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日蓮大聖人『御書』解説

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2026年 05月 06日

弟子の心得 31

 一 無量義経の事
 御義口伝に云く、妙法の序分・無量義経なれば十界悉く妙法蓮華経の序分なり。

 一 序品
 御義口伝に云く、如是我聞の四字を能く能く心得れば一経無量の義は知られ易きなり。十界互具・三千具足の妙と聞くなり。此の所聞は妙法蓮華と聞く故に妙法の法界互具にして三千清浄なり。此の四字を以て一経の始終に亘るなり。二十八品の文々句々の義理、我が身の上の法門と聞くを如是我聞とは云うなり。其を聞く者は南無妙法蓮華経なり。されば皆成仏道と云うなり。此の皆成の二字は十界三千に亘る可きなり。妙法の皆成なるが故なり。
 又仏とは我が一心なり。是又十界三千の心なり。道とは能通に名づくる故に十界の心心に通ずるなり。此の時、皆成仏道と顕るるなり。皆成仏道の法は南無妙法蓮華経なり云々。

一 方便品
御義口伝に云く、此の品には十如是を説く。此の十如是とは十界なり。此の方便とは十界三千なり。既に妙法蓮華経を頂く故に十方仏土中・唯有(ゆいう)一乗法なり。妙法の方便、蓮華の方便なれば秘妙なり清浄なり。妙法の五字は九識、方便は八識なり。八識は迷(まよい)なり、九識は悟(さとり)なり。妙法蓮華経方便品と題したれば迷悟(めいご)不二なり。森羅三千の諸法、此の妙法蓮華経方便に非ずと云う事無きなり。
 品は義類同なり。義とは三千なり。類とは互具なり。同とは一念なり。此の一念三千を指して品と云うなり。此の一念三千を三仏合点し給ふなり。仍(よ)つて品品に題せり。所謂南無妙法蓮華経の信の一念より三千具足と聞けたり云云。

一 薬草喩品
 御義口伝に云く、妙法の薬草なれば十界三千の毒草(どくそう)、蓮華の薬草なれば本来清浄(しょうじょう)なり。清浄なれば仏なり。
 此の仏の説法とは南無妙法蓮華経なり云云。されば此の品には種相体性(しゅ・そう・たい・しょう)の種の字に種類種(しゅるいじゅ)・相対種の二の開会(かいえ)之れ有り。相対種とは三毒即三徳なり。種類種とは始めの種の字は十界三千なり。類とは互具なり。下の種の字は南無妙法蓮華経なり、種類の種なり。十界三千の草木各各なれども、只南無妙法蓮華経の一種なり。毒草も毒木も悉く清浄の草木にして薬草なり云云。

一 五百品
 御義口伝に云く、此の品には五百弟子・授記作仏(じゅきさぶつ)すと現文に見えたり。然りと雖も妙法の五百なれば十界三千、皆五百の弟子なり。蓮華の弟子なれば又清浄なり。所詮十界三千・南無妙法蓮華経の弟子に非ずと云う事なし。此の経の授記是なり云云。

一 人記品
 御義口伝に云く、此の品には学・無学の聖者来たつて成仏するなり。既に妙法頂戴(ちょうだい)の学・無学なれば十界互具・三千具足の学・無学なり。妙法の学・無学なるが故に不思議十界・煩悩未尽なり。蓮華の学・無学なれば十界三千清浄の開落なり。此の学・無学何物ぞや。学とは法なり、無学とは妙なり。所謂題目なり云云。

一 法師品
 御義口伝に云く、妙法の法師なれば十界皆妙法受持の一句一偈の法師なり。蓮華の法師なれば十界三千・清浄の法師なり。十界衆生の色法は能持の人なり、十界の心性は所持の法なり。仍つて色心共に法師にして自行化他を顕すなり。所謂南無妙法蓮華経の法師なるが故なり云云。

一  提婆品
 御義口伝に云く、此の品には釈尊の本師・提婆達多(だいばだった)の成仏と文殊師利・教化(きょうけ)の竜女成仏とを説くなり。是れ又妙法蓮華経の提婆・竜女なれば十界三千・皆調達(ちょうだつ)竜女なり。法界の衆生の逆辺は調達なり、法界の貪欲(どんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡の方は悉く竜女なり。調達は修徳の逆罪、一切衆生は性徳の逆罪なり。一切衆生は性徳の天王如来なり、調達は修徳の天王如来なり。竜女は修徳の竜女、一切衆生は性徳の竜女なり。
 所詮釈尊も文殊も提婆も竜女も一つ種の妙法蓮華経の功能(くのう)なれば本来成仏なり。故に南無妙法蓮華経と唱え奉る時は十界同時に成仏するなり。是を妙法蓮華経の提婆達多と云うなり。十界三千・竜女なれば無垢世界に非ずと云う事なし。竜女が一身も本来成仏にして南無妙法蓮華経の当体なり云云。

一 勧持品
  御義口伝に云く、此の品の姨母(いも)・耶輸(やしゅ)の記別(きべつ)は十界同時の授記なり。妙法の姨母・妙法の耶輸なる故なり。十界の衆生の心性は所持の経の体なり。是れ即ち勧持の流通なり。心性所持の経を勧持して自行化他に趣くなり。
 姨母・耶輸は女人の成仏なり、二万の大士は男子の流通なり。此の文(もん)・陰陽(いんよう)一体にして南無妙法蓮華経の当体なり云云。

一 安楽行品
 御義口伝に云く、妙法の安楽行なれば十界三千悉く安楽行なり。自受用の当体なり。身口意・誓願、悉く安楽行なり。蓮華の安楽行なれば三千・十界清浄の修行なり。諸法実相なれば安楽行に非ざること莫し。
 本門の心は十界の色心・本来本有(ほんぬ)として真実・大安楽行なり。安楽行の体とは所謂上行所伝の南無妙法蓮華経是なり。霊山浄土に安楽に行詣(ぎょうけい)すべきなり云云。

一 涌出品
 御義口伝に云く、此の品は迹門流通(しゃくもん・るつう)の後、本門開顕の序分なり。故に先ず先ず本地無作の三身を顕さんが為に釈尊所具の菩薩本化(ほんげ)の弟子を召すなり。是れ又妙法の従地なれば十界の大地なり。妙法の涌出なれば十界皆涌出なり。十界妙法の菩薩なれば皆・饒益有情界(にょうやく・うじょうかい)の慈悲深重(じんじゅう)の大士なり。蓮華の大地なれば十界の大地なり。蓮華の大地なれば十界涌出の菩薩・本来清浄なり。
 所詮悟道(しょせん・ごどう)に約する時は従地とは十界の衆生の大種(大浮)の所生なり。涌出とは十界の衆生の出胎の相なり。菩薩とは十界の衆生本有(ほんぬ)の慈悲なり。此の菩薩に本法の妙法蓮華経を付属せんが為に従地涌出(じゅうじ・ゆじゅつ)するなり。
 日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は従地涌出の菩薩なり。外(ほか)に求むること無かれ云云。

一 寿量品
 御義口伝に云く、寿量品とは十界の衆生の本命なり。此の品を本門と云う事は本入門と云う事なり。凡夫の血肉の色心を本有(ほんぬ)と談ずるが故に本門とは云うなり。此の重に至らざるを始覚(しかく)と云い、迹門と云うなり。是を悟るを本覚と云い本門と云うなり。
 所謂南無妙法蓮華経は一切衆生の本有の在所なり。爰元(ここもと)を経に我実成仏已来とは云うなり。

 一 分別功徳品
 御義口伝に云く、此の品は上の品の時、本地無作の三身如来の寿を聞く故に今品にしては上の無作の三身を信解するなり。其の功徳を分別するなり。十界己己当体の三毒煩悩を此の品の時、其の儘(まま)妙法蓮華経の功徳と分別するなり。其の功徳とは本有の南無妙法蓮華経是なり云云。

 一 随喜功徳品
  御義口伝に云く、妙法の功徳を随喜する事を説くなり。五十展転(てんでん)とは五とは妙法の五字なり、十とは十界の衆生なり、展転とは一念三千なり。教相の時は第五十人の随喜(ずいき)の功徳を校量(きょうりょう)せり。五十人とは一切衆生の事なり。妙法の五十人、妙法の展転なるが故なり。所謂南無妙法蓮華経を展転するなり云云。

 一 法師功徳品
 御義口伝に云く、無作の三身も如来の寿も、分別功徳も随喜も、我が身の上の事なり。然らば父母所生の六根は清浄にして自在無碍(じざいむげ)なり。妙法の六根なれば十界三千の六根皆清浄なり。蓮華所具の六根なれば全く不浄に非ざるなり。此の六根にて南無妙法蓮華経と見聞覚知(けんもんかくち)する時、本来本有として六根清浄なり云云。

 一 不軽品
 御義口伝に云く、此の菩薩の礼拝(らいはい)の行とは一切衆生の事なり。自他一念の礼拝なり。父母果縛(ふぼかばく)の肉身を妙法蓮華経と礼拝するなり。仏性も仏身も衆生の当体の色心なり、故に直ちに礼拝を行ずるなり。止観の第二云く、一切衆生の順逆十二因縁を以て二十四の尊像と釈し給うは此の故なり。皆当作仏(かいとうさぶつ)の四字は南無妙法蓮華経の種子に依るなり云々。

 一 神力品
 御義口伝に云く、十種の神力を現じて上行菩薩に妙法蓮華経の五字を付属し給うなり。神力とは十界三千の衆生の神力なり。凡夫は体の神力、三世の諸仏は用(ゆう)の神力なり。神とは心法、力とは色法なり。力は法なり、神は妙なり。妙法の神力なれば十界悉く神力なり。蓮華の神力なれば十界清浄の神力なり。
 惣じて三世の諸仏の神力は此の品に尽くせり。釈尊出世の神力の本意も此の品の神力なり。所謂妙法蓮華経の神力なり。十界皆成(かいじょう)と談ずるより外には、諸仏の神力は之れ有る可からず。一切の法門・神力に非ずと云う事なし云云。

 一 厳王品
 御義口伝に云く、此の品は二子の教化に依つて父の妙荘厳王、邪見をあらためて正見に住したり。沙羅樹王仏(しゃらじゅおうぶつ)と成るなり。沙羅樹王とは梵語なり。此(ここ)には熾盛光(しじょうこう)と翻ず。一切衆生は是皆・熾盛光より出生したる一切衆生なり。此の故に十界衆生の父なり。熾盛光とは或は大黒天神とも・或は土宮神とも云うなり。然れども父母交会の一念なり。
法華の意は自受用智(じじゅゆうち)なり。忽然火起(こつねん・かき)・焚焼舎宅(ぼんしょう・しゃたく)とは是なり。煩悩の一念の火・起こりて迷悟不二の舎宅を焼くなり。邪見とは是なり。此の邪見を邪見即正と照したるは南無妙法蓮華経の智慧なり。
 所謂六凡は父なり、四聖は子なり。四聖は正見、六凡は邪見。故に六道の衆生は皆是れ我が父母とは是なり云云。

一 勧発品
 所詮此の品と序品とは生死の二法なり。序品の品は我等衆生の生なり、此の品は一切衆生の死なり。生死一念なるを妙法蓮華経と云うなり。序品の題号は生なり、終の第号は死なり。此の法華経は生死生死と転(めぐ)りたり。
 生の故に始めに如是我聞と置く。如は生の義なり。死の故に終りに作礼而去(さらいにこ)と結したり。去は死の義なり。作礼の言は生死の間に成しと成す処の我等衆生の所作なり。此の所作とは妙法蓮華経なり。

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霊鷲山


by johsei1129 | 2026-05-06 10:58 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)


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