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日蓮大聖人『御書』解説

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2025年 06月 10日

弁疏の書(その一)

  弁疏の書

 平成三十一年三月二日、藤原ご住職よりご送付いただいた「通知書(以下本通知書)」を受領し謹んで拝読させていただきました。
 尚この度は、弁疏の機会を与えて頂き、誠にありがたく存じます。
 つきましては本書にて誠に拙き文にて大変恐縮致しますが、以下にて弁疏させて頂きます。
 なお、弁疏に先立ちまして一つお願いがございますので何卒お計らいのほど、よろしくお願い致します。
 受領した「通知書」においては、平成二十八年十月十日付「御建白書」から平成三十年十二月二十八日付「第三回建白書」までの計三回、御法主日如上人猊下へ宛てた私の書面が、「御法主上人及び本宗僧侶への誹謗(中略)悪口雑言を並べたものであり(中略)謗法厳誡の上から、貴殿の迷妄の数々を挙げて逐次破折いたします。なお余りに煩瑣にわたるため本書は前記『第三回建白書』を破折するのみに止めますが、これは毛頭ほども、貴殿から送付された従前の書面の内容を是認する趣旨ではありませんので、念のため申し添えます」と記されておられます。

 しかしながら従前の書面(第一回及び第二回御建白書)は、建白の内容がそれぞれ「第三回建白書」とは異なり、しかも第一回御建白書は約七万八千三百余文字、第二回御建白書は約一万七千二百余文字御座います。それに比し、第三回建白書は四千七百余文字であり、計三回の書面の約十二パーセント弱にとどまります。つまり私が御法主日如上人猊下へ宛てた書面の大半(約八十八パーセント強)について、私の迷妄の数々について逐次破折を受けてはおらず「第一回および第二回建白書」に関して私が弁疏することは叶いません。従前の書面の内容を是認する趣旨でないならば、是非にも藤原ご住職の破折を賜りたくお願い申し上げます。

 それでは本通知書について謹んで弁疏させて頂きます。

一、現在の宗門は四衆ではなく三衆になっておられます。について

 「現況の宗門は比丘尼について本宗宗規では得度者の性別による制限は全くない。但し宗門では年分並びに一般得度者制度を設けているが、運用上、様々な配慮が必要であるため現在女性得度者を募っていません」とあります。

 得度者運用の主体が宗門に在り、女性得度を募っていない以上、事実上、現在女性が日蓮正宗の比丘尼となる道は閉ざされております。様々な配慮が必要であるならば配慮をすればよいだけです。宗規があっても実際の運用実態が伴わなかったら、年々歳々宗規そのものの精神を自ら棄損していることになりかねません。是非宗規通り、女性得度者の道を閉ざすことなく、日蓮大聖人が御在世当時の通り、比丘尼を宗門に列して頂けるようお願い致します。私の趣旨はこの通りです。

二、「像法時代・多造塔寺の修行を末法に行う愚かさ」について

①について
「曽谷殿御返事」並びに「地引御書」につきましてはご承知いたしております。とりわけ『地引御書』は日蓮大聖人が御遷化される前年の弘安四年十一月二十五日にお認め為され、前日の二十四日に竣工の祝いを行い、大聖人が大変喜ばれておられることが七百四十年たった今もありありと伝わってきます。

 十間四面の本建物は大聖人ご自身の為と言うよりは、恐らくは身延山久遠寺の別当と定めておられた日興上人への慈父の念から建立為されたと拝されます。一千貫文とありますので、現在の貨幣価値で一貫文は四、五万くらいと言われておりますので、当時極楽寺良観の絢爛豪華な伽藍とは異なり、日蓮大聖人は弟子育成の目的のため必要な実質としての堂宇をお建てになられたと推察いたします。

 なお、当時の御信徒は決して経済的に裕福でなかったわけではなく、その証左として日蓮大聖人は御遷化の後、強信徒は次々と伽藍、堂宇、宿坊を建立為されております。池上宗仲は姻戚関係にあった日朗を初代住職として法華経の文字分の坪数(約七万坪)の土地及び大伽藍を寄進しております。また富木常忍及び太田乗明の両氏は、日蓮大聖人の御真筆を多数所蔵する現中山法華経寺を建立、さらに現在も残る身延山久遠寺の最古の宿坊は四条金吾の寄進でもあります。以上のことから推察される事は、当時の御信徒は当然日蓮大聖人に大規模の伽藍の造立寄進を願っていたことは想像に難くなく、日蓮大聖人は弟子育成のために必要な実質的な堂宇を望まれたと拝されます。
 又建治三年冬五十六歳の時に認められた「庵室修復書」では、次のように弟子に傷んできた草案を修理させたことを記された御文が残されておられます。

 「去文永十一年六月十七日に、この山のなかに・きをうちきりて、かりそめにあじちをつくりて候いしが、やうやく四年がほど。
 はしら・くちかき、かべ・おち候へども、なをす事なくて、よるひを・とぼさねども・月のひかりにて聖教をよみまいらせ、われと御経をまきまいらせ候はねども、風をのづから・ふきかへしまいらせ候いしが、
 今年は十二のはしら四方にかふべをなげ、四方のかべは、一そにたうれぬ。
 うだい・たもちがたければ、月はすめ雨はとどまれと・はげみ候いつるほどに、人ぶなくして・がくしょうどもをせめ、食なくして・ゆき(雪)をもちて命をたすけて候ところに、さきに・うえのどのより・いも二駄これ一駄は・たま(球)にもすぎ」

 さらに弘安二年十月二十日、五十八歳にお認めなされた「両人御中御書」において、法罰を受け亡くなった大進阿闍梨が生前自身の宿坊を弁阿闍梨(日昭)に譲ると遺言していることに対し、未だその措置がなされていない事を、譲り受ける大国阿闍梨と修理の役割をする池上宗仲に早急に対処することを促されておられます。

 「大国阿闍梨、えもんのたいう志等に申す。故大進阿闍梨の坊は各各の御計らいに有るべきかと存じ候に、今に人も住せずなんど候なるはいかなることぞ。
 ゆずり状のなくばこそ、人人も計らい候はめ。くはしく、うけ給わり候へば、べんの阿闍梨にゆづられて候よし、うけ給わり候き。又いぎあるべしとも、をぼへず候。
 それに御用いなきは別の子細の候か、其の子細なくば大国阿闍梨、大夫殿の御計らいとして、
弁の阿闍梨の坊へこぼちわたさせ給い候へ。
 心けんなる人に候へば、いかんがとこそ、をもい候らめ。弁の阿闍梨の坊をすりして・ひろくもらずば、諸人の御ために、御たからにてこそ候はんずらむめ。
 ふゆはせうもうしげし、もしやけなばそむと申し人も笑いなん。
 このふみについて両三日が内に事切って、各各御返事給び候はん。恐恐謹言。
 
 十月廿日    日蓮花押
 
 両人御中
    ゆづり状をたがうべからず

②について
 以上のことは日蓮大聖人がいかに広宣流布の拠点としての宿坊の役割を重要視されていたかを如実に物語っており「二、」の項目の私の趣旨は仏教伽藍としての華美で壮大な門構え等ではなく、広宣流布の先頭に立つ御僧侶がお住まいし、信徒が集い、御宝殿の歴代の貫主がご書写なされた御本尊に唱題する宿坊こそ、現在テロ及び天変地異にまみれている娑婆世界の隅々まで行き渡すことが最優先しなければならない事業ではないかとの願いを込めて建白させていただいたことをご理解頂きたく願います。

三、「貫主は住職を謗り、住職は法華講員を謗る今の宗門組織。」について

 この点につきましては日蓮大聖人が折伏活動について、どのように解き明かされておられるのかを鑑みて弁疏させて頂きます。
 日蓮大聖人は「諸法実相抄」において衆生に「法華経を説く事」について次の様に弟子信徒に諭されておられます。
 
 経に云く「能く竊かに一人の為に法華経の乃至一句を説かば当に知るべし是の人は即ち如来の使、如来の所遣として如来の事を行ずるなり」
  (中略)
 此の文には日蓮が大事の法門ども・かきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給へ・意得させ給うべし、一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。

 この御文を拝しますと、「一人の為に法華経の乃至一句を説かば」、「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」とあるように、日蓮大聖人は「法華経を一人でも一句でも説きなさい」と諭されておりますが、「入信させなさい」とは決して説かれておりません。しかも「一句を説かば当に知るべし是の人は則ち如来の使、如来の所遣として如来の事を行ずるなり」とまで認められておられます。
 「法華初心成仏抄」では、一人の為に法華経の乃至一句を説かれた衆生はどのように成仏に至るかを次の様に解き明かされておられます。

 何にとしても仏の種は法華経より外になきなり、権教をもつて仏になる由だにあらば、なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべし、と説き我不愛身命とは仰せらるべきや、よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり。

 「諸法実相抄」ばかりでなく、平成新編日蓮大聖人御書に御収録されておられる全御書にも「入信させなさい」との御文は一つもございません。

①について

 「平成三十三年・日蓮大聖人御聖誕八百年 法華講員八十万人体制構築」は、平成三十三年まで法華講員八十万人にすべく衆生を折伏し入信させなさいという御法主日如上人猊下のご命題です。この御授戒数の目標数値がある限り、目標に達成しなければ当然、なぜ目標数値に達しないのかという法華講組織、宗門内末寺に対し指導、叱咤激励が日常的に行われるのは自然の流れです。しかしながら繰り返しますが、日蓮大聖人が残された御書には一文もない弘教法であると私は理解しております。
 もし目標数値を定めて入信を働きかける弘教法を認められた日蓮大聖人の御文が存在するならば、是非お示しいただきたくお願い致します。

②について

 私の拙い信仰経験で藤原ご就職の病について記すことは誠に出過ぎた振舞であることは重々承知いたしておりますが、私も何度か法罰を受けており、その一つとして法華講入講の直接的原因になった法罰について少々書かせていただきます。

 法華講入講半年ほど前、私がまだ一人信心をしていた時、御書を読んでいて法華経を読まなければ日蓮大聖人の真意はわからないと感じ、岩波文庫法華経上中下三巻を日々読み続け数十回に達した頃、それまで学会員だった級友の折伏により仏見寺で御授戒を受けて以来、私の命には日蓮大聖人が厳然と存在していたにもかかわらず、そこに釈尊の存在が両立するような事態が生じました。これまでそのような思いは全くなかったこともあり、非常にいやな気持ちがしましたが、法華経を読むことを継続していると、ある時夜になり眠りにつくと幻覚が生じ、天井に圧迫されそれ以上寝続けることが出来なくなりました。四日ほどその状態が続き、私は一生眠ることが出来ないのではと恐れ「なぜこうなったのか」考えを巡らし「日蓮大聖人と釈尊が自分の己心に両立している状態であることに気づきました。
 直ちに御本尊に「私が間違えていました、許してください」とひたすら祈り謝り続けました。その結果その日から普段通り眠ることができるようになり、一人信心を続けていけば、いつまた間違った所行に陥ることになると自覚し、翌日、日正寺様に出向き執事様より勧誡を受けさせていただきました。
 日蓮正宗の修行をしていく上では様々な障害が生じます。それらは「魔」「罪障」「法罰(総罰・別罰・顕罰・冥罰)等々ございますが、私は信心修行を損なうような「魔」「罪障」「法罰」を受けることはないと信じております。私も過去にはトレーラーと正面衝突する自動車事故を受けましたが、顔にステアリングと打撲による軽い傷を受けた程度で入院することもなく、事故車の状況を見た警察官は私の被害の少なさに驚かれておりました。今では過去世の罪障を軽く受けることができたと御本尊、日蓮大聖人に感謝するばかりで、拙い自分にもまだ広宣流布の使命が残されているのではと感じている次第です。
 ご住職は「罪障」であると記されておられますが、大変不遜であると厳しい批判を受けるとは思いますが、私は違うと感じております。

 ③④⑤について 

 川田恭顕氏、故安孫子信洋氏の件につきましては、なぜこのような事態が生じるのか、憂いているが故に記させていただきましたが、前述で述べさせていただいたように「法華講員八十万人体制構築」そのものが日蓮大聖人の意に叶っていない故ではないかと、私はつよく憂いております。

 なお、応顕寺(代表役員早瀬道寧)の宗門離脱並びに日蓮正宗宗務院 宗内一般お知らせにつきましては、不確かな情報をもとに記し、宗門関係各位に大変ご迷惑をおかけしましたことは衷心より謝罪させていただきます。誠に申し訳ありませんでした。





by johsei1129 | 2025-06-10 15:47 | 日蓮正宗 宗門史 | Trackback | Comments(0)


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