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日蓮大聖人『御書』解説

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2025年 07月 22日

国家諌暁史 5

 浄円寺日増申状、祖滅五百七十九年、写本要法寺に在り。現浄円寺帖には日増の名なしと云へども、廿三代と廿四代との間に十年の空位あり或は時の後住等・憚(はば)かりて除歴したるか。


 日蓮聖人の正嫡日興の正統・駿州富士大石寺末、野州都賀郡小薬邑浄円寺日増・誠惶誠恐・謹んで言す。

 抑(そもそ)も人王三十代欽明天皇の御時、百済国より仏法始めて渡来す、其の後三十年を経歴して同じく三十四代推古天皇の御宇(ぎょう)・聖徳太子始めて之れを崇敬(すうぎょう)せらる、爾より来(このか)た仏法弥(いよい)よ広流し、公家武家の御帰依・最も浅からず、之に依つて堂塔稲麻(とうま)の如く僧侶竹葦(ちくい)に似たり、

 爰に日増・生を御国に受けて幸ひに仏門に帰入し鎮(とこしなえ)に経法を修行し奉る、全く以て国君の御厚恩なり、何を以て之れを報じ奉るべけんや、

 而るに近代二十有余年の間・天地の烖妖(さいよう)漫々として未だ輟(や)まず、鳴呼(ああ)劇(はげ)しいかな・恐懼(きょうく)一に非ず、其れ誰か嗟嘆(さたん)せざらんや、

 茲(ここ)に因つて日増・聊(いささか)か管見を以て俯して経論を開拓し、仰いで聖慮を勘考するに、方(まさ)に日本国一同に正法を軽賤(きょうせん)して邪法を崇重す、此の大過に依つて起る所の災害なり。

 夫れ釈尊一代の説教多しと雖も権実(ごんじつ)の二義を出でず、所謂(いわゆる)衆生の調機の為に前に小乗教を演べて之を廃す、次に権大乗を説いて又之を捨て、後実大乗を顕説す、故に無量義経に云く、種々に説法す・方便の力を以つて四十余年に未だ真実を顕さず云云、法華経に云く、正直に方便を捨て但無上道を説く云云、

 然らば則ち仏説に任せ権教を廃して実教を興行せらるべきか、中ん就く仏法は時に適ひて弘通すべし、即ち教に依つて説く、

 然るに如来の滅後・正法前の五百年には迦葉・阿難等小乗を弘め、後の五百年には馬鳴・竜樹等権大乗を弘む巳上千年、像法に入り前の五百年には南岳・天台等の弘法は法華迹門、後の五百年には伝教・義真等は迹門の円戒を弘む巳上千年、

 末法に入り本化地涌の応作(おうさ)日蓮聖人出世して法華経の本門の肝心・妙法蓮華経の五字を弘通す其れ斯(かく)の如し、

 先聖は仏の記文に依つて弘法・時に応ず、謂く盂子云く、孔子は聖の時なる者なり云云、祖書に曰く、老子は母の胎に処して八十年、啇山(てきざん、商山か)の四賢は漢恵の代をまつ、弥勒菩薩は兜率(とそつ)の内院に籠り給ひて五十六億七千万歳をすごし給へり、彼の時鳥(ほととぎす)は春ををくり・鶏鳥(にわとり)は暁(あかつき)を待つ、畜生すら尚是の如し、何(いか)に況や仏法を修行せんに時を糺さゞるべしや巳上、

 又曰く、国中の諸学者等仏法をあらあら学すと云へども時刻相応の道をしらず、四節四季取々に替れり、夏は熱く・冬はつめたく・春花さく・秋は菓なる、春種子を下して秋菓を取るべし、秋種子を下して春菓を取らんに豈(あ)に取らるべけんや、極寒の時・厚き衣は用なり・極熱の夏になにかせん、凉風は夏の用なり冬はなにかせん、仏法も亦復是の如し小乗流布して得益あるべき時もあり、権大乗流布する時もあるべきなり、

 又云く、仏教は必ず国に依つて之を弘むべし、将に日本国は一向小乗の国か・一向大乗の国か・大小兼学の国か・能く能く之を勘ふべし巳上、

 瑜伽(ゆが)論に云く、東方に小国有り・其の中に唯大乗の種姓有り云云、肇公(じょうこう)の翻経(ほんきょう)の記に云く、大師・須利耶蘇摩(しゅりやそま)左の手には法華経を持ち、右の手には鳩摩羅什の頂を摩(な)で授与して云く、仏日・西に入り遺耀(いよう)将に東北に及ばんとす云云、安然和尚云く・我が日本国なり云云、恵心の一乗要決に云く、日本一州円機純一・朝野遠近同く一乗に帰し、緇素貴賤(しそ・きせん)悉く成仏を期す云云、其れ彼れと云ひ此れと云ひ、我が朝・上下万人有智無智を簡(えら)ばず法華の大法を持ち奉るべき御国なり。

 然るに前代流布の念仏・真言・禅・律・天台其の外・種脱雑乱の法華宗等の邪法、今に転(うた)た盛(さかん)にして各(おのおの)自讃毀他の邪義を立て・悉く仏誡に背く、恣(ほしいまま)に権教に依憑(えびょう)して実教を毀謗し、叨(みだ)りに国中を誑惑(おうわく)す、然りと雖も上下万民・之を信ずる故に十方の諸仏・天神地祇・嗔(いかり)を作して起す所の禍(わざわい)なり、

 左伝に云く、賤貴を妨げ寸が長を凌ぐ、遠親を間(さ)き、新旧を間(さ)き、小・大に加はり、淫に義を破ぶる所謂六逆なり、論語に云く、紫の朱を奪ふを悪(にく)むなり、鄭声(ていせい、極めて淫猥の意)の雅楽を乱すを悪む、利口の邦家(=国家の意)を覆(くつがえ)すを悪むと云云、儒典の格言すら尚是くの如し、況や仏法に於てをや、

 一乗流布の時代に権教有りて敵と成り・まぎらはしくは実教より之を責むべし、是れ摂折(しょうしゃく)二門の中には法花折伏と申すなり、天台云く法花折伏・破権門理と、まことに故あるかな巳上、

 此れ則ち我が宗にて念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊・天台過時諸宗・無得道・堕地獄の根元、下種の法花経独り成仏の大法なりと之を呼ぶ、是れ全く自讃毀他にあらず宗祖日蓮大聖人の大慈大悲の金言なり、

 伝教大師云く、法花宗の諸宗に勝るゝは所依の経に拠る故に自讃毀他ならず、庶幾(こいねがわ)くは有智の君子・経を尋ね宗を定めよ云云、其れとは釈尊・自説の権経は自ら破壊(はえ)し後に実教を顕す、所謂経に云く、十方仏土の中・唯一乗の法のみ有り、二も無く亦三も無し、仏の方便の説を除く云云、

 記に云く、世に二仏無く・国に二主無く・一仏境界二の尊号無し云云、孔子の家語に云く、夫れ天に二日無く・国に二君無く・家に二尊無し云云、荘子に云く、夫れ道は雑を欲せず・雑なれば則ち多、多なれば則ち擾(みだ)ると云云。

 然るに本尊も亦復斯(またまた・かく)の如し、国に二尊在ること無し、而るに諸宗の邪徒・空(むなし)く時応の本尊を知らず殆ど迷惑す、於戯(ああ)悲しいかな瓦礫(がりゃく)を崇(とうと)んで明珠を知らず、しかのみならず日本国に大災を速(まね)く、

 之れに依つて諸宗破却の義・言上し奉る者は其の恐れ太だ多しと雖も、道に入つて之れを黙止する則んば仏意に背き、国君の御厚恩を当に忘却するが猶(ごと)し、故に国の為め・君の為め・法の為め・身命を拠(なげう)つて御聴に達し奉り候,

 冀(ねがわ)くば諸宗と当宗と召し合せられ御糺明の上、急に念仏宗・真言宗・禅宗・律・天台宗其の外・種脱雑乱法花宗等の邪法邪師を対治して大日本国の患(わざわい)を除き、然る後、法花経・本門下種の大本尊を尊敬せられ、唯南無妙法蓮華経と御唱へあらせられば、天は則ち瞋(いかり)を和らげ、地は則ち瞋(いかり)を解き、災禍忽に消滅し万国も此の国に帰服し、普く六気時・逆はず、万物其の宜(よろしき)を得て国に災害の変無く、五穀豊熟にして万民快楽(けらく)せん。

 恐れ乍(なが)ら上々様・御安泰に遊ばせられ、御寿命長久・御血脈・万々年の御栄え続き候事・実に疑ひ御座有るべからず候、誠惶誠恐謹んで言す。

 副へ進ず。


一、立正安国論一巻、日蓮聖人文応元年の勘文。

一、日興上人申状一巻、正応二年の勘文。


 万延元(1860)庚申六月廿八日、日蓮法華本門の正嫡・日興門流・駿州富士大石寺末・野州都賀郡小薬村、浄円寺。

 

 謹上 寺社御奉行様。



つづく


by johsei1129 | 2025-07-22 15:43 | 富士宗学要集 | Trackback | Comments(0)


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