日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 04月 06日 ( 1 )


2014年 04月 06日

月氏国から東に渡ってきた仏法は、日出ずる国・日本から西に広まっていくことを示した書【諫暁八幡抄】三

[諫暁八幡抄 本文]その三
 而るを大菩薩の此の袈裟をはぎかへし給わざるは第一の大科なり、此の大菩薩は法華経の御座にして行者を守護すべき由の起請をかきながら数年が間・法華経の大怨敵を治罰せざる事不思議なる上、たまたま法華経の行者の出現せるを来りて守護こそなさざらめ、我が前にして、国主等の怨する事・犬の猿をかみ蛇の蝦をのみ鷹の雉を師子王の兎を殺すがごとくするを一度もいましめず、設いいましむるやうなれども・いつわりをろかなるゆへに梵釈・日月・四天等のせめを八幡大菩薩かほり給いぬるにや、例せば欽明天皇・敏達天皇・用明天皇・已上三代の大王・物部大連・守屋等がすすめに依りて宣旨を下して金銅の釈尊を焼き奉り堂に火を放ち僧尼をせめしかば天より火下て内裏をやく、其の上日本国の万民とがなくして悪瘡をやみ死ぬること大半に過ぎぬ、結句三代の大王・二人の大臣・其の外多くの王子・公卿等・或は悪瘡或は合戦にほろび給いしがごとし、其の時日本国の百八十の神の栖給いし宝殿皆焼け失せぬ釈迦仏に敵する者を守護し給いし大科なり、又園城寺は叡山已前の寺なれども智証大師の真言を伝えて今に長吏とがうす叡山の末寺たる事疑いなし、而るに山門の得分たる大乗の戒壇を奪い取りて園城寺に立てて叡山に随わじと云云、譬へば小臣が大王に敵し子が親に不幸なるがごとし、かかる悪逆の寺を新羅大明神みだれがわしく守護するゆへに度度・山門に宝殿を焼る、此のごとし、今八幡大菩薩は法華経の大怨敵を守護して天火に焼かれ給いぬるか、例せば秦の始皇の先祖・襄王と申せし王・神となりて始皇等を守護し給いし程に秦の始皇・大慢をなして三皇五帝の墳典をやき三聖の孝経等を失いしかば沛公と申す人・剣をもつて大蛇を切り死ぬ秦皇の氏神是なり、其の後秦の代ほどなくほろび候いぬ此れも又かくのごとし、安芸の国いつく島の大明神は平家の氏神なり平家ををごらせし失に伊勢太神宮・八幡等に神うちに打ち失われて其の後平家ほどなく・ほろび候いぬ此れも又かくのごとし。

 法華経の第四に云く「仏滅度の後能く其の義を解せんは是れ諸の天人世間の眼なり」等云云、日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は諸天・世間の眼にあらずや、眼には五あり所謂・肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり、此の五眼は法華経より出生せさせ給う故に普賢経に云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏是れに因て五眼を具する事を得給う」等云云、此の方等経と申すは法華経を申すなり、又此の経に云く「人天の福田・応供の中の最なり」等云云、此等の経文のごとくば妙法蓮華経は人天の眼・二乗・菩薩の眼・諸仏の御眼なり、而るに法華経の行者を怨む人は人天の眼をくじる者なり、其の人を罰せざる守護神は一切の人天の眼をくじる者を結構し給う神なり、而るに弘法・慈覚・智証等は正しく書を作りて法華経を無明の辺域にして明の分位に非ず後に望れば戯論と作る力者に及ばず履者とりにたらずと・かきつけて四百余年、日本国の上・一人より下・万民にいたるまで法華経をあなづらせ一切衆生の眼をくじる者を守護し給うはあに八幡大菩薩の結構にあらずや、去ぬる弘長と又去ぬる文永八年九月の十二日に日蓮一分の失なくして南無妙法蓮華経と申す大科に国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひきはらせて一国の謗法の者どもに・わらわせ給いしは・あに八幡大菩薩の大科にあらずや、其のいましめとをぼしきは・ただどしうちばかりなり、日本国の賢王たりし上・第一第二の御神なれば八幡に勝れたる神はよもをはせじ、又偏頗はよも有らじとは・をもへども一切経並に法華経のをきてのごときんば・この神は大科の神なり、日本六十六箇国二つの島一万一千三十七の寺寺の仏は皆或は画像或は木像或は真言已前の寺もあり或は已後の寺もあり、此等の仏は皆法華経より出生せり、法華経をもつて眼とすべし、所謂「此の方等経は是れ諸仏の眼なり」等云云、妙楽云く「然も此の経は常住仏性を以て咽喉と為し一乗の妙行を以て眼目と為し再生敗種を以て心腑と為し顕本遠寿を以て其の命と為す」等云云。

而るを日本国の習い真言師にもかぎらず諸宗一同に仏眼の印をもつて開眼し大日の真言をもつて五智を具すと云云 此等は法華経にして仏になれる衆生を真言の権経にて供養すれば還つて仏を死し眼をくじり寿命を断ち喉をさきなんどする人人なり、提婆が教主釈尊の身より血を出し阿闍世王の彼の人を師として現罰に値いしにいかでか・をとり候べき、八幡大菩薩は応神天皇・小国の王なり阿闍世王は摩竭大国の大王なり天と人と王と民との勝劣なり、而れども阿闍世王・猶釈迦仏に敵をなして悪瘡身に付き給いぬ、八幡大菩薩いかでか其の科を脱るべき、去ぬる文永十一年に大蒙古よりよせて日本国の兵を多くほろぼすのみならず八幡の宮殿すでにやかれぬ、其の時何ぞ彼の国の兵を罰し給はざるや、まさに知るべし彼の国の大王は此の国の神に勝れたる事あきらけし、襄王と申せし神は漢土の第一の神なれども沛公が利劒に切られ給いぬ。

 此れをもつてをもうべし道鏡法師・称徳天皇の心よせと成りて国王と成らんとせし時清丸・八幡大菩薩に祈請せし時八幡の御託宣に云く「夫れ神に大小好悪有り乃至彼は衆く我は寡し邪は強く正は弱し乃ち当に仏力の加護を仰て為めに皇緒を紹隆すべし」等云云、当に知るべし八幡大菩薩は正法を力として王法を守護し給いけるなり、叡山・東寺等の真言の邪法をもつて権の大夫殿を調伏せし程に権の大夫殿はかたせ給い隠岐の法皇はまけさせ給いぬ還著於本人此れなり。

[諫暁八幡抄 本文]その四に続く


by johsei1129 | 2014-04-06 21:00 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)