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日蓮大聖人『御書』解説

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2025年 06月 08日

第三回 建白書 平成30年(2018)12月26日

 第三回 建白書


 第一回、第二回の建白書の提出に全くと言うほど反応がないことに予想されていたとはいえ残念に思われます。しかし日蓮大聖人の大願「法華弘通」の一助となるべく、今一度建白させていただきます。


 一.現在の宗門は四衆ではなく三衆になっておられます。


 宗門の現在の仏法は末法の御本仏日蓮大聖人の仏法どころか、釈迦在世の仏法にも達しておりません。

 釈尊は弘教当初、女性の出家を認めませんでしたが、養母のマハー・プラジャーパティーの強い求道心と従弟で27歳から釈尊の従者であった阿難から『マハー・プラジャーパティーはあなたにとって恩あるひとです。是非出家を叶えてください』と強く願われ出家を許し、仏教史上最初の比丘尼が誕生、四衆つまり比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷が揃うことになります。

 日蓮大聖人御在世当時も当然ながら四衆が厳として存在しました。それは弘安二年太才己卯六月 日、比丘尼日符に御下付された御本尊が存在することでも明らかです。しかし現在の宗門は三衆で比丘尼は存在しておりません。

 つまり仏教の極めて初歩的な基本さえまもられていないのが現在の宗門の実体であります。

仮に比丘尼の存在が出家僧の修行の妨げになるから比丘尼を認めないとするならば、今の宗門は法華経どころかごく初期の釈迦仏法にまでさかのぼる、極めて低次元の修行方法を実践していることになります。

 一方法華講は男女ともにそれぞれの特質を生かし協力し時に補いながら日々折伏行に励んでおります。何故、法華講にできて宗門の御僧侶が男女の区別なく修行に励めないのか理解できません。


二、像法時代・多造塔寺の修行を末法に行う愚かさ


 釈尊は大集経で第四の五百年を「多造塔寺」と説き明かされております。その予言通り仏教が国家鎮護の理念として定着し、為政者の意向で多数の仏教伽藍が建立されました。日本では聖徳太子が世界最古の木造建築と言われている法隆寺を607年に建立しております。1052年(永承7年)に末法に入ったとされているので、法華経を国家鎮護の経典と定めた聖徳太子が法隆寺を建立した事、また聖武天皇が開基した東大寺も8世紀前半に創建されており、これらの事象は当に多造塔寺そのものの証明となっております。

 それに対し日蓮大聖人は『今末法に入りぬれば余経も法華経も詮なし、但南無妙法蓮華経なるべし』と宣言為され、御在世当時は大きな伽藍を建立することなく布教の拠点としての宿坊に御本尊を安置することに専念為されました。しかし現在、宗門は多額の信徒の浄財を使用し三門の大改修に躍起になっておられます。

 その費用があれば世界津々浦々にどれほど御本尊をご安置できる宿坊を建立できるかと嘆くばかりであります。

 絢爛豪華な仏教建築で衆生を仏道に誘引する多造塔寺の時代は、もはや像法時代のいわば時代錯誤の修行法でしかありません。日蓮門下の使命は戦乱・貧困・災害にあえいでいる世界の人々に一人でも多く御本尊に南無妙法蓮華と唱える事を叶える施策を最優先で実施すべきです。


 三、貫主は住職を謗り、住職は法華講員を謗る今の宗門組織。


 下山御消息に曰く

『法華経を法の如く修行すとも、法華経の行者を恥辱せん者と、此れ等の諸人を指しつめて其人命終入阿鼻獄と定めさせ給いしなり』と。

 貫主は八十万法華講体制の宗門が定めた目標数値に達していないと末寺の住職を恥辱し、信徒に慕われているにもかかわらず末寺から他寺へ左遷、ある住職は傘下の法華講員を恥辱し、法華講の支部間で「○○の支部は折伏のできない支部だ」と謗りあっているのが実態です。

 現に「我支部は折伏のできない支部だと他の住職より言われている」と再三所属する法華講員に繰り返し謗り続けた北海道第一布教区の支院長は「脳梗塞」の現罰を被るに至っております。その結果以下のような事象が宗門内で多数発生しております。

光顕寺(茨城県日立市)住職・川田恭顕氏は2014年七月、宗門から離脱。

 日成寺(埼玉県朝霞市)住職で権大僧都の安孫子信洋が2017年三月二十四日朝、寺の敷地内で首を吊って死んでいるのが発見されました。弱冠四十六歳だったと言われております。

 その「遺書」には過酷な折伏ノルマに対する苦悩が記されていたとも言われております。

 本年に入っても平成30年5月16日横浜市神奈川区の応顕寺(代表役員早瀬道寧(日如猊下の御子息))が日蓮正宗から離脱する旨を通知。

 宗門は次のようなお知らせを即座に発しております。


 平成30年5月16日

 日蓮正宗宗務院 宗内一般お知らせ

 お知らせ

 本日、横浜市神奈川区中丸1-22所在の応顕寺(代表役員早瀬道寧)が日蓮正宗から離脱する旨を通知してきました。

 応顕寺は、昭和58年12月26日、当時法道院主管であった早瀬日慈師の篤き信心によって建立された寺院です。

 もとより宗門からの離脱は、本宗信仰の根本にもとる背信行為であり大謗法であります。また、早瀬日慈師の遺徳をも汚す不知恩の所行であると言わざるを得ません。

 宗内各位におかれましては、このようなことに紛動されることなく、御法主上人猊下の御指南のもと、更に正法広布に精進を重ねられるよう願います。

 上記、お知らせいたします。

 

 日如猊下は2009年に、折伏成果の基準を「御本尊下付」から、「授戒・勧誡」の人数へと改変しました。その結果御授戒を受けてもその後7、8割の方と連絡がつかないという事態が常態化しております。今更育成と声高に叫んでも時すでに遅しです。日蓮大聖人の意向に叶わない所業により法華講員の活動家にも病魔の嵐が蔓延しております。宗門はこの実態を正確に把握しておられるでしょうか。


 四、近年世襲がはびこる宗門組織

 

 第60世法主日開上人→(ご子息)67世阿部日顕御隠尊猊下→(孫)宗務院布教部長阿部信彰

 第56世日応上人(曽祖父)→早瀬日慈(父)→六十八世早瀬日如猊下

尚、日開上人は身延山久遠寺住職岡田日歸による日蓮大聖人への立正大師勅額御下賜を日蓮各派の管長が同意した左記の念書を当時の文部大臣に提出している。末法の御本仏日蓮大聖人にいわば菩薩の号を国に申請していることになる。宗祖を辱めている恐れを知らない所業です。

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 念  書

 宗祖立正大師六百五十遠忌ニ際シ御廟所在地山梨縣身延山久遠寺住職岡田日歸ヨリ及請願候立正大師勅額御下賜ノ件ハ本宗(派)ニ於テモ異議無之候條速ニ御下賜有之候樣御取計相成度候也

  昭和六年 月 日

宗(派)管長      印 

  文部大臣 田中隆三殿

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五.権力者にすり寄る宗門


 宗門は本年発生した「北海道胆振東部地震」への見舞金として北海道に一千万を贈呈しました。

 妙法蓮華経 安楽行品第十四に「権力者に親近してはならない」との次の御文があります。

「是名菩薩摩訶薩行処 云何名菩薩摩訶薩親近処 菩薩摩訶薩 不親近国王王子 大臣官長不親近諸外道」

 北海道はまぎれもない地方権力であります。

 日蓮大聖人は権力に対し『諌暁』せよと説かれているが、権力にすり寄れとは全く説かれておりません。慈善事業として災害の見舞金贈呈はする邪宗は数多く見られますが、日蓮門下の修行は如説修行抄の「法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり」につきます。

 仏法の根本理念として「平等大慧」がありますが、今後起こるであろう世界中の災害に対し平等に見舞金を贈呈できるわけがない。この度の小さな善行は三世を通達する日蓮大聖人の仏法を心肝に染めていると所業とはとても思えません。


六、天台教学を多用する日如猊下


 日如猊下は「本未有善」その他天台教学の用語を多用していますが、日興上人は日興遺誡置文で「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」と門下にて命されております。日蓮大聖人は「本未有善」について唱法華題目抄・曾谷入道殿許御書で「本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し、本未だ善有らざるには不軽・大を以て之を強毒す」と説き明かされおり、唐突に何の脈絡もなく「末法の衆生は本未有善」と論じても初心の法華講員に理解できる訳がありません。

天台教学は理の為の理のきらいがあり、信徒の心に響きません。日蓮大聖人は、天台は一切経の勝劣を分別したに過ぎないとも明言なされておられます。

 「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」との日蓮大聖人の御金言は衆生を奮い立たせてくれます。所詮天台は像法時代の人師、論師にすぎません。末法の衆生の心には響かないのです。

 これまで述べてきた数々の過ちを日如猊下は何故なされるのか。

 これは末法の御本仏日蓮大聖人に随順なさていないからだと強く推知いたします。

日如猊下のご指南集で御書を引用する時、「仰せであります」「おっしゃっておられる」とあります。

 これは五老僧の中で最大の謗法の徒「日向」の御講聞書で多用されている「仰に云く」そのものであります。

 日興上人は『就注法華経御義口傳』で「御義口伝に云く」と記されておられます。この【御義】とは末法の御本仏日蓮大聖人の内証と拝されます。単に「日蓮大聖人がおっしゃられておられる」と言うのとは、日蓮大聖人に向かう姿勢に天地雲泥の開きがあります。

 日如猊下が六十八世として登壇されてから早十三年。この間未来を託す鼓笛隊、本山任務者、御僧侶方は激減しております。この結果が全てを物語っております。すでに宗門は求心力を失っております。

 一般的に「君子豹変する」と言う言葉があります。君子であれば部下の諫言等で過ちに気づいた場合、直ちに考えを改める事を意味します。しかし愚かな指導者はそれができません。典型的な例が太平洋戦争における東条英機です。その結果日本は世界に例のない悲劇に見舞われました。

 日如猊下に賢明な御判断を為され、日蓮大聖人生誕800年の語呂合わせで、法華経にも御書にも根拠が見いだせない80万人体制の構築など、末法の御本仏を恥辱する行為を今直ちに取りやめなければ悲惨な結果を生み出します。

 尚、日如猊下への建白書は今回で最後とさせて頂きます。今後はフェイスブックSNS等で交流している無二の志ある世界の法華講員ととも、宗門是正に邁進する所存であります。


平成三十年十二月二十六日

  

日蓮正宗法華講 

日正寺支部 第一総区北新地区三班

            三浦常正   


 

謹上 日蓮正宗 第六十八世日如上人猊下 敬白






by johsei1129 | 2025-06-08 09:49 | 日蓮正宗 宗門史 | Trackback | Comments(0)


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