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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 03月 10日 ( 2 )


2014年 03月 10日

末法こそ妙法蓮華経の流布する時であることをあきらかにした書【撰時抄】 その三

[撰時抄 本文] その三

 問うて云く竜樹・世親等は法華経の実義をば宣べ給わずや、答えて云く宣べ給はず、問うて云く何なる教をか宣べ給いし、答えて云く華厳・方等・般若・大日経等の権大乗・顕密の諸経をのべさせ給いて法華経の法門をば宣べさせ給はず、問うて云く何をもつてこれをしるや答えて云く竜樹菩薩の所造の論三十万偈・而れども尽して漢土・日本にわたらざれば其の心しりがたしといえども漢土にわたれる十住毘婆娑論・中論・大論等をもつて天竺の論をも比知して此れを知るなり。

疑つて云く天竺に残る論の中にわたれる論よりも勝れたる論やあるらん、答えて云く竜樹菩薩の事は私に申すべからず仏記し給う我が滅後に竜樹菩薩と申す人・南天竺に出ずべし彼の人の所詮は中論という論に有るべしと仏記し給う、随つて竜樹菩薩の流・天竺に七十家あり七十人ともに大論師なり、彼の七十家の人人は皆中論を本とす中論四巻・二十七品の肝心は因縁所生法の四句の偈なり、此の四句の偈は華厳・般若等の四教・三諦の法門なりいまだ法華開会の三諦をば宣べ給はず。

疑つて云く汝がごとくに料簡せる人ありや、答えて云く天台云く「中論を以て相比すること莫れ」又云く「天親竜樹内鑒冷然にして外は時の宜きに適う」等云云、妙楽云く「破会を論ぜば未だ法華に若かざる故に」云云、従義の云く「竜樹天親未だ天台に若かず」云云、問うて云く唐の末に不空三蔵一巻の論をわたす其の名を菩提心論となづく竜猛菩薩の造なり云云、弘法大師云く「此の論は竜猛千部の中の第一肝心の論」と云云、答えて云く此の論一部七丁あり竜猛の言ならぬ事処処に多し故に目録にも或は竜猛或は不空と両方にいまだ事定まらず、其の上・此の論文は一代を括れる論にもあらず荒量なる事此れ多し、先ず唯真言法中の肝心の文あやまりなり其の故は文証現証ある法華経の即身成仏をばなきになして文証も現証もあとかたもなき真言経に即身成仏を立て候又唯という唯の一字は第一のあやまりなり、事のていを見るに不空三蔵の私につくりて候を時の人にをもくせさせんがために事を竜猛によせたるか其の上不空三蔵は誤る事かずをほし所謂法華経の観智の儀軌に寿量品を阿弥陀仏とかける眼の前の大僻見・陀羅尼品を神力品の次にをける属累品を経末に下せる此等はいうかひなし、さるかとみれば天台の大乗戒を盗んで代宗皇帝に宣旨を申し五台山の五寺に立てたり、而も又真言の教相には天台宗をすべしといえりかたがた誑惑の事どもなり、他人の訳ならば用ゆる事もありなん此の人の訳せる経論は信ぜられず、総じて月支より漢土に経論をわたす人・旧訳・新訳に一百八十六人なり羅什三蔵一人を除いてはいづれの人人も誤らざるはなし、其の中に不空三蔵は殊に誤多き上誑惑の心顕なり、疑つて云く何をもつて知るぞや羅什三蔵より外の人人はあやまりなりとは汝が禅宗・念仏・真言等の七宗を破るのみならず漢土・日本にわたる一切の訳者を用いざるかいかん、答えて云く此の事は余が第一の秘事なり委細には向つて問うべし、但しすこし申すべし羅什三蔵の云く我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならずいかでか此の事を顕すべき、但し一の大願あり身を不浄になして妻を帯すべし舌計り清浄になして仏法に妄語せじ我死なば必やくべし焼かん時舌焼けるならば我が経をすてよと常に高座にしてとかせ給しなり、上一人より下万民にいたるまで願じて云く願くは羅什三蔵より後に死せんと、終に死し給う後焼きたてまつりしかば不浄の身は皆灰となりぬ御舌計り火中に青蓮華生て其の上にあり五色の光明を放ちて夜は昼のごとく昼は日輪の御光をうばい給いき、さてこそ一切の訳人の経経は軽くなりて羅什三蔵の訳し給える経経・殊に法華経は漢土にやすやすとひろまり給いしか。

疑つて云く羅什已前はしかるべし已後の善無畏・不空等は如何、答えて云く已後なりとも訳者の舌の焼けるをば誤りありけりとしるべしされば日本国に法相宗のはやりたりしを伝教大師責めさせ給いしには羅什三蔵は舌焼けず玄奘・慈恩は舌焼けぬとせめさせ給いしかば桓武天王は道理とをぼして天台法華宗へはうつらせ給いしなり、涅槃経の第三・第九等をみまいらすれば我が仏法は月支より他国へわたらん時、多くの謬誤出来して衆生の得道うすかるべしととかれて候、されば妙楽大師は「並びに進退は人に在り何ぞ聖旨に関らん」とこそあそばされて候へ、今の人人いかに経のままに後世をねがうともあやまれる経経のままにねがはば得道もあるべからず、しかればとて仏の御とがにはあらじとかかれて候、仏教を習ふ法には大小・権実・顕密はさてをくこれこそ第一の大事にては候らめ。

疑つて云く正法一千年の論師の内心には法華経の実義の顕密の諸経に超過してあるよしは・しろしめしながら外には宣説せずして但権大乗計りを宣べさせ給うことは・しかるべしとはをぼへねども其の義はすこしきこえ候いぬ、像法一千年の半に天台智者大師・出現して題目の妙法蓮華経の五字を玄義十巻一千枚にかきつくし、文句十巻には始め如是我聞より終り作礼而去にいたるまで一字一句に因縁・約教・本迹・観心の四の釈をならべて又一千枚に尽し給う已上玄義・文句の二十巻には一切経の心を江河として法華経を大海にたとえ十方界の仏法の露一しずくも漏さず妙法蓮華経の大海に入れさせ給いぬ、其の上天竺の大論の諸義・一点ももらさず漢土・南北の十師の義破すべきをば・これをはし取るべきをば此れを用う、其の上・止観十巻を注して一代の観門を一念にすべ十界の依正を三千につづめたり、此の書の文体は遠くは月支・一千年の間の論師にも超え近くは尸那五百年の人師の釈にも勝れたり、故に三論宗の吉蔵大師・南北一百余人の先達と長者らをすすめて天台大師の講経を聞けと勧むる状に云く「千年の興五百の実復今日に在り乃至南岳の叡聖天台の明哲昔は三業住持し今は二尊に紹係す豈止甘呂を震旦に灑ぐのみならん亦当に法鼓を天竺に震うべし、生知の妙悟魏晉以来典籍風謡実に連類無し乃至禅衆一百余の僧と共に智者大師を奉請す」等云云、修南山の道宣律師天台大師を讃歎して云く「法華を照了すること高輝の幽谷に臨むが若く摩訶衍を説くこと長風の太虚に遊ぶに似たり仮令文字の師千羣万衆ありて彼の妙弁を数め尋ぬとも能く窮むる者無し、乃至義月を指すに同じ乃至宗一極に帰す」云云、華厳宗の法蔵大師天台を讃して云く「思禅師智者等の如き神異に感通して迹登位に参わる霊山の聴法憶い今に在り」等云云、真言宗の不空三蔵・含光法師等・師弟共に真言宗をすてて天台大師に帰伏する物語に云く高僧伝に云く「不空三蔵と親たり天竺に遊びたるに彼に僧有り問うて曰く大唐に天台の迹教有り最も邪正を簡び偏円を暁むるに堪えたり能く之を訳して将に此土に至らしむ可きや」等云云、此の物語は含光が妙楽大師にかたり給しなり、妙楽大師此の物語を聞いて云く「豈中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや而も此方識ること有る者少し魯人の如きのみ」等云云、身毒国の中に天台三十巻のごとくなる大論あるならば南天の僧いかでか漢土の天台の釈をねがうべき、これあに像法の中に法華経の実義顕れて南閻浮提に広宣流布するにあらずや、答えて云く正法一千年・像法の前四百年・已上仏滅後・一千四百余年にいまだ論師の弘通し給はざる一代超過の円定・円慧を漢土に弘通し給うのみならず其の声月氏までもきこえぬ、法華経の広宣流布にはにたれどもいまだ円頓の戒壇を立てられず小乗の威儀をもつて円の慧定に切りつけるはすこし便なきににたり、例せば日輪の蝕するがごとし月輪のかけたるに似たり、何にいわうや天台大師の御時は大集経の読誦多聞堅固の時にあひあたていまだ広宣流布の時にあらず。

問うて云く伝教大師は日本国の士なり桓武の御宇に出世して欽明より二百余年が間の邪義をなんじやぶり天台大師の円慧・円定をせんじ給うのみならず、鑒真和尚の弘通せし日本小乗の三処の戒壇をなんじやぶり叡山に円頓の大乗別受戒を建立せり、此の大事は仏滅後一千八百年が間の身毒・尸那・扶桑乃至一閻浮提第一の奇事なり、内証は竜樹・天台等には或は劣るにもや或は同じくもやあるらん、仏法の人をすべて一法となせる事は竜樹・天親にもこえ南岳・天台にもすぐれて見えさせ給うなり、総じては如来御入滅の後一千八百年が間此の二人こそ法華経の行者にてはをはすれ、故に秀句に云く「経に云く若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だこれ難しとせず乃至若し仏の滅度悪世の中に於て能く此の経を説かん是則ちこれ難し云云、此経を釈して云く浅は易く深は難しとは釈迦の所判なり浅を去て深に就くは丈夫の心なり天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云、釈の心は賢劫第九の減・人寿百歳の時より如来・在世五十年・滅後一千八百余年が中間に高さ十六万八千由旬・六百六十二万里の金山を有人五尺の小身の手をもつて方一寸・二寸等の瓦礫をにぎりて一丁二丁までなぐるがごとく雀鳥のとぶよりもはやく鉄囲山の外へなぐる者はありとも法華経を仏のとかせ給いしやうに説かん人は末法にはまれなるべし、天台大師・伝教大師こそ仏説に相似してとかせ給いたる人にてをはすれとなり、天竺の論師はいまだ法華経へゆきつき給はず漢土の天台已前の人師は或はすぎ或はたらず、慈恩・法蔵・善無畏等は東を西といゐ天を地と申せる人人なり、此等は伝教大師の自讃にはあらず、去る延暦二十一年正月十九日高雄山に桓武皇帝行幸なりて六宗・七大寺の碩徳たる善議・勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・勤操・修円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏等の十有余人、最澄法師と召し合せられて宗論ありしに或は一言に舌を巻いて二言三言に及ばず皆一同に頭をかたぶけ手をあざう、三論の二蔵・三時・三転法輪・法相の三時・五性・華厳宗の四教・五教・根本枝末・六相・十玄・皆大綱をやぶらる、例せば大屋の棟梁のをれたるがごとし十大徳の慢幢も倒れにき、爾の時天子大に驚かせ給いて同二十九日に弘世・国道の両吏を勅使として重ねて七寺・六宗に仰せ下れしかば各各帰伏の状を載せて云く「竊に天台の玄疏を見れば総じて釈迦一代の教を括つて悉く其の趣を顕すに通ぜざる所無く独り諸宗に逾え殊に一道を示す其の中の所説甚深の妙理なり七箇の大寺六宗の学生昔より未だ聞かざる所曾て未だ見ざる所なり三論法相久年の諍い渙焉として氷の如く釈け照然として既に明かに猶雲霧を披いて三光を見るがごとし聖徳の弘化より以降今に二百余年の間講ずる所の経論其の数多く彼此理を争えども其の疑未だ解けず、而るに此の最妙の円宗未だ闡揚せず蓋し以て此の間の羣生未だ円味に応わざるか、伏して惟れば聖朝久しく如来の付を受け深く純円の機を結び一妙の義理始めて乃ち興顕し六宗の学者初めて至極を悟る此の界の含霊今より後悉く妙円の船に載り早く彼岸に済る事を得ると謂いつべし、乃至善議等牽れて休運に逢い乃ち奇詞を閲す深期に非ざるよりは何ぞ聖世に託せんや」等云云、彼の漢土の嘉祥等は百余人をあつめて天台大師を聖人と定めたり、今日本の七寺・二百余人は伝教大師を聖人とがうしたてまつる、仏の滅後二千余年に及んで両国に聖人二人・出現せり其の上天台大師の未弘の円頓大戒を叡山に建立し給う此れ豈像法の末に法華経広宣流布するにあらずや、答えて云く迦葉阿難等の弘通せざる大法を馬鳴・竜樹・提婆・天親等の弘通せる事前の難に顕れたり、又竜樹・天親等の流布し残し給える大法天台大師の弘通し給う事又難にあらはれぬ、又天台智者大師の弘通し給はざる円頓の大戒を伝教大師の建立せさせ給う事又顕然なり、但し詮と不審なる事は仏は説き尽し給えども仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり、此の深法・今末法の始五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべきやの事不審極り無きなり。

問ういかなる秘法ぞ先ず名をきき次に義をきかんとをもう此の事もし実事ならば釈尊の二度・世に出現し給うか上行菩薩の重ねて涌出せるかいそぎいそぎ慈悲をたれられよ、彼の玄奘三蔵は六生を経て月氏に入りて十九年・法華一乗は方便教・小乗阿含経は真実教、不空三蔵は身毒に返りて寿量品を阿弥陀仏とかかれたり、此等は東を西という日を月とあやまてり身を苦めてなにかせん心に染てようなし、幸い我等末法に生れて一歩をあゆまずして三祇をこゑ頭を虎にかわずして無見頂相をゑん、答えて云く此の法門を申さん事は経文に候へばやすかるべし但し此の法門には先ず三の大事あり大海は広けれども死骸をとどめず大地は厚けれども不孝の者をば載せず、仏法には五逆をたすけ不孝をばすくう但し誹謗一闡提の者持戒にして第一なるをばゆるされず、此の三のわざはひとは所謂念仏宗と禅宗と真言宗となり、一には念仏宗は日本国に充満して四衆の口あそびとす、二に禅宗は三衣一鉢の大慢の比丘の四海に充満して一天の明導とをもへり、三に真言宗は又彼等の二宗にはにるべくもなし叡山・東寺・七寺・園城或は官主或は御室或は長吏或は検校なりかの内侍所の神鏡燼灰となりしかども大日如来の宝印を仏鏡とたのみ宝剣西海に入りしかども五大尊をもつて国敵を切らんと思へり、此等の堅固の信心は設い劫石はひすらぐとも・かたぶくべしとはみへず大地は反覆すとも疑心をこりがたし、彼の天台大師の南北をせめ給いし時も此の宗はいまだわたらず此の伝教大師の六宗をしゑたげ給いし時ももれぬ、かたがたの強敵をまぬがれてかへつて大法をかすめ失う、其の上伝教大師の御弟子・慈覚大師・此の宗をとりたてて叡山の天台宗をかすめをとして一向真言宗になししかば此の人には誰の人か敵をなすべき、かかる僻見のたよりをえて弘法大師の邪義をもとがむる人もなし、安然和尚すこし弘法を難ぜんとせしかども只華厳宗のところ計りとがむるににてかへて法華経をば大日経に対して沈めはてぬ、ただ世間のたて入の者のごとし。


[撰時抄 本文]その四に続く

by johsei1129 | 2014-03-10 21:13 | 撰時抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 10日

末法こそ妙法蓮華経の流布する時であることをあきらかにした書【撰時抄】 その二

[撰時抄 本文] その二
問うて云く其の証文如何、答えて云く法華経の第七に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云、経文は大集経の白法隠没の次の時をとかせ給うに広宣流布と云云、同第六の巻に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」等云云又第五の巻に云く「後の末世の法滅せんとする時」等・又第四の巻に云く「而も此経は如来現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」又第七の巻に第五の五百歳闘諍堅固の時を説いて云く「悪魔魔民諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等其の便を得ん」大集経に云く「我が法の中に於て闘諍言訟せん」等云云、法華経の第五に云く「悪世の中の比丘」又云く「或は阿蘭若に有り」等云云又云く「悪鬼其身に入る」等云云、文の心は第五の五百歳の時・悪鬼の身に入る大僧等・国中に充満せん其時に智人一人出現せん彼の悪鬼の入る大僧等・時の王臣・万民等を語て悪口罵詈・杖木瓦礫・流罪死罪に行はん時釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌の大菩薩らに仰せつけ大菩薩は梵帝・日月・四天等に申しくだされ其の時天変・地夭・盛なるべし、国主等・其のいさめを用いずば鄰国にをほせつけて彼彼の国国の悪王・悪比丘等をせめらるるならば前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし其の時・日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ或は身ををしむゆへに一切の仏菩薩にいのりをかくともしるしなくば彼のにくみつる一の小僧を信じて無量の大僧等八万の大王等、一切の万民・皆頭を地につけ掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし、例せば神力品の十神力の時・十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向つて大音声をはなちて南無釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。

問うて曰く経文は分明に候・天台・妙楽・伝教等の未来記の言はありや、答えて曰く汝が不審逆なり釈を引かん時こそ経論はいかにとは不審せられたれ経文に分明ならば釈を尋ぬべからず、さて釈の文が経に相違せば経をすてて釈につくべきか如何、彼云く道理至極せり、しかれども凡夫の習経は遠し釈は近し近き釈分明ならばいますこし信心をますべし、今云く汝が不審ねんごろなれば少少釈をいだすべし天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」妙楽大師云く「末法の初め冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり、何を以て知ることを得る、安楽行品に云く末世法滅の時なり」又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るなり」云云、夫れ釈尊の出世は住劫第九の減・人寿百歳の時なり百歳と十歳との中間・在世五十年・滅後二千年と一万年となり、其の中間に法華経の流布の時・二度あるべし所謂在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり、而に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退いては滅後・末法の時にも生れさせ給はず中間なる事をなげかせ給いて末法の始をこひさせ給う御筆なり、例せば阿私陀仙人が悉達太子の生れさせ給いしを見て悲んで云く現生には九十にあまれり太子の成道を見るべからず後生には無色界に生れて五十年の説法の坐にもつらなるべからず正像末にも生るべからずとなげきしがごとし、道心あらん人人は此を見ききて悦ばせ給え正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや、彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし、梁の武帝の願に云く「寧ろ提婆達多となて無間地獄には沈むとも欝頭羅弗とはならじ」と云云。

問うて云く竜樹・天親等の論師の中に此の義ありや、答えて云く竜樹・天親等は内心には存ぜさせ給うといえども言には此の義を宣べ給はず、求めて云くいかなる故にか宣給ざるや、答えて云く多くの故あり一には彼の時には機なし・二には時なし・三には迹化なれば付嘱せられ給はず、求めて云く願くは此の事よくよくきかんとをもう、答えて云く夫仏の滅後二月十六日よりは正法の始なり迦葉尊者仏の付嘱をうけて二十年、次に阿難尊者二十年・次に商那和修二十年・次に優婆崛多二十年・次に提多迦二十年、已上一百年が間は但小乗経の法門をのみ弘通して諸大乗経は名字もなし何に況や法華経をひろむべしや、次には弥遮迦・仏陀難提・仏駄密多・脇比丘・富那奢等の四五人、前の五百余年が間は大乗経の法門少少・出来せしかども・とりたてて弘通し給はず、但小乗経を面としてやみぬ、已上大集経の先五百年解脱堅固の時なり、正法の後六百年・已後一千年が前・其の中間に馬鳴菩薩・毘羅尊者・竜樹菩薩・提婆菩薩・羅〓尊者・僧〓難提・僧伽耶奢・鳩摩羅駄・闍夜那・盤陀・摩奴羅・鶴勒夜那・師子等の十余人の人人始には外道の家に入り次には小乗経をきわめ後には諸大乗経をもて諸小乗経をさんざんに破し失ひ給いき此等の大士等は諸大乗経をもつて諸小乗経をば破せさせ給いしかども諸大乗経と法華経の勝劣をば分明にかかせ給はず、設い勝劣をすこしかかせ給いたるやうなれども本迹の十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当の妙・百界千如・一念三千の肝要の法門は分明ならず、但或は指をもつて月をさすがごとくし或は文にあたりてひとはし計りかかせ給いて化導の始終・師弟の遠近・得道の有無はすべて一分もみへず、此等は正法の後の五百年・大集経の禅定堅固の時にあたれり、正法一千年の後は月氏に仏法充満せしかども或は小をもて大を破し或は権経をもつて実経を隠没し仏法さまざまに乱れしかば得道の人やふやくすくなく仏法につけて悪道に堕る者かずをしらず、正法一千年の後・像法に入つて一十五年と申せしに仏法東に流れて漢土に入りにき、像法の前五百年の内・始の一百余年が間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論していまだ事さだまらず設い定まりたりしかども仏法を信ずる人の心いまだふかからず、而るに仏法の中に大小・権実・顕密をわかつならば聖教一同ならざる故・疑をこりてかへりて外典とともなう者もありぬべし、これらのをそれ・あるかのゆへに摩騰・竺蘭は自は知つて而も大小を分けず権実をいはずしてやみぬ、其の後・魏・晋・斉・宋・梁の五代が間・仏法の内に大小・権実・顕密をあらそひし程にいづれこそ道理ともきこえずして上み一人より下も万民にいたるまで不審すくなからず南三・北七と申して仏法十流にわかれぬ所謂南には三時・四時・五時・北には五時・半満・四宗・五宗・六宗、二宗の大乗・一音等・各各義を立て辺執水火なり、しかれども大綱は一同なり所謂一代聖教の中には華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三なり法華経は阿含・般若・浄名・思益等の経経に対すれば真実なり了義経・正見なりしかりといへども涅槃経に対すれば無常教・不了義経・邪見の経等云云、漢より四百余年の末へ五百年に入つて陳隋二代に智〓と申す小僧一人あり後には天台智者大師と号したてまつる、南北の邪義をやぶりて一代聖教の中には法華経第一・涅槃経第二・華厳経第三なり等云云、此れ像法の前・五百歳・大集経の読誦多聞堅固の時にあひあたれり、像法の後五百歳は唐の始・太宗皇帝の御宇に玄奘三蔵・月支に入つて十九年が間、百三十箇国の寺塔を見聞して多くの論師に値いたてまつりて八万聖教・十二部経の淵底を習いきわめしに其の中に二宗あり所謂法相宗・三論宗なり、此の二宗の中に法相大乗は遠くは弥勒・無著近くは戒賢論師に伝えて漢土にかへりて太宗皇帝にさづけさせ給う、此の宗の心は仏教は機に随うべし一乗の機のためには三乗方便・一乗真実なり所謂法華経等なり、三乗の機のためには三乗真実・一乗方便・所謂深密経・勝鬘経等此れなり、天台智者等は此の旨を弁えず等云云、而も太宗は賢王なり当時名を一天にひびかすのみならず三皇にもこえ五帝にも勝れたるよし四海にひびき漢土を手ににぎるのみならず高昌・高麗等の一千八百余国をなびかし内外を極めたる王ときこへし賢王の第一の御帰依の僧なり、天台宗の学者の中にも頭をさしいだす人一人もなし、而れば法華経の実義すでに一国に隠没しぬ、同じき太宗の太子高宗・高宗の継母則天皇后の御宇に法蔵法師といふ者あり法相宗に天台宗のをそわるるところを見て前に天台の御時せめられし華厳経を取出して一代の中には華厳第一・法華第二・涅槃第三と立てけり、太宗第四代・玄宗皇帝の御宇・開元四年・同八年に西天印度より善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・大日経・金剛頂経・蘇悉地経を持て渡り真言宗を立つ。

 此の宗の立義に云く、教に二種あり、一には釈迦の顕教・所謂華厳・法華等、二には大日の密教・所謂大日経等なり、法華経は顕教の第一なり、此の経は大日の密教に対すれば極理は少し同じけれども事相の印契と真言とはたえてみへず、三密相応せざれば不了義経等云云、已上法相・華厳・真言の三宗一同に天台法華宗をやぶれども天台大師程の智人・法華宗の中になかりけるかの間内内はゆはれなき由は存じけれども、天台のごとく公場にして論ぜられざりければ上国王大臣・下一切の人民にいたるまで皆仏法に迷いて衆生の得道みなとどまりけり。

 此等は像法の後の五百年の前二百余年が内なり、像法に入つて四百余年と申しけるに百済国より一切経並びに教主釈尊の木像・僧尼等・日本国にわたる、漢土の梁の末・陳の始にあひあたる、日本には神武天王よりは第三十代・欽明天王の御宇なり、欽明の御子・用明の太子に上宮王子・仏法を弘通し給うのみならず並びに法華経・浄名経・勝鬘経を鎮護国家の法と定めさせ給いぬ、其の後・人王第三十七代に孝徳天王の御宇に三論宗・成実宗を観勒僧正・百済国よりわたす、同御代に道昭法師・漢土より法相宗・倶舎宗をわたす、人王第四十四代・元正天王の御宇に天竺より大日経をわたして有りしかども而も弘通せずして漢土へかへる此の僧をば善無畏三蔵という。

 人王第四十五代に聖武天皇の御宇に審祥大徳・新羅国より華厳宗をわたして良弁僧正・聖武天王にさづけたてまつりて東大寺の大仏を立てさせ給えり同御代に大唐の鑒真和尚・天台宗と律宗をわたす、其の中に律宗をば弘通し小乗の戒場を東大寺に建立せしかども法華宗の事をば名字をも申し出させ給はずして入滅し了んぬ。

 其後、人王第五十代・像法八百年に相当つて桓武天王の御宇に最澄と申す小僧出来せり。後には伝教大師と号したてまつる、始には三論・法相・華厳・倶舎・成実・律の六宗並びに禅宗等を行表僧正等に習学せさせ給いし程に、我と立て給える国昌寺・後には比叡山と号す。
 此にして六宗の本経・本論と宗宗の人師の釈とを引き合せて御らむありしかば、彼の宗宗の人師の釈・所依の経論に相違せる事多き上僻見多多にして信受せん人皆悪道に堕ちぬべしとかんがへさせ給う。
 
 其の上法華経の実義は宗宗の人人・我も得たり我も得たりと自讃ありしかども其の義なし、此れを申すならば喧嘩出来すべしもだして申さずば、仏誓にそむきなんとをもひわづらはせ給いしかども、終に仏の誡ををそれて桓武皇帝に奏し給いしかば、帝、此の事ををどろかせ給いて六宗の碩学に召し合させ給う。
 彼の学者等、始めは慢幢・山のごとし悪心・毒蛇のやうなりしかども、終に王の前にしてせめをとされて六宗・七寺・一同に御弟子となりぬ。
 
 例せば漢土の南北の諸師・陳殿にして天台大師にせめおとされて御弟子となりしがごとし。此れはこれ円定・円慧計りなり其の上天台大師のいまだせめ給はざりし小乗の別受戒をせめをとし六宗の八大徳に梵網経の大乗別受戒をさづけ給うのみならず法華経の円頓の別受戒を叡山に建立せしかば延暦円頓の別受戒は日本第一たるのみならず仏の滅後一千八百余年が間身毒尸那一閻浮提にいまだなかりし霊山の大戒日本国に始まる、されば伝教大師は其の功を論ずれば竜樹天親にもこえ天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり、されば日本国の当世の東寺・園城・七大寺・諸国の八宗・浄土・禅宗・律宗等の諸僧等誰人か伝教大師の円戒をそむくべき、かの漢土九国の諸僧等は円定・円慧は天台の弟子ににたれども円頓一同の戒場は漢土になければ戒にをいては弟子とならぬ者もありけん、この日本国は伝教大師の御弟子にあらざる者は外道なり悪人なり、而れども漢土日本の天台宗と真言の勝劣は大師心中には存知せさせ給いけれども六宗と天台宗とのごとく公場にして勝負なかりけるゆへにや、伝教大師已後には東寺・七寺・園城の諸寺日本一州一同に真言宗は天台宗に勝れたりと上一人より下万人にいたるまでをぼしめしをもえり、しかれば天台法華宗は伝教大師の御時計りにぞありける此の伝教の御時は像法の末大集経の多造塔寺堅固の時なり、いまだ於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にはあたらず。

今末法に入つて二百余歳、大集経の於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にあたれり。仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起るべき時節なり。
伝え聞く漢土は三百六十箇国・二百六十余州はすでに蒙古国に打ちやぶられぬ。華洛すでにやぶられて徽宗・欽宗の両帝・北蕃にいけどりにせられて韃靼にして終にかくれさせ給いぬ。徽宗の孫高宗皇帝は長安をせめをとされて田舎の臨安行在府に落ちさせ給いて、今に数年が間京を見ず。高麗六百余国も新羅百済等の諸国等も皆大蒙古国の皇帝にせめられぬ。今の日本国の壱岐・対馬並びに九国のごとし、闘諍堅固の仏語地に堕ちず。あたかもこれ大海のしをの時をたがへざるがごとし。

是をもつて案ずるに、大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか
。彼の大集経は仏説の中の権大乗ぞかし、生死をはなるる道には法華経の結縁なき者のためには未顕真実なれども、六道・四生・三世の事を記し給いけるは寸分もたがはざりけるにや。何に況や法華経は釈尊・要当説真実となのらせ給い多宝仏は真実なりと御判をそへ、十方の諸仏は広長舌を梵天につけて誠諦と指し示し、釈尊は重ねて無虚妄の舌を色究竟に付けさせ給いて、後五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病の輩の良薬とせんと梵帝・日月・四天・竜神等に仰せつけられし金言虚妄なるべしや。

大地は反覆すとも高山は頽落すとも春の後に夏は来らずとも日は東へかへるとも月は地に落つるとも此の事は一定なるべし、此の事一定ならば闘諍堅固の時・日本国の王臣と並びに万民等が仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき。これをば愚癡の者は咒詛すとをもひぬべし、法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又主君なり。

而るを上一人より下万民にいたるまであだをなすをば日月いかでか彼等が頂を照し給うべき地神いかでか彼等の足を戴き給うべき、提婆達多は仏を打ちたてまつりしかば大地揺動して火炎いでにき、檀弥羅王は師子尊者の頚を切りしかば右の手刀とともに落ちぬ、徽宗皇帝は法道が面にかなやきをやきて江南にながせしかば半年が内にゑびすの手にかかり給いき、蒙古のせめも又かくのごとくなるべし、設い五天のつわものをあつめて鉄囲山を城とせりともかなふべからず必ず日本国の一切衆生・兵難に値うべし、されば日蓮が法華経の行者にてあるなきかはこれにても見るべし、教主釈尊記して云く末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしと・とかせ給へり、而るを今の日本国の国主・万民等・雅意にまかせて父母・宿世の敵よりもいたくにくみ謀反・殺害の者よりも・つよくせめぬるは現身にも大地われて入り天雷も身をさかざるは不審なり、日蓮が法華経の行者にてあらざるか・もししからばををきになげかし、今生には万人にせめられて片時もやすからず後生には悪道に堕ん事あさましとも申すばかりなし。

又日蓮法華経の行者ならずばいかなる者の一乗の持者にてはあるべきぞ、法然が法華経をなげすてよ善導が千中無一・道綽が未有一人得者と申すが法華経の行者にて候か、又弘法大師の云く法華経を行ずるは戯論なりとかかれたるが法華経の行者なるべきか。

経文には能持是経能説此経なんどこそとかれて候へ。よくとくと申すはいかなるぞと申すに於諸経中最在其上と申して、大日経・華厳経・涅槃経・般若経等に法華経はすぐれて候なりと申す者をこそ、経文には法華経の行者とはとかれて候へ。もし経文のごとくならば日本国に仏法わたて七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者はなきぞかし。いかにいかにとをもうところに頭破作七分・口則閉塞のなかりけるは道理にて候いけるなり、此等は浅き罰なり但一人二人等のことなり、日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし、これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震一天を罰する文永の大彗星等なり、此等をみよ仏滅後の後仏法を行ずる者にあだをなすといへども今のごとくの大難は一度もなきなり、南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや。

疑つて云く設い正法の時は仏の在世に対すれば根機劣なりとも像末に対すれば最上の上機なり、いかでか正法の始に法華経をば用いざるべき、随つて馬鳴・竜樹・提婆・無著等も正法一千年の内にこそ出現せさせ給へ。天親菩薩は千部の論師、法華論を造りて諸経の中第一の義を存す。真諦三蔵の相伝に云く、月支に法華経を弘通せる家・五十余家・天親は其の一也と已上正法なり。像法に入つては天台大師・像法の半に漢土に出現して玄と文と止との三十巻を造りて法華経の淵底を極めたり。

像法の末に伝教大師・日本に出現して天台大師の円慧・円定の二法を我が朝に弘通せしむるのみならず円頓の大戒場を叡山に建立して日本一州皆同じく円戒の地になして、上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰がせ給う。豈に像法の時法華経の広宣流布にあらずや。
答えて云く如来の教法は必ず機に随うという事は世間の学者の存知なり。しかれども仏教はしからず、上根上智の人のために必ず大法を説くならば初成道の時なんぞ法華経をとき給はざる。正法の先五百年に大乗経を弘通すべし、有縁の人に大法を説かせ給うならば浄飯大王・摩耶夫人に観仏三昧経・摩耶経をとくべからず、無縁の悪人謗法の者に秘法をあたえずば覚徳比丘は無量の破戒の者に涅槃経をさづくべからず、不軽菩薩は誹謗の四衆に向つていかに法華経をば弘通せさせ給いしぞ、されば機に随つて法を説くと申すは大なる僻見なり。

[撰時抄 本文]その三に続く






by johsei1129 | 2014-03-10 00:25 | 撰時抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)