人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2026年 05月 03日

弟子の心得 28

 第一 南無妙法蓮華経 如来寿量品第十六の事  
 文句の九に云く「如来とは、十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり。別しては本地三仏の別号なり。寿量とは詮量(せんりょう)なり。十方三世諸仏の功徳を詮量す。故に寿量品と云う」と。
 御義口伝に云く、此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり。神力品の付属是なり。
 如来とは釈尊、惣じては十方三世の諸仏なり、別しては本地無作の三身なり。
 今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり。別しては日蓮の弟子檀那なり。されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり。寿量品の事の三大事とは是なり。
 六即の配立(はいりゅう)の時は此の品の如来は理即の凡夫なり。頭(こうべ)に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時・名字即なり。其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり。聞き奉りて修行するは観行即なり。此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり。さて惑障を伏するを相似即と云うなり。化他に出づるを分真即と云うなり。無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり。
 惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず、唯凡夫の当体・本有の儘(まま)を此の品の極理と心得可きなり。無作の三身の所作は何物ぞと云う時、南無妙法蓮華経なり云云。

 第二 如来秘密 神通之力の事
 御義口伝に云く、無作三身の依文(えもん)なり。此の文に於て重重の相伝之有り。神通之力とは、我等衆生の作作発発(ささほつほつ)と振舞う処を神通と云うなり。獄卒の罪人を苛責する音(こえ)も皆神通之力なり。生住異滅の森羅三千の当体・悉く神通之力の体なり。
 今日蓮等の類いの意は、即身成仏と開覚するを如来秘密・神通之力とは云うなり。成仏するより外(ほか)の神通と秘密とは之れ無きなり。此の無作の三身をば一字を以て得たり。所謂信の一字なり。仍(よ)つて経に云く「我等当信受仏語」と。信受の二字に意を留む可きなり。

 第三 我実成仏已来 無量無辺等の事
 御義口伝に云く、我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり。
 然りと雖も当品の意は我とは法界の衆生なり。十界己己を指して我と云うなり。実とは無作三身の仏なりと定めたり。此れを実と云うなり。成とは能成所成なり。成は開く義なり。法界無作の三身の仏なりと開きたり。仏とは此れを覚知するを云うなり。已とは過去なり。来とは未来なり。已来の言の中に現在は有るなり。我実と成(ひら)けたる仏にして、已も来も無量なり無辺なり。百界千如・一念三千と説かれたり。百千の二字は百は百界、千は千如なり。此れ即ち事の一念三千なり。
 今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は寿量品の本主なり。惣じては迹化の菩薩、此の品に手をつけ・いろ(綺)うべきに非ざる者なり。彼は迹表本裏(しゃくひょう・ほんり)、此れは本面迹裏。
 然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか。其の故は此の品は在世の脱益なり。題目の五字計り・当今の下種なり。然れば在世は脱益、滅後は下種なり。仍て下種を以て末法の詮と為す云云。

 第五 若仏久住於世 薄徳之人 不種善根 貧窮下賤(びんぐ・げせん) 貪著(とんじゃく)五欲 入於憶想(にゅうお・おくそう) 妄見網中の事
 御義口伝に云く、此の経文は仏・世に久住したまわば、薄徳の人は善根を殖(う)ゆ可からず。然る間・妄見網中と説かれたり。所詮此の薄徳とは在世に漏れたる衆生、今・滅後日本国に生れたり。所謂念仏・禅・真言等の謗法なり。不種善根とは善根は題目なり。不種とは未だ持たざる者なり。憶想とは捨閉閣抛(しゃへいかくほう)・第三の劣等、此くの如きの憶想なり。妄とは権教、妄語の経教なり。見は邪見なり。法華最第一の一を第三と見るが邪見なり。網中とは謗法不信の家なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、かかる妄見の経・網中(もうちゅう)の家を離れたる者なり云云。

 第七 或失本心 或不失者(わくふ・しっしゃ)の事
 御義口伝に云く、本心を失うとは謗法なり。本心とは下種なり。不失とは法華経の行者なり。失とは本(もと)有る物を失う事なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは本心を失わざるなり云云。

 第八 擣簁和合(とうし・わごう) 与子令服(よし・りょうぶく)の事
 御義口伝に云く、此の経文は空仮中の三諦・戒定慧の三学なり・色香美味の良薬なり。擣(とう)は空諦なり。簁(し)は仮諦なり。和合は中道なり。与は授与なり。子は法華の行者なり。服すると云うは受持の義なり。是を此大良薬・色香美味・皆悉具足(かいしつ・ぐそく)と説かれたり。
 皆悉の二字、万行万善・諸波羅蜜を具足したる大良薬たる南無妙法蓮華経なり。色香等とは一色一香・無非中道にして草木成仏なり。されば題目の五字に一法として具足せずと云う事なし。若し服する者は速除苦悩なり。
 されば妙法の大良薬を服するは貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり。法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者、謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり。法華の行者、罵詈(めり)せらるゝも忍辱(にんにく)を行ずるは瞋恚(しんに)の病を除くなり。法華経の行者、是人於仏道・決定無有疑(けつじょうむうぎ)と成仏を知るは愚癡の煩悩を治するなり。
 されば大良薬は末法の成仏の甘露なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大良薬の本主なり。

 第十 是好良薬(ぜこう・ろうやく) 今留在此(こんる・ざいし) 汝可取服(にょか・しゅぶく) 勿憂不差(もっつ・ふさい)の事
 御義口伝に云く、是好良薬とは或は経教、或は舎利なり。さて末法にては南無妙法蓮華経なり。好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり。今留とは末法なり。此とは一閻浮提の中には日本国なり。汝とは末法の一切衆生なり。取は法華経を受持する時の儀式なり。服するとは唱え奉る事なり。服するより無作の三身なり。始成正覚の病患差(びょうげん・いゆ)るなり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり。

 第十一 自我得仏来の事
 御義口伝に云く、一句三身の習いの文と云うなり。自とは九界なり。我とは仏界なり。此の十界は本有無作の三身にして来たる仏なりと云えり。自も我も得たる仏来たれり。十界本有の明文なり。我は法身、仏は報身、来は応身なり。此の三身・無始無終の古仏にして自得なり。無上宝聚・不求自得(ふぐ・じとく)之を思う可し。然らば即ち顕本遠寿(けんぽん・おんじゅ)の説は永く諸教に絶えたり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは自我得仏来の行者なり云云。

 第十四 時我及衆僧 倶出霊鷲山(くしゅつ・りょうじゅせん)の事
 御義口伝に云く、霊山一会・儼然未散(りょうぜんいちえ・げんねんみさん)の文なり。時とは感応末法の時なり。我とは釈尊、及とは菩薩、聖衆を衆僧と説かれたり。倶とは十界なり。霊鷲山とは寂光土なり。時に我も・及も・衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり。秘す可し・秘す可し。
 本門事の一念三千の明文なり。御本尊は此の文を顕はし出だし給うなり。されば倶とは不変真如の理なり。出とは随縁真如の智なり。倶とは一念なり。出とは三千なり云云。
 又云く、時とは本時・娑婆世界の時なり。下は十界宛然(おんねん)の曼陀羅を顕す文なり。其の故は時とは末法第五時の時なり。我とは釈尊、及は菩薩、衆僧は二乗、倶とは六道なり。出とは霊山浄土に列出するなり。霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云。

 第十五 衆生見劫尽〇而衆見焼尽の事
 御義口伝に云く、本門寿量の一念三千を頌する文なり。大火所焼時とは実義には煩悩の大火なり。我此土安穏とは国土世間なり。衆生所遊楽とは衆生世間なり。宝樹多華菓とは五陰世間なり。是れ即ち一念三千を分明(ふんみょう)に説かれたり。
 又云く、上の件(くだん)の文は十界なり。大火とは地獄界なり。天皷(てんく)とは畜生なり。人と天とは人天の二界なり。天と人と常に充満するなり。雨曼陀羅華(うまんだらけ)とは声聞界なり。園林とは縁覚界なり。菩薩界とは及の一字なり。仏界とは散仏なり。修羅と餓鬼界とは憂怖(うふ)諸苦悩・如是悉充満の句に摂するなり。此等を是諸罪衆生と説かれたり。然りと雖も此の寿量品の説顕われては、則皆見我身(そっかいけん・がしん)とて一念三千なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

 第十六 我亦為世父(がやくいせぶ)の事
 御義口伝に云く、我とは釈尊、一切衆生の父なり。主師親に於て仏に約し、経に約す。
 仏に約すとは迹門の仏の三徳は今此三界の文是なり。本門の仏の主師親の三徳は、主の徳は我此土安穏の文なり。師の徳は常説法教化の文なり。親の徳は此の我亦為世父の文是なり。妙楽大師は寿量品の文を知らざる者は不知恩の畜生と釈し給えり。
 経に約すれば「諸経中王」は主の徳なり。「能救(のうぐ)一切衆生」は師の徳なり。「又如大梵天王・一切衆生之父」の文は父の徳なり。
 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり。無間地獄の苦を救う故なり云云。涅槃経に云く「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」と云云。日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし。

 第十八 行道不行道の事
 御義口伝に云く、十界の衆生の事を説くなり。行道は四聖、不行道は六道なり。又云く、行道は修羅人天、不行道は三悪道なり。
 所詮末法に入つては法華の行者は行道なり、謗法の者は不行道なり。道とは法華経なり。天台云く「仏道とは別して今の経を指す」と。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは行道なり、唱えざるは不行道なり云云。

 第十九 毎自作是念(まいじさぜねん)の事
 御義口伝に云く、毎とは三世なり。自とは別しては釈尊、惣じては十界なり。是念とは無作本有(むさ・ほんぬ)の南無妙法蓮華経の一念なり。作とは此の作は有作(うさ)の作に非ず、無作本有の作なり云云。
 広く十界本有に約して云わば、自とは万法己己の当体なり。是念とは地獄の呵責(かしゃく)の音、其の外一切衆生の念念・皆是れ自受用(じじゅゆう)報身の智なり。是を念とは云うなり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る念は大慈悲の念なり云云。

 第二十 得入無上道等の事
 御義口伝に云く、無上道とは寿量品の無作の三身なり。此の外に成就仏身・之れ無し。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は成就仏身・疑ひ無きなり云云。
 御義口伝に云く、自とは九界なり。我とは仏身なり。偈とはことわるなり。本有(ほんぬ)と・ことわりたる偈頌(げじゅ)なり。深く之を案ず可し。偈(ことわり)様とは南無妙法蓮華経なり云云。

 第二十一 自我偈(じがげ)の事
 御義口伝に云く、自とは九界なり。我とは仏身なり。偈とはことわるなり。本有(ほんぬ)と・ことわりたる偈頌(げじゅ)なり。深く之を案ず可し。偈(ことわり)様とは南無妙法蓮華経なり云云。

  第二十二 自我偈始終の事
 御義口伝に云く、自とは始めなり。速成就仏身の身は終りなり。始終自身なり。中の文字は受用なり。仍つて自我偈は自受用身(じじゅ・ゆうしん)なり。法界を自身と開き、法界自受用身なれば自我偈に非ずと云う事なし。
 自受用身(ほしいままに・うけ・もちいる・み)とは一念三千なり。伝教云く「一念三千即自受用身、自受用身とは尊形(そんぎょう)を出でたる仏と。出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

 第二十三 久遠の事
 御義口伝に云く、此の品の所詮は久遠実成なり。久遠とは・はたらかさず、つくろわず、もとの儘(まま)と云う義なり。
 無作の三身なれば初めて成ぜず、是れ働かざるなり。卅二相(さんじゅうにそう)八十種好(しゅごう)を具足せず、是れ繕(つくろ)わざるなり。本有常住の仏なれば本(もと)の儘(まま)なり、是を久遠と云うなり。

 第二十五 建立御本尊等の事
 御義口伝に云く、此の本尊の依文(えもん)とは如来秘密・神通之力の文なり。
 戒定慧(かいじょうえ)の三学は、寿量品の事の三大秘法是れなり。日蓮慥(たしか)に霊山に於て面授口決(めんじゅ・ぐけつ)せしなり。本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。

 第二十七 無作三身の事 種子尊形三摩耶(さまや)
 御義口伝に云く、尊形とは十界本有の形像なり。三摩耶とは十界所持の物なり。種子とは信の一字なり。所謂南無妙法蓮華経、改めざるを云うなり。三摩耶とは合掌なり。秘す可し・秘す可し云云。

弟子の心得 28_f0301354_15590333.jpg



by johsei1129 | 2026-05-03 16:01 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)


<< 弟子の心得 29      弟子の心得 27 >>