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日蓮大聖人『御書』解説

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2026年 02月 08日

御本尊の明文(4)

 御文(ふみ)うけ給わり候い了んぬ。日蓮流罪して先先(さきざき)にわざわいども重なりて候に、又なにと申す事か候べきとは・をもへども、人のそん(損)ぜんとし候には不可思議の事の候へば・さが(前兆)候はんずらむ。もしその義候わば・用いて候はんには百千万億倍のさいわいなり。今度ぞ三度になり候。法華経も・よも日蓮を・ゆるき行者とはをぼせじ。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御利生、今度みはて(見果)候はん。あわれ・あわれ・さる事の候へかし。雪山童子の跡ををひ・不軽菩薩の身になり候はん。いたづらに・やくびやう(疫病)にや・をかされ候はんずらむ。をいじに(老死)にや死に候はんずらむ。あらあさまし・あさまし。願くは法華経のゆへに国主にあだまれて、今度・生死をはなれ候わばや。天照太神・正八幡・日月・帝釈・梵天等の仏前の御ちかい・今度心み候わばや。
 事事さてをき候いぬ。各各の御身の事は此れより申しはからうべし。さで・をはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給うにては候らめ。あなかしこ・あなかしこ。

 さどの国より此の甲州まで入道の来たりしかば、あらふしぎや・とをもひしに、又今年来て・なつ(菜摘)み、水くみ、たきぎ(薪)こり、だん(檀)王の阿志仙人につかへしがごとくして一月に及びぬる不思議さよ。ふでをもちてつくしがたし。これひとへに又尼ぎみの御功徳なるべし。
 又御本尊一ぷく(幅)かきてまいらせ候。霊山浄土にては、かならず・かならず・ゆきあひたてまつるべし。恐々謹言。
                                                  [是日尼御書]

 譬喩品に云く「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」等云云。
 法華経の持者は教主釈尊の御子なれば争(いか)でか梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜・朝暮に守らせ給はざるべきや。厄の年、災難を払はん秘法には法華経に過ぎず。たのもしきかな・たのもしきかな。
 さては鎌倉に候いし時は細細(こまごま)申し承わり候いしかども、今は遠国に居住候に依りて面謁(めんえつ)を期する事・更になし。されば心中に含みたる事も使者・玉章(たまぐさ)にあらざれば申すに及ばず。歎かし歎かし。当年の大厄をば日蓮に任せ給へ。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の・法華経の御約束の実不実は是れにて量るべきなり。又又申すべく候。

 御布施七貫文送り給び畢んぬ。
 属累品(ぞくるいぼん)の御心は仏・虚空に立ち給いて四百万億那由佗の世界にむさしの(武蔵野)の・すすき(芒)のごとく・富士山の木のごとく、ぞくぞくと・ひざをつめよせて頭を地につけ、身をまげ、掌(て)をあはせ、あせを流し、つゆ(露)しげくおはせし上行菩薩等・文殊等・大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に法華経をゆづ(譲)らんがために、三度まで頂をなでさせ給ふ。譬えば悲母の一子が頂のかみをな(撫)づるがごとし。爾の時に上行乃至(ないし)日月等、忝(かたじけな)き仰せを蒙りて法華経を末代に弘通せんと・ちかひ給いしなり。

 日本国には人王第三十代・欽明天皇の御宇治(みよしろしめす)十三年、壬申(みずのえさる)十月十三日辛酉(かのととり)の日、此れより西・百済国と申す国より聖明皇(せいめいおう)日本国に仏法をわたす。此れは漢土に仏法わたりて四百年・仏滅後一千四百余年なり。其の中にも法華経はましまししかども人王第三十二代・用明天皇の太子・聖徳太子と申せし人、漢土へ使ひを・つかわして法華経を・とりよせ・まいらせて日本国に弘通し給いき。それより・このかた七百余年なり。仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候上、月氏・漢土・日本の山山・河河・海海・里里・遠くへだたり。人人・心心・国国・各各・別別にして語(ことば)かわり・しな(級)ことなれば、いかでか仏法の御心(みこころ)をば我等凡夫は弁(わきま)え候べき。ただ経経の文字を引き合せてこそ知るべきに、一切経はやうやう(様様)に候へども法華経と申す御経は八巻まします。流通(るつう)に普賢経・序文の無量義経・各一巻已上。此の御経を開き見まいらせ候へば、明かなる鏡をもつて我が面を見るがごとし。日出でて草木の色を弁(わきま)えるに・にたり。
 序品の無量義経を見みまいらせ候へば「四十余年未だ真実を顕わさず」と申す経文あり。法華経の第一の巻・方便品の始めに「世尊の法は久しき後に要(かな)らず当に真実を説きたもうべし」と申す経文あり。第四の巻の宝塔品には「妙法華経・皆是真実」と申す明文あり。第七の巻には「舌相梵天に至る」と申す経文赫赫(かくかく)たり。其の外は此の経より外のさき・のち(前後)ならべる経経をば星に譬へ・江河に譬へ・小王に譬へ・小山に譬へたり。法華経をば月に譬へ・日に譬へ・大海・大山・大王等に譬へ給へり。此の語(ことば)は私の言には有らず、皆如来の金言なり。十方の諸仏の御評定の御言なり。
 一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈・今の天に懸(かか)りて明鏡のごとくにまします。日月も見給いき、聞き給いき。其の日月の御語も此の経にのせられて候。月氏・漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなり給いし神神なり。天照太神・八幡大菩薩・熊野・すずか等の日本国の神神もあらそひ給うべからず。
 此の経文は一切経に勝れたり。地走る者の王たり師子王のごとし、空飛ぶ者の王たり鷲(わし)のごとし。南無阿弥陀仏経等はきじ(雉)のごとし、兎(うさぎ)のごとし。鷲につかまれては涙をながし、師子にせめられては腸(はら)わたをたつ。念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし。法華経の行者に値(あ)いぬれば、いろを失い・魂をけすなり。

 此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後、二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず。漢土の天台・日本の伝教ほぼ・しろしめして・いささか・ひろめさせ給はず。当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ。経には上行・無辺行等こそ出でて・ひろめさせ給うべしと見へて候へども・いまだ見へさせ給はず。日蓮は其の人に候はねども・ほぼこころえて候へば、地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみにあらあら申して・況滅度後(きょうめつどご)のほこさき(矛先)に当たり候なり。願わくは此の功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候。其の旨をしらせまいらせむがために御不審を書きおくりまいらせ候に、他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をも・いのらせ給い候へ。又これより申さんと存じ候。いかにも御房たちはからい申させ給へ。

 問うて云く、当時は釈尊入滅の後・今に二千二百三十余年なり。一切経の中に何(いずれ)の経が時に相応して弘まり・利生も有るべきや。大集(だいしつ)経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳に当時はあたれり。其の第五の五百歳をば闘諍堅固・白法隠没と云つて人の心たけく・腹あしく・貪欲・瞋恚(しんに)・強盛なれば軍(いくさ)合戦のみ盛(さかん)にして仏法の中に先き先き弘まりし所の真言・禅宗・念仏・持戒等の白法は隠没すべしと仏説き給へり。第一の五百歳・第二の五百歳・第三の五百歳・第四の五百歳を見るに、成仏の道こそ未顕真実なれ世間の事法は仏の御言(ことば)一分も違はず。是を以て之を思うに当時の闘諍堅固・白法隠没の金言も違う事あらじ。若爾(もししか)らば末法には何(いずれ)の法も得益あるべからず、何れの仏菩薩も利生あるべからずと見えたり如何。さてもだ(黙止)して何(いずれ)の仏菩薩にもつかへ奉らず・何の法をも行ぜず・憑(たの)む方(かた)なくして候べきか。後世をば如何が思い定め候べきや。
 答えて云く、末法当時は久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり・上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり。其の故は経文明白なり。道心堅固にして志あらん人は委(くわし)く是を尋ね聞くべきなり。

 問うて云く、仏の名号を持つ様に法華経の名号を取り分けて持つべき証拠ありや如何(いかん)。
 答えて云く、経に云く「仏・諸の羅刹女(らせつにょ)に告げたまわく、善き哉・善き哉、汝等但能く法華の名を受持する者を擁護(おうご)せん福(さいわい)量る可からず」と云云。
 此の文の意は十羅刹の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給うを・大覚世尊讃めて言(のたまわ)く、善き哉・善き哉、汝等・南無妙法蓮華経と受け持(たも)たん人を守らん功徳・いくら程とも計りがたく・めでたき功徳なり・神妙なりと仰せられたる文なり。是れ我等衆生の行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に南無妙法蓮華経と唱ふべしと云う文なり。
 凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と、梵王・帝釈等の仏性と、舎利弗・目連等の仏性と、文殊・弥勒等の仏性と、三世の諸仏の解(さとり)の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり。故に一度(ひとたび)妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚(よ)び顕し奉る功徳・無量無辺なり。
 我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて・我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよび・よばれて顕はれ給う処を仏とは云うなり。譬えば篭(かご)の中の鳥なけば・空(そら)とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば・篭の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。されば「若し暫(しばら)くも持つ者は我れ則ち歓喜す。諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり。
 されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり。三世の諸仏の出世の本懐・一切衆生・皆成仏道の妙法と云うは是なり。是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には我慢偏執(がまんへんしゅう)の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。
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 御守り書てまいらせ候。三界の主(あるじ)教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女・御供養の御布施・前に二貫・今一貫云云。
 法華経の寿量品に云く「或は己身を説き・或は他身を説く」等云云。
 東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏・上行菩薩等・文殊師利・舎利弗等・大梵天王・第六天の魔王・釈提桓因(しゃくだいかんにん)王・日天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星・阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神、一切世間の国国の主とある人・何れか教主釈尊ならざる。天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり。
 例せば釈尊は天の一月・諸仏・菩薩等は万水に浮べる影なり。釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり。譬えば頭をふればかみ(髪)ゆるぐ、心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき。

 一切衆生又食するによりて寿命を持つ。食に多数あり。土を食し・水を食し・火を食し・風を食する衆生もあり。求羅(ぐら)と申す虫は風を食す、うぐろもち(鼹鼠)と申す虫は土を食す。人の皮肉・骨髄等を食する鬼神もあり、尿糞等を食する鬼神もあり、寿命を食する鬼神もあり、声を食する鬼神もあり、石を食するいを(魚)・くろがね(鉄)を食するばく(獏)もあり、地神・天神・竜神・日月・帝釈・大梵王・二乗・菩薩・仏は、仏法をなめて身とし魂とし給ふ。

 しかるに日蓮が一るい・いかなる過去の宿しう(習)にや。法華経の題目のだんなとなり給うらん。是をもつてをぼしめせ。今梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩・日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎは過去の輪陀王のごとし。白馬は日蓮なり。白鳥は我らが一門なり。白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり。此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をまし、ひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと、つよづよと・をぼしめすべし。
                                     [曾谷殿御返事 (輪陀王御書)]

 銭一貫文給いて頼基(よりもと)がまいらせ候とて法華経の御宝前に申し上げて候。定めて遠くは教主釈尊並びに多宝・十方の諸仏、近くは日月の宮殿にわたらせ給うも御照覧候ぬらん。



by johsei1129 | 2026-02-08 11:10 | 御書 INDEX・略歴 | Trackback | Comments(0)


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