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2026年 02月 03日
一 譬如良医・智慧聰達(ひにょろうい・ちえそうだつ)の事 仰せに云く、良医とは教主釈尊、智慧とは八万法蔵・十二部経なり。聡達(そうだつ)とは三世了達なり。薬とは妙法の良薬なり。 さて寿量品の意は十界本有と談ぜり。されば此の薬師とは一切衆生の事なり。智慧とは万法己己の自受用報身(じじゅゆう・ほうしん)の振舞なり。聡達とは自在自在に振舞うを聡達とは云うなり。 所詮末法・当今の為の寿量品なれば・法華経の行者の上の事なり。此の智慧とは南無妙法蓮華経なり。聡達とは本有無作三身(ほんぬ・むさ・さんじん)なりと云う事なり。元品の無明の大良薬は南無妙法蓮華経なり。智とは一切衆生の力なり。慧とは一切衆生の言語音声なり。故に偈頌(げじゅ)に云く「我智力如是・慧光照無量」と云えり云云。 一 一念信解の事 仰せに云く、此の経文は一念三千の宝珠(ほうじゅ)を納めたる函(はこ)なり。此れは現在の四信の初めの一念信解なり。さて滅後の五品の初めの十心具足・初随喜品も一念三千の宝を積みたる函なり。法華経の骨髄・末法に於て法華経の行者の修行の相貌・分明(そうみょう・ふんみょう)なり。 所詮・信と随喜とは心同じなり。随喜するは信心なり、信心するは随喜なり。一念三千の法門は信心随喜の函に納りたり。 又此の函とは所謂南無妙法蓮華経是なり。又此の函は我等が一心なり。此の一心は万法の総体なり。総体は題目の五字なり。一念三千と云うが如く・一心三千もあり。釈に云く「介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す」と。 又宝函(ほうかん)とは我等が色心の二法なり。本迹両門・生死の二法・止観の二法なり。所詮・信心の函に入れたる南無妙法蓮華経の函なり云云。 一 若復有人 以七宝満 三千大千世界 供養於仏 及大菩薩 辟支仏 阿羅漢 是人所得功徳 不如受持 此法華経 乃至一四偈 其福最多の事 仰せに云く、此の経文は七宝を以て三千大千世界に満てて四聖を供養せんよりは、法華経の一偈を受持し奉らんには・をとれりと説かれたり。天台大師は生養成栄(しょう・よう・じょう・えい)の四の義を以て法華経の功徳を釈し給えり。 所詮末法に入つては題目の五字即ち是なり。此の妙法蓮華経の五字は万法能生の父母なり。生養成栄も亦復是くの如きなり。仍って釈には法を以つて本と為すと釈せり。三世十方の諸仏は妙法蓮華経を以て父母とし給えり。此の故に四聖を供養するよりも法華経を持(たも)つは勝れたり。七宝は世間の財宝なり、四聖は滅に帰する仏菩薩・羅漢なり。さて妙法の功徳は一得永不失(いっとく・ようふしつ)なれば朽失(くしつ)せざる功徳なり。此の故に勝れたり云云。 一 妙音菩薩の事 仰せに云く、妙音菩薩とは十界の語言音声なり。此の音声・悉く慈悲なり。菩薩とは是れなり。 一 妙法蓮華経・陀羅尼(だらに)の事 仰せに云く、妙法蓮華経・陀羅尼とは正直捨方便・但説無上道なり。五字は体なり、陀羅尼は用(ゆう)なり。妙法の五字は我等が色心なり、陀羅尼は色心の作用なり。所詮陀羅尼とは呪(じゅ)なり。妙法蓮華経を以て煩悩即菩提・生死即涅槃と呪(まじな)いたるなり。 日蓮等の類い・南無妙法蓮華経を受持するを以て呪とは云うなり。若有能持・即持仏身とまじないたるなり。 釈に云く陀羅尼とは諸仏の密号と判ぜり。所詮法華折伏・破権門理の義、遮悪持善(しゃあく・じぜん)の義なり云云。 一 妙荘厳王の事 仰せに云く、邪見即正の手本なり。所詮森羅三千の万法・妙を以て荘厳したる王なり。妙とは称歎(しょうたん)の語(ことば)なり。荘厳とは色法なり、王とは心法なり。諸法の色心を不思議とほめたり。然れば妙荘厳王の言、三千の諸法・三諦法性の当位なり。 所詮日蓮等の類・南無妙法蓮華経を以て色心を荘厳したり。此の荘厳とは別してかざり立てたるには非ず、当位即妙の荘厳なり。煩悩即菩提・生死即涅槃是なり云云。 一 無作の応身 我等凡夫也と云う事 仰せに云く、釈に云く「凡夫も亦三身(さんじん)の本を得たり」と云云。 此の本の字は応身の事なり。されば本地無作本覚の体は無作の応身を以て本とせり。仍つて我等凡夫なり。応身は物に応(かな)う身なり。其の上・寿量品の題目を唱え出し奉るは真実に応身如来の慈悲なり云云。 一 妙楽大師の釈に末法之初・冥利不無(まっぽうのはじめ・みょうりなきにあらず)の釈の事 仰せに云く、此の釈の心は末法に於て冥の利益・迹化(しゃっけ)の衆あるべしと云う事なり。此の釈は薬王品の「此経即為・閻浮提人・病之良薬、若人有病・得聞是経・病即消滅・不老不死」云云。此の経文の意を底に含めて釈せり。 妙楽云く「然るに後五百は且らく一往に従う。末法の初(はじめ)冥利無きにあらず。且(しばら)く大教の流行す可き時に拠る。故に五百と云う」と。仍つて本化(ほんげ)の菩薩は顕の利益、迹化は冥の利益なるべし云云。 一 爾前経瓦礫国(にぜんきょう・がりゃくこく)の事 仰せに云く、法華経の第三に云く「如従飢国来(にょじゅう・けこくらい)・忽遇(こつぐ)大王饍」と云云。六の巻に云く「我此土安穏・天人常充満・我浄土不毀」云云。 此の両品の文の意は、権教は悉く瓦礫の旅の国なり。あやまりて本国と思い・都と思う事は迷いの故なり。一往四十二年住したる国なれば・衆生皆本国と思えり。本国は此の法華経なり。信解品に云く「遇向本国(ぐこうほんごく)」と。三五の下種の所を指して本国とも・浄土とも・大王饍とも云うなり。下種の心地・即ち受持信解の国なり云云。 一 無明悪酒の事 仰せに云く、無明の悪酒に酔うと云う事は弘法・慈覚・智証・法然等の人人なり。 無明の悪酒と云う証文は勧持品に云く「悪鬼入其身(あっき・にゅうごしん)」是なり。悪鬼と悪酒とは同じ事なり。悪鬼の鬼は第六天の魔王の事なり。悪酒とは無明なり。無明即魔王・魔王即無明なり。其身(ごしん)の身とは日本国の謗法の一切衆生なり。入ると呑むとは同じ事なり。 此の悪鬼入る人は阿鼻に入る。さて法華経の行者は入仏知見道故と見えて仏道に入る。得入無上道とも説けり。相構え相構えて無明の悪酒を恐るべきなり云云。 一 日蓮己証の事 仰せに云く、寿量品の南無妙法蓮華経是れなり。地涌千界の出現・末代の当世の別付属の妙法蓮華経の五字を・一閻浮提の一切衆生に取り次ぎ給うべき仏の勅使・上行菩薩なり云云。取り次ぎとは、取るとは釈尊より上行菩薩の手へ取り給う。さて上行菩薩又末法当今の衆生に取り次ぎ給えり。是を取り次ぐとは云うなり。広くは末法万年までの取り次ぎなり。是を無令(むりょう)断絶とは説かれたり。又結要(けっちょう)の五字とも申すなり云云。上行菩薩・取り次ぎの秘法は所謂南無妙法蓮華経なり云云。 一 日蓮門家の大事の事 仰せに云く、此の門家の大事は涌出品の前三後三の釈なり。此の釈無くんば本化・迹化の不同、像法付属・末法付属、迹門・本門等の起尽(きじん)・之れ有る可からず。既に止(やみね)善男子の止の一字は日蓮門家の大事なり、秘す可し・秘す可し。 総じて止の一字は正しく日蓮門家の明鏡の中の明鏡なり、口外も詮無し。上行菩薩等を除いては、総じて余の菩薩をば悉く止の一字を以て成敗(せいばい)せり云云。 一 妙法蓮華経の五字を眼と云う事 仰せに云く、法華第四に云く「仏滅度後・能解其義・是諸天人世間之眼」と云云。此の経文の意は、法華経は人天・二乗・菩薩・仏の眼目なり。此の眼目を弘むるは日蓮一人なり。 此の眼には五眼あり。所謂肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり。此の眼をくじりて別に眼を入れたる人あり、所謂弘法大師是なり。法華経の一念三千・即身成仏・諸仏の開眼を止めて真言経にありと云えり。是れ豈法華経の眼を抽(くじ)れる人に非ずや。 又此の眼をとじ・ふさぐ人あり、所謂法然上人是れなり。捨閉の閉の文字は閉眼(へいげん)の義に非ずや。所詮能弘の人に約しては日蓮等の類い・世間之眼なり。所弘の法に随えば此の大乗経典は是れ諸仏の眼なり。 所詮眼の一字は一念三千の法門なり。六万九千三百八十四字を此の眼の一字に納めたり。此の眼の字顕われて見れば煩悩即菩提・生死即涅槃なり。 今末法に入つて眼とは所謂未曾有(みぞうう)の大曼荼羅なり。此の御本尊より外には眼目無きなり云云。 一 法華経の行者に水火の行者の事 仰せに云く、総じて此の経を信じ奉る人に水火の不同あり。其の故は火の如きの行者は多く、水の如き行者はまれなり。火の如しとは此の経のいわれをききて火炎のもえ立つが如く・貴く殊勝に思いて信ずれども・やがて消失す。此れは当座は大信心と見えたれども・其の信心の灯・きゆる事やすし。 さて水の如きの行者と申すは水は昼夜不退に流るるなり、少しもやむ事なし。其の如く法華経を信ずるを水の行者とは云うなり云云。 一 女人と妙と釈尊と一体の事 仰せに云く、女人は子を出生す。此の出生の子・又子を出生す。此くの如く展転して無数の子を出生せり。此の出生の子に善子もあり・悪子もあり・端厳美麗(たんごんびれい)の子もあり・醜陋(しゅうる)の子もあり・長(たけ)のひくき子もあり・大なる子もあり・男子もあり・女子もあり云云。 所詮・妙の一字より万法は出生せり。地獄もあり・餓鬼もあり・乃至仏界もあり・権教もあり・実教もあり・善もあり・悪もあり・諸法を出生せり云云。 又釈迦一仏の御身より一切の仏・菩薩等悉く出生せり。阿弥陀・薬師・大日等は悉く釈尊の一月より万水に浮ぶ所の万影なり。 然らば女人と妙と釈尊との三・全く不同無きなり。妙楽大師の云く「妙即三千・三千即法」云云。提婆品に云く「一つの宝珠有り。価直(あたい)三千大千世界なり」是なり云云。 一 置不呵責(ち・ふかしゃく)の文の事 仰せに云く、此の経文に於ては日蓮等の類(たぐい)のおそるべき文字一字之れ有り。若し此の文字を恐れざれば・縦い当座は事なしとも未来無間の業たるべし。然らば無間地獄へ引き入る獄卒なるべし。夫れは置の一字是なり云云。 此の置の一字は獄卒なるべし。謗法不信の失を見ながら・聞きながら云わずして置かんは、必ず無間地獄へ堕在す可し。仍つて置の一字、獄卒・阿防羅刹(あぼうらせつ)なるべし。尤も以て恐る可きは置の一字なり云云。所詮此の経文の内に獄卒の一字を恐るべきなり云云。此の獄卒の一字を深く之を思う可し。 日蓮は此の字を恐る故に・建長五年より今弘安年中まで、在在所所にて申しはりしなり。只偏に此の獄卒を脱れんが為なり。法華経には「若人不信」とも「生疑不信者」とも説き給えり。法華経の文文句句をひらき・涅槃経の文文句句をひらきたりとも、置いていわずんば叶う可からざるは・此の置の一字より外に獄卒は無きなり云云。 一 不可失本心の事 仰せに云く、此の本心と云うは法華経の信心の事なり。失と申すは謗法の人にすかされて法華経を捨つる心の出来するを云うなり。されば天台大師云く「若し悪友に値えば則ち本心を失う」と云云。此の釈に悪友とは謗法の人の事なり。本心とは法華経なり。法華経を本心と云う意は諸法実相の御経なれば、十界の衆生の心法を法華経とは申すなり。而るに此の本心を引きかえて迷妄の法に著するが故に本心を失うなり。此の本心に於ては三五の下種の法門なり。若し善友に値う時んば失う所の本心を忽ちに見得するなり。所謂迦葉・舎利弗等是なり。善友とは釈迦如来、悪友とは第六天の魔王・外道・婆羅門是なり。 所詮末法に入つて本心とは日蓮弘通の南無妙法蓮華経是なり。悪友とは法然・弘法・慈覚・智証等是なり。若し此の題目の本心を失せんに於ては又三五塵点を経べきなり。但如是展転・至無数劫なるべし。失とは無明の酒に酔いたる事なり。仍って本心を失うと云うなり。此の酔をさますとは権教を捨てしむるを云うなり云云。 一 天台大師を魔王・障礙(しょうげ)せし事 仰せに云く、此の事は随分の秘蔵なり。其の故は天台大師・一心三観・一念三千の観法を説き顕さんとし給いしかば、父母・左右の膝に住して悩まし奉り・障礙(しょうげ)し給いしなり。是れ即ち第六天の魔王が父母の形を現じて障礙せしなり。終に魔王に障礙せられ給わずして摩訶止観の法門起これり。 何に况んや今・日蓮が弘むる南無妙法蓮華経は三世の諸仏の成道の師・十方薩埵(さった)の得道の師匠たり。其の上・正像二千年の仏法は爾前迹門なれば魔王自身・障礙をなさずともなるべし。今末法の時は所弘の法は法華経本門の事の一念三千の南無妙法蓮華経なり。能弘の導師は本化地涌の大菩薩にてましますべし。然る間・魔王自身下りて障礙せずんば叶う可からざるなり。仍つて自身下りたる事分明なり。所謂道隆・良観・最明寺等是なり。然りと雖も諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に・竜口(たつのくち)までもかちぬ。其の外の大難をも脱れたり。今は魔王もこりてや候らん。 日蓮死去の後は残党ども軍を起すべきか。故に夫れも落居(らっこ)は叶う可からざるなり。其の故は第六天の魔王の眷属日本国に四十九億九万四千八百二十八人なりしが、今は日蓮に降参したる事多分なり。経に云く「悪鬼入其身」とは是なり。此の合戦の起こりも所詮南無妙法蓮華経是なり。 魔王に於て体の魔王、用(ゆう)の魔王あり。体の魔王とは法性同共(ほっしょう・どうぐ)の魔王なり。妙法の法是なり。用の魔王とは此れより出生する第六天の魔王なり。用の魔王は障礙をなす。然れども体用同共の諸法実相の一理なり。唯有一門の智慧の門に入り、無明法性一体なるべきなり云云。所謂・摩訶止観の大事の法門是なり。法華経の一代説教に勝れたるは此の故なり。一念三千とは是なり。法華経第三に云く「魔及魔民・皆護仏法」云云。 一 妙法蓮華経五字の蔵の事 仰せに云く、此の意は妙法の五字の中には一念三千の宝珠あり。五字を蔵と定む。天台大師玄義の一に判ぜり。所謂「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵なり」云云。法華経の第四に云く「是れ法華経蔵と云云。妙 華厳 法 阿含 蓮 方等 華 般若 経 涅槃」又云く「妙 涅槃 法 般若 蓮 方等 華 阿含 経 華厳」已上。 妙法蓮華経の五字には十界三千の宝珠あり。三世の諸仏は此の五字の蔵の中より・或は華厳の宝を取り出だし、或は阿含・方等・般若の宝を取り出だし・種種説法し給えり。加之(しかのみならず)・論師・人師等の疏釈(しょしゃく)も悉く此の五字の中より取り出だして一切衆生に与え給えり。此等は皆五字の中より取り出だし給えども・妙法蓮華経の袋をば持ち給わず。所詮五字は上行菩薩の付属にして更に迹化の菩薩・諸論師いろ(弄)はざる題目なり。 仍つて上行所伝の南無妙法蓮華経は蔵なり、金剛不壊の袋なり。此の袋をそのまま日本国の一切衆生には与え給えり。信心を以て此の財宝を受取るべきなり。今末法に入つては日蓮等の類い・受取る所の如意宝珠なり云云。 一 我等衆生の成仏は打ちかためたる成仏と云う証文の事 仰せに云く、経に云く「無上宝聚・不求自得」の文是なり。我等凡夫即極と・はたと打かためたる成仏なり。所謂不求自得する所の南無妙法蓮華経なればなり云云。 一 爾前法華の能くらべの事 仰せに云く、爾前の経にして十悪・五逆等の成仏の能なし。今法華経に十界皆成・分明なり。爾前の経の無能と云う証文とは方便品に云く「但以仮名字・引導於衆生」の文是なり。さて法華経は能と云う証文は諸法実相の文是なり。今末法に入つて第一の能たる南無妙法蓮華経是なり云云。 一 末代譲状の事 仰せに云く、末代とは末法五百年なり。譲状とは手継(てつぎ)の証文たる南無妙法蓮華経是なり。此れを譲るに二義之れ有り。一には跡をゆずり、二には宝をゆずるなり。 一に跡を譲ると云うは釈迦如来の跡を法華経の行者にゆずり給えり。其の証文に云く「如我等無異」の文是なり。 次に財宝をゆずると云うは釈尊の智慧戒徳を法華経の行者にゆずり給えり。其の証文に云く「無上宝聚・不求自得」の文是なりと云云。さて此の題目の五字は譲状なり云云。 一 入末法四弘誓願の事 仰せに云く、四弘誓願をば一文に口伝せり。其の一文とは所謂神力品に云く「於我滅度後・応受持斯経・是人於仏道・決定無有疑」と云云。 此の経文は法華経の序品より始めて四弘誓願の法門を説き終りて、さて上行菩薩に妙法蓮華経を付属し給う時、妙法の五字に四弘誓願を結びて結句に説かせ給えり。 滅後とは末法の始の五百年なり。衆生無辺誓願度と云うは是人の人の字なり。誓願は地涌の本化の上行菩薩の誓願に入らんと。此れ即ち仏道の二字度脱なり。煩悩無辺なれども煩悩即菩提・生死即涅槃と体達す。仏道に入つては煩悩更になし。受持斯経の所には法門無尽誓願知・分明(ふんみょう)なり。無上菩提誓願証と云うは是人於仏道・決定無有疑と定めたる。四弘誓願・分明(ふんみょう)なり。 教主釈尊・末法に入つて四弘誓願も此の文なり。上行菩薩の四弘誓願も此の文なり。深く之を思案す可し云云。 一 本来の四弘の事 仰せに云く、諸法の当体・本来四弘なり。其の故は衆生と云うは法界なり。所詮法界に理・智・慈悲の三を具足せり。応報法の三身・諸法の自体なり。無作の応身を以て衆生無辺誓願度と云うなり。無作の報身には智徳・断徳の二徳を備えたり。煩悩無辺誓願断を以て本有の断徳とは定めたり。法門無尽誓願知を以て本有の智徳とす。無上菩提誓願証を以て無作の法身と云うなり。 所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度を以て肝要とするなり。今日蓮等の類いは南無妙法蓮華経を以て衆生を度する・此より外は所詮なきなり。速成就仏身是なり云云。所詮・四弘誓願は一念三千なり。 さて四弘の弘とは何物ぞ。所謂上行所伝の南無妙法蓮華経なり。釈に云く「四弘・能所・泯(ほろぼ)す」と云云。此の釈は止観に前三教を釈せり。能と云うは如来なり、所とは衆生なり、能所各別するは権教の故なり。法華経の心は能所一体なり。泯(みん)すと云うは権教の心は機法共に一同なれば能所泯すと云うなり。あえて能所一同して成仏する所を泯(みん)すと云うには非ざるなり。今末法に入つて法華経の行者は四弘能所・感応の即身成仏の四弘なり云云。
by johsei1129
| 2026-02-03 16:32
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