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2026年 03月 30日
受くるはやすく、持つはかたし。さる間・成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり。 問うて曰く、迦葉・阿難等の諸の小聖・何ぞ大乗経を弘めざるや。 答えて曰く、一には自身堪えざるが故に、二には所被の機無きが故に、三には仏より譲り与えられざるが故に、四には時来らざるが故なり。 問うて曰く、竜樹・天親等何ぞ一乗経を弘めざるや。 答えて曰く、四つの義有り先の如し。 問うて曰く、諸の真言師の云く「仏の滅後八百年に相当つて竜猛菩薩、月氏に出現して釈尊の顕経たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し、大日の密経をば自ら南天の鉄塔を開拓し、面(まのあた)り大日如来と金剛薩埵(さった)とに対して之を口決(ぐけつ)す。 竜猛菩薩に二人の弟子有り。 提婆菩薩には釈迦の顕教を伝え、竜智菩薩には大日の密教を授く。 竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず。 其の間に提婆菩薩の伝うる所の顕教は先づ漢土に渡る。 其の後・数年を経歴して竜智菩薩の伝うる所の秘密の教を善無畏・金剛智・不空・漢土に渡す」等云云。 此の義如何。 答えて曰く、一切の真言師是くの如し。 又天台華厳等の諸家も一同に之を信ず。 抑(そもそも)竜猛已前には月氏国の中には大日の三部経無しと云うか。 釈迦よりの外に大日如来世に出現して三部の経を説くと云うか。 顕を提婆に伝え、密を竜智に授くる証文・何れの経論に出でたるぞ。 此の大妄語は提婆の欺誑罪(ぎおうざい)にも、過ぎ瞿伽利(くぎゃり)の誑言(おうごん)にも超ゆ。 漢土日本の王位の尽き・両朝の僧侶の謗法と為るの由来・専ら斯れに在らずや。 然れば則ち彼の震旦・既に北蕃の為に破られ、此の日域も亦西戎の為に侵されんと欲す。 今末法に入つて此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ。其の外・閻浮守護の天神・地祇も或は他方に去り、或は此の土に住すれども悪国を守護せず。或は法味を嘗めざれば守護の力無し。例せば法身の大士に非ざれば・三悪道に入られざるが如し。大苦忍び難きが故なり。而るに地涌千界の大菩薩・一には娑婆世界に住すること多塵劫なり、二には釈尊に随つて久遠より已来(このかた)初発心の弟子なり、三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり。是くの如き等の宿縁の方便・諸大菩薩に超過せり。 後鳥羽院の御代に源空法然、観無量寿経の読誦大乗の一句を以て法華経を摂入(しょうにゅう)し「還つて称名念仏に対すれば雑行方便なれば・捨閉閣抛(しゃへいかくほう)せよ」等云云。 然りと雖も五十余年の間、南都・北京(ほっきょう)・五畿・七道の諸寺・諸山の衆僧等、此の悪義を破ること能はざりき。予が難破・分明(ふんみょう)為るの間、一国の諸人・忽ち彼の選択集を捨て了んぬ。「根露るれば枝枯れ、源乾(かわ)けば流れ竭(つ)く」とは蓋し此の謂(いい)なるか。 加之(しかのみ)ならず唐の半(なかば)、玄宗皇帝の御代に善無畏・不空等、大日経の住心品の如実一道心の一句に於て法華経を摂入し・返つて権経と下す。日本の弘法大師は六波羅蜜経の五蔵の中に第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵に於て法華経・涅槃経等を摂入し、第五の陀羅尼蔵に相対して争つて醍醐を盗む等云云。此等の禍咎(かぐ)は日本一州の内四百余年、今に未だ之を糾明せし人あらず。予が所存の難勢遍く一国に満つ。必ず彼の邪義を破られんか。此等は且らく之を止む。 遵式の筆に云く「始め西より伝う・猶月の生ずるが如し。今復東より返る・猶日の昇るが如し」云云。 正像二千年には西より東に流る、暮月(ぼげつ)の西空より始まるが如し。末法五百年には東より西に入る、朝日の東天より出ずるに似たり。 根本大師の記に云く「代を語れば則ち像の終り・末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原(たず)ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云く猶多怨嫉・況滅度後と。此の言良(まこと)に以(ゆえ)有るが故に」云云。又云く「正像稍(やや)過ぎ已つて末法太だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり。何を以て知る事を得ん。安楽行品に云く、末世法滅の時なり」云云。 此の釈は語・美(うるわ)しく心隠れたり。読まん人之を解し難きか。伝教大師の語は我が時に似て・心は末法を楽(ねが)いたもうなり。大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり。大集経の文を以て之を勘うるに、大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当る。全く第五闘諍堅固の時に非ず。而るに余処の釈に「末法太有近」の言は有り。定めて知んぬ闘諍堅固の筆は我が時を指すに非ざるなり。 予・倩(つらつら)事の情(こころ)を案ずるに、大師・薬王菩薩として霊山会上に侍して、仏・上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に粗之を喩すか。而るに予・地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に・地涌の大士に前立(さきだ)ちて粗五字を示す。例せば西王母の先相には青鳥、客人の来たるには・かん鵲(じゃく)の如し。 此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し、八宗の章疏を習学すべし。然れば則ち予・所持の聖教・多多之有り。然りと雖も両度の御勘気・衆度(しゅど)の大難の時は、或は一巻二巻散失し、或は一字二字脱落し、或は魚魯(ぎょろ)の謬誤(あやまり)、或は一部二部損朽(そんきゅう)す。若し黙止して一期(いちご)を過ぐるの後には、弟子等定んで謬乱出来(びゅうらん・しゅったい)の基(もとい)なり。爰を以つて愚身・老耄(ろうもう)已前に之を糾調せんと欲す。而るに風聞の如くんば・貴辺並びに大田金吾殿、越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多(あまた)の聖教あり等云云。両人共に大檀那為り、所願を成ぜしめたまえ。 涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解(さと)り、外には清浄の檀越有つて仏法久住せん」云云。天台大師は毛喜等を相語らい、伝教大師は国道・弘世(くにみち・ひろよ)等を恃怙(たの)む云云。 仁王経に云く「千里の内をして七難起こらざらしむ」云云。法華経に云く「百由旬の内に諸の衰患無からしむ」云云。 国主・正法を弘通すれば・必ず此の徳を備う。臣民等此の法を守護せんに・豈家内の大難を払わざらんや。 又法華経の第八に云く「所願虚しからず亦現世に於て其の福報を得ん」と。又云く「当に今世に於て現の果報を得べし」云云。 此の願ひ若し成ぜば、崑崙山の玉・鮮かに求めずして蔵に収まり、大海の宝珠・招かざるに掌(たなごころ)に在らん。恐惶謹言。 方便品の長行・書進(かきまいら)せ候。先に進(まいら)せ候し自我偈に相副(そえ)て読みたまうべし。此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり。 いづくも定めなし。仏になる事こそ・つゐ(終)のすみか(栖)にては候へと・をもひ切らせ給ふべし。恐々謹言。 大事には小瑞なし。大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法・国にあり、大正法必ずひろまるべし。各各なにをかなげかせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも、まい(舞)をも・まいぬべし。舎利弗にあらねども、立つて・をど(踊)りぬべし。上行菩薩の大地よりいで給いしには、をど(踊)りてこそ・いで給いしか。普賢菩薩の来たるには・大地を六種にうごかせり。事多しといへども・しげきゆへにとどむ、又又申すべし 仏は二百五十戒を持ち・三千の威儀をととのへ給いしかば、諸の天人これを渇仰し四衆これを恭敬(くぎょう)す。提婆達多を人たとまざりしかば・いかにしてか世間の名誉・仏にすぎんと・はげみしほどに、とかう(左右)案じいだして仏にすぎて世間にたとまれぬべき事五つあり。四分律に云く、一には糞掃衣(ふんぞうえ)・二には常乞食・三には一座食・四には常露座・五には塩及び五味を受けず等云云。仏は人の施す衣をうけさせ給う・提婆達多は糞掃衣、仏は人の施す食をうけ給う・提婆は只常乞食、仏は一日に一二三反も食せさせ給い・提婆は只一座食、仏は塚間(ちょかん)・樹下にも処し給い、提婆は日中常露座なり、仏は便宜には・しを(塩)復は五味を服し給い、提婆はしを等を服せず。かうありしかば世間・提婆の仏にすぐれたる事・雲泥なり。 信なくして此の経を行ぜんは、手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企つるが如し。 孝経と申すに二あり。一には外典の孔子と申せし聖人の書に孝経あり。二には内典、今の法華経是なり。内外異なれども其意は是れ同じ。釈尊・塵点劫の間・修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ、孝養の事なり。然るに六道四生の一切衆生は皆父母なり。孝養おへざりしかば仏にならせ給はず。 今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。所謂地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば、一切衆生・皆仏になるべきことはり(理)顕る。 「仮令(たとい)法界に遍く善を断ちたる諸の衆生も、一たび法華経を聞かば決定(けつじょう)して菩提を成ぜん」云云。 夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり。自我偈は二十八品のたましひなり。三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目とす。 悪王あつて法華経を失わば身命をほろぼすとも随うべからず。持戒精進の大僧等・法華経を弘通するやうにて而も失うならば是を知つて責むべし。 法華経に云く「我身命を愛せず但(た)だ無上道を惜しむ」云云。涅槃経に云く「寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿(かく)さざれ」等云云。 問うて云く、汝が義の如きは我が法華経の行者なるを用いざるが故に天変地夭等ありと。法華経第八に云く「頭破れて七分と作らん」と。第五に云く「若し人悪(にく)み罵れば口・則ち閉塞す」等云云。如何ぞ数年が間・罵(のる)とも怨(あだむ)とも其の義なきや。 答う、反詰して云く、不軽菩薩を毀訾(きし)し罵詈し打擲(ちょうちゃく)せし人は口閉頭破(こうへい・ずは)ありけるか如何。 問う、然れば経文に相違する事如何。 答う、法華経を怨む人に二人あり。一人は先生(せんじょう)に善根ありて・今生に縁を求めて菩提心を発して仏になるべき者は、或は口閉ぢ・或は頭破(わ)る。一人は先生に謗人なり、今生にも謗じ、生生に無間地獄の業を成就せる者あり。是はのれども口則ち閉塞せず。譬えば獄に入つて死罪に定まる者は、獄の中にて何なる僻事あれども、死罪を行うまでにて別の失なし。ゆり(免)ぬべき者は獄中にて僻事(ひがごと)あれば・これをいましむるが如し。 此の身のぶ(延)のさわは石なんどはおほく候、されども・かかるものなし。その上夏のころなれば民のいとまも候はじ。又御造営と申し・さこそ候らんに、山里の事を・をもひやらせ給いて・をくりたびて候。所詮は・わがをやの・わかれをしさに・父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給うにや。孝養の御心(みこころ)か。 さる事なくば梵王・帝釈・日月・四天、その人の家をすみかとせんと・ちかはせ給いて候は・いふにかひ(功)なきものなれども、約束と申す事はたがへぬ事にて候に、さりとも・この人人はいかでか仏前の御約束をば・たがへさせ給い候べき。もし此の事まことになり候はば、わが大事とおもはん人人のせいし(制止)候。又おほきなる難来るべし。その時すでに此の事かなうべきにやと・おぼしめして、いよいよ強盛なるべし。さるほどならば聖霊・仏になり給うべし。成り給うならば来たりて・まほり給うべし。 源濁りぬれば流れ浄からず、身曲がりぬれば影直(なお)からず。真言の元祖・善無畏等は既に地獄に堕ちぬべかりしが、或は改悔して地獄を免れたる者もあり、或は唯依経を弘めて法華経の讃歎をも・せざれば・生死は離れねども悪道に堕ちざる人もあり。而るを末末の者・此の事を知らずして諸人一同に信をなしぬ。譬えば破(やぶれ)たる船に乗つて大海に浮び、酒に酔(よえ)る者の火の中に臥せるが如し。 日蓮是を見し故に・忽ちに菩提心を発して此の事を申し始めしなり。世間の人人・何(いか)に申すとも信ずる事はあるべからず。還つて流罪・死罪せらるべしとは兼ねて知つてありしかども、今の日本国は法華経に背き、釈迦仏を捨つる故に後生は必ず無間大城に堕ちん事はさてをきぬ、今生にも必ず大難に値うべし。所謂他国より責め来たつて上一人より下万民に至るまで一同の歎きあるべし。譬えば千人の兄弟が一人の親を殺したらんに此の罪を千に分(わけ)ては受くべからず。一一に皆無間大城に堕ちて同じく一劫を経(ふ)べし。此の国も又又是くの如し。 娑婆世界は五百塵点劫より已来(このかた)・教主釈尊の御所領なり。大地・虚空・山海・草木・一分も他仏の有(もの)ならず。又一切衆生は釈尊の御子(みこ)なり。 又若し命ともなるならば法華経ばし恨みさせ給うなよ。又閻魔王宮にしては何とか仰せあるべき。おこがましき事とはおぼすとも、其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ。 法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず・みず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には「若有聞法者・無一不成仏」ととかれて候。 故聖霊は法華経に命をすてて・をはしき。わづかの身命をささえしところを法華経のゆへにめ(召)されしは、命をすつるにあらずや。彼の雪山童子の半偈のために身をすて、薬王菩薩の臂をやき給いしは・彼は聖人なり、火に水を入るるがごとし。此れは凡夫なり、紙を火に入るるがごとし。此れをもつて案ずるに聖霊は此の功徳あり。 力あらば・と(訪)ひまひらせんと・をもうところに衣(ころも)を一つ給ぶでう・存外の次第なり。法華経はいみじき御経にてをはすれば、もし今生にいきある身ともなり候いなば、尼ごぜんの生きてをわしませ、もしは草のかげにても御らんあれ。をさなき・きんだち(公達)等をば・かへり見たてまつるべし。 さどの国と申しこれと申し・下人一人つけられて候は・いつの世にかわすれ候べき。此の恩は・かへりて・つか(仕)へ・たてまつり候べし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
by johsei1129
| 2026-03-30 11:10
| 血脈・相伝・講義
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