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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 04月 02日 ( 1 )


2014年 04月 02日

末法の本尊とは「法華経の題目を以て本尊とすべし」と明らかにした書【本尊問答抄】その三

[本尊問答抄 本文] その三
 日本国は人王三十代・欽明の御時・百済国より仏法始めて渡りたりしかども始は神と仏との諍論こわくして三十余年はすぎにき、三十四代推古天皇の御宇に聖徳太子始めて仏法を弘通し給う慧観・観勒の二の上人・百済国よりわたりて三論宗を弘め、孝徳の御宇に道昭・禅宗をわたす文武の御宇に新羅国の智鳳・法相宗をわたす第四十四代元正天皇の御宇に善無畏三蔵・大日経をわたす然而(しかるに)弘まらず、聖武の御宇に審祥大徳・朗弁僧正等・華厳宗をわたす人王四十六代・孝謙天皇の御宇に唐代の鑒真和尚・律宗と法華経をわたす律をばひろめ法華をば弘めず、第五十代桓武天皇の御宇に延暦二十三年七月・伝教大師勅宣を給いて漢土に渡り妙楽大師の御弟子・道邃・行満に値い奉りて法華宗の定慧を伝え道宣律師に菩薩戒を伝え順暁和尚と申せし人に真言の秘教を習い伝えて日本国に帰り給いて、真言・法華の勝劣は漢土の師のおしへに依りては定め難しと思食しければここにして大日経と法華経と彼の釈と此の釈とを引き並べて勝劣を判じ給いしに大日経は法華経に劣りたるのみならず大日経の疏は天台の心をとりて我が宗に入れたりけりと勘え給へり。

 其の後・弘法大師・真言経を下されける事を遺恨とや思食しけむ真言宗を立てんとたばかりて法華経は大日経に劣るのみならず華厳経に劣れりと云云、あはれ慈覚・智証・叡山・園城にこの義をゆるさずば弘法大師の僻見は日本国にひろまらざらまし、彼の両大師・華厳・法華の勝劣をばゆるさねど法華・真言の勝劣をば永く弘法大師に同心せしかば存外に本の伝教大師の大怨敵となる、其の後日本国の諸碩徳等各智慧高く有るなれども彼の三大師にこえざれば今四百余年の間・日本一同に真言は法華経に勝れけりと定め畢んぬたまたま天台宗を習へる人人も真言は法華に及ばざるの由存ぜども天台の座主御室等の高貴におそれて申す事なしあるは又其の義をもわきまへぬかのゆへにからくして同の義をいへば一向真言師はさる事おもひもよらずとわらふなり。

 然らば日本国中に数十万の寺社あり皆真言宗なりたまたま法華宗を並ぶとも真言は主の如く法華は所従の如くなり若しくは兼学の人も心中は一同に真言なり、座主・長吏・検校・別当・一向に真言たるうへ上に好むところ下皆したがふ事なれば一人ももれず真言師なり、されば日本国・或は口には法華経最第一とはよめども心は最第二・最第三なり或は身口意共に最第二三なり、三業相応して最第一と読める法華経の行者は四百余年が間一人もなしまして能持此経の行者はあるべしともおぼへず、如来現在・猶多怨嫉・況滅度後の衆生は上一人より下万民にいたるまで法華経の大怨敵なり。

 然るに日蓮は東海道・十五箇国の内・第十二に相当る安房の国長狭の郡・東条の郷・片海の海人が子なり、生年十二同じき郷の内・清澄寺と申す山にまかり登り住しき、遠国なるうへ寺とはなづけて候へども修学の人なし然而随分・諸国を修行して学問し候いしほどに我が身は不肖なり人はおしへず十宗の元起勝劣たやすくわきまへがたきところに、たまたま仏菩薩に祈請して一切の経論を勘て十宗に合せたるに倶舎宗は浅近なれども一分は小乗経に相当するに似たり、成実宗は大小兼雑して謬誤あり律宗は本は小乗・中比は権大乗・今は一向に大乗宗とおもへり又伝教大師の律宗あり別に習う事なり、法相宗は源権大乗経の中の浅近の法門にてありけるが次第に増長して権実と並び結句は彼の宗宗を打ち破らんと存ぜり譬えば日本国の将軍将門・純友等のごとし下に居て上を破る、三論宗も又権大乗の空の一分なり此れも我は実大乗とおもへり、華厳宗は又権大乗と云ひながら余宗にまされり譬えば摂政関白のごとし然而法華経を敵となして立てる宗なる故に臣下の身を以て大王に順ぜんとするがごとし、浄土宗と申すも権大乗の一分なれども善導法然が・たばかりかしこくして諸経をば上げ観経をば下し正像の機をば上げ末法の機をば下して末法の機に相叶える念仏を取り出して機を以て経を打ち一代の聖教を失いて念仏の一門を立てたり譬えば心かしこくして身は卑しき者が身を上げて心はかなきものを敬いて賢人をうしなふがごとし、禅宗と申すは一代聖教の外に真実の法有りと云云譬えばをやを殺して子を用い主を殺せる所従のしかも其の位につけるがごとし、真言宗と申すは一向に大妄語にて候が深く其の根源をかくして候へば浅機の人あらはしがたし一向に誑惑せられて数年を経て候先ず天竺に真言宗と申す宗なし然れども有りと云云、其の証拠を尋ぬ可きなり所詮大日経ここにわたれり法華経に引き向けて其の勝劣を見候処に大日経は法華経より七重下劣の経なり証拠彼の経・此の経に分明なり此に之を引かずしかるを或は云く法華経に三重の主君・或は二重の主君なりと云云以ての外の大僻見なり、譬えば劉聡が下劣の身として愍帝に馬の口をとらせ超高が民の身として横に帝位につきしがごとし又彼の天竺の大慢婆羅門が釈尊を床として坐せしがごとし漢土にも知る人なく日本にもあやしめずしてすでに四百余年をおくれり。

[本尊問答抄 本文] その四に続く


by johsei1129 | 2014-04-02 18:56 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)