日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 04月 05日 ( 1 )


2014年 04月 05日

月氏国から東に渡ってきた仏法は、日出ずる国・日本から西に広まっていくことを示した書【諫暁八幡抄】二

[諫暁八幡抄 本文]その二
然るに月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり其の中に羅什三蔵一人を除きて前後の一百八十六人は純乳に水を加へ薬に毒を入たる人人なり、此の理を弁へざる一切の人師末学等設い一切経を読誦し十二分経を胸に浮べたる様なりとも生死を離る事かたし又現在に一分のしるしある様なりとも天地の知る程の祈とは成る可からず。
 魔王・魔民等・守護を加えて法に験の有様なりとも終には其の身も檀那も安穏なる可からず、譬ば旧医の薬に毒を雑へて・さしをけるを旧医の弟子等・或は盗み取り或は自然に取りて人の病を治せんが如し、いかでか安穏なるべき。
 
 当世日本国の真言等の七宗並に浄土・禅宗等の諸学者等、弘法・慈覚・智証等の法華経最第一の醍醐に法華第二・第三等の私の水を入れたるを知らず仏説の如くならば・いかでか一切倶失の大科を脱れん。
 大日経は法華経より劣る事七重なり而るを弘法等・顛倒して大日経最第一と定めて日本国に弘通せるは法華経一分の乳に大日経七分の水を入れたるなり、水にも非ず乳にも非ず大日経にも非ず法華経にも非ず、而も法華経に似て大日経に似たり。

 大覚世尊此の事を涅槃経に記して云く「我が滅後に於て正法将に滅尽せんと欲す爾の時に多く悪を行ずる比丘有らん、乃至牧牛女の如く乳を売るに多利を貪らんと欲するを為ての故に二分の水を加う、乃至此の乳水多し、爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有て是の経を鈔略し分て多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除せん、乃至前を鈔て後に著け後を鈔て前に著け前後を中に著け中を前後に著けん当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云。

 今日本国を案ずるに代始まりて已に久しく成りぬ旧き守護の善神は定めて福も尽き寿も減じ威光勢力も衰えぬらん、仏法の味をなめてこそ威光勢力も増長すべきに仏法の味は皆たがひぬ齢はたけぬ争でか国の災を払い氏子をも守護すべき、其の上謗法の国にて候を氏神なればとて大科をいましめずして守護し候へば仏前の起請を毀る神なり、しかれども氏子なれば愛子の失のやうに・すてずして守護し給いぬる程に法華経の行者をあだむ国主・国人等を対治を加えずして守護する失に依りて梵釈等のためには八幡等は罰せられ給いぬるか此事は一大事なり秘すべし秘すべし、有る経の中に仏・此の世界と他方の世界との梵釈・日月・四天・竜神等を集めて我が正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を第六天の魔王・悪鬼神等が人王・人民等の身に入りて悩乱せんを見乍ら聞き乍ら治罰せずして須臾もすごすならば必ず梵釈等の使をして四天王に仰せつけて治罰を加うべし、若し氏神・治罰を加えずば梵釈・四天等も守護神に治罰を加うべし梵釈又かくのごとし、梵釈等は必ず此の世界の梵釈・日月・四天等を治罰すべし、若し然らずんば三世の諸仏の出世に漏れ永く梵釈等の位を失いて無間大城に沈むべしと釈迦多宝十方の諸仏の御前にして起請を書き置れたり。

 今之を案ずるに日本小国の王となり神となり給うは小乗には三賢の菩薩・大乗には十信・法華には名字五品の菩薩なり、何なる氏神有りて無尽の功徳を修すとも法華経の名字を聞かず一念三千の観法を守護せずんば退位の菩薩と成りて永く無間大城に沈み候べし、故に扶桑記に云く「又伝教大師八幡大菩薩の奉為に神宮寺に於て、自ら法華経を講ず、乃ち聞き竟て大神託宣すらく我法音を聞かずして久しく歳年を歴る幸い和尚に値遇して正教を聞くことを得たり兼て我がために種種の功徳を修す至誠随喜す何ぞ徳を謝するに足らん、兼て我が所持の法衣有りと即ち託宣の主自ら宝殿を開いて手ら紫の袈裟一つ紫の衣一を捧げ和尚に奉上す大悲力の故に幸に納受を垂れ給えと、是の時に禰宜・祝等各歎異して云く元来是の如きの奇事を見ず聞かざるかな、此の大神施し給う所の法衣今山王院に在るなり」云云、今謂く八幡は人王第十六代・応神天皇なり其の時は仏経無かりしかば此に袈裟衣有るべからず、人王第三十代欽明天皇の治三十二年に神と顕れ給い其れより已来弘仁五年までは禰宜・祝等次第に宝殿を守護す、何の王の時・此の袈裟を納めけると意へし而して禰宜等云く元来見ず聞かず等云云、此の大菩薩いかにしてか此の袈裟・衣は持ち給いけるぞ不思議なり不思議なり。

 又欽明より已来弘仁五年に至るまでは王は二十二代・仏法は二百六十余年なり、其の間に三論・成実・法相・倶舎・華厳・律宗・禅宗等の六宗七宗・日本国に渡りて八幡大菩薩の御前にして経を講ずる人人・其の数を知らず、又法華経を読誦する人も争でか無からん、又八幡大菩薩の御宝殿の傍には神宮寺と号して法華経等の一切経を講ずる堂・大師より已前に是あり、其の時定めて仏法を聴聞し給いぬらん何ぞ今始めて我法音を聞かずして久しく年歳を歴る等と託宣し給ふべきや、幾くの人人か法華経・一切経を講じ給いけるに何ぞ此の御袈裟・衣をば進らさせ給はざりけるやらん、当に知るべし伝教大師已前は法華経の文字のみ読みけれども其の義はいまだ顕れざりけるか、去ぬる延暦二十年十一月の中旬の比・伝教大師比叡山にして南都・七大寺の六宗の碩徳・十余人を奉請して法華経を講じ給いしに、弘世・真綱等の二人の臣下此の法門を聴聞してなげいて云く「一乗の権滞を慨き三諦の未顕を悲しむ」又云く「長幼三有の結を摧破し猶未だ歴劫の轍を改めず」等云云、其の後延暦二十一年正月十九日に高雄寺に主上・行幸ならせ給いて六宗の碩徳と伝教大師とを召し合はせられて宗の勝劣を聞し食ししに南都の十四人皆口を閉ぢて鼻のごとくす、後に重ねて怠状を捧げたり、其の状に云く「聖徳の弘化より以降た今に二百余年の間・講ずる所の経論其の数多し、彼れ此れ理を争い其の疑未だ解けず而も此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず」等云云、此れをもつて思うに伝教大師已前には法華経の御心いまだ顕れざりけるか、八幡大菩薩の見ず聞かずと御託宣有りけるは指なり指なり白なり白なり。

 法華経第四に云く「我が滅度の後に能く竊に一人の為にも法華経を説かん、当に知るべし是の人は則ち如来の使なり乃至如来則ち衣を以て之れを覆い給うべし」等云云、当来の弥勒仏は法華経を説き給うべきゆへに釈迦仏は大迦葉尊者を御使として衣を送り給ふ、又伝教大師は仏の御使として法華経を説き給うゆへに八幡大菩薩を使として衣を送り給うか、又此の大菩薩は伝教大師已前には加水の法華経を服してをはしましけれども先生の善根に依つて大王と生れ給いぬ、其の善根の余慶・神と顕れて此の国を守護し給いけるほどに今は先生の福の余慶も尽きぬ、正法の味も失せぬ謗法の者等・国中に充満して年久しけれども日本国の衆生に久く仰がれてなじみせし大科あれども捨てがたく・をぼしめし老人の不幸の子を捨てざるが如くして天のせめに合い給いぬるか、又此の袈裟は法華経最第一と説かん人こそ・かけまいらせ給うべきに伝教大師の後は第一の座主義真和尚・法華最第一の人なれば・かけさせ給う事其の謂あり、第二の座主・円澄大師は伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり・すこし謗法ににたり、此の袈裟の人には有らず、第三の座主・円仁慈覚大師は名は伝教大師の御弟子なれども心は弘法大師の弟子・大日経第一・法華経第二の人なり、此の袈裟は一向にかけがたし、設いかけたりとも法華経の行者にはあらず、其の上又当世の天台座主は一向真言の座主なり、又当世の八幡の別当は或は園城寺の長吏或は東寺の末流なり、此れ等は遠くは釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵・近くは伝教大師の讐敵なり、譬へば提婆達多が大覚世尊の御袈裟をかけたるがごとし、又猟師が仏衣を被て師子の皮をはぎしがごとし、当世叡山の座主は伝教大師の八幡大菩薩より給て候し御袈裟をかけて法華経の所領を奪ひ取りて真言の領となせり、譬へば阿闍世王の提婆達多を師とせしがごとし。

[諫暁八幡抄 本文]その三に続く




by johsei1129 | 2014-04-05 21:32 | 重要法門(十大部除く) | Comments(0)