経の第八に云く「法華の名を受持せん者・福量る可からず」正法華経に云く「若し此の経を聞いて名号を宣持せば徳量る可からず」添品法華経に云く「法華の名を受持せん者福量る可からず」等云云、此等の文は題目計りを唱うる福計るべからずとみへぬ、一部・八巻・二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広なり、方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり、但一四句偈乃至題目計りを唱えとなうる者を護持するは要なり、広略要の中には題目は要の内なり。

  問うて云く妙法蓮華経の五字にはいくばくの功徳をかおさめたるや、答えて云く大海は衆流を納めたり大地は有情非情を持てり如意宝珠は万財を雨し梵天は三界を領す妙法蓮華経の五字また是くの如し一切の九界の衆生並に仏界を納む、十界を納むれば亦十界の依報の国土を収む、先ず妙法蓮華経の五字に一切の法を納むる事をいはば経の一字は諸経の中の王なり一切の群経を納む、仏世に出でさせ給いて五十余年の間八万聖教を説きをかせ給いき、仏は人寿・百歳の時・壬申の歳・二月十五日の夜半に御入滅あり、其の後四月八日より七月十五日に至るまで一夏九旬の間・一千人の阿羅漢・結集堂にあつまりて一切経をかきをかせ給いき、其の後正法一千年の間は五天竺に一切経ひろまらせ給いしかども震旦国には渡らず、像法に入つて一十五年と申せしに後漢の孝明皇帝・永平十年丁卯の歳・仏経始めて渡つて唐の玄宗皇帝・開元十八年庚午の歳に至るまで渡れる訳者・一百七十六人・持ち来る経律論一千七十六部・五千四十八巻・四百八十帙、是れ皆法華経の経の一字の眷属の修多羅なり。

[法華経題目抄 本文] その二に続く


 

by johsei1129 | 2014-04-16 22:03 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)