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日蓮大聖人『御書』解説

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2025年 06月 06日

第一回 建白書 (その1) 平成28年(2016)10月10日

御建白書

第一回 建白書 (その1) 平成28年(2016)10月10日_f0301354_16143687.jpg

 末法の御本仏日蓮大聖人が認められた御書並びに第二祖日興上人の【日興遺誡置文】等々に叶わなければ三大秘法抄に説かれておられます宗祖日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布は叶いません。

 畏れ多くも浅学菲才の身ではありますが、広宣流布を担う法華講の末席に連なる一信徒として次のように建白させていただきます。

 日蓮大聖人の御遺命に違背する現在の日蓮正宗宗門の現況

一、得度した出家僧に日文字を法名として名乗らせないこと。

【産湯相承事】に曰く

「若し日蓮が現在の弟子並びに未来の弟子等の中にも、日文字を名乗の上の字に置かずんば、自然の法罰を蒙るべし。予が一期の功徳は日文字に留め置くと御説法ありし儘、日興謹んで之を記し奉りしなり」

【本因妙抄】 に曰く「日文字の口伝・産湯の口決、二箇は両大師の玄旨にあつ。(中略) 又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり。相構え相構え秘す可し伝う可し」

日蓮大聖人は御在世当時、得度した弟子に所化をへてほどなくして日文字の法号を与えておられたと推察されます。

また同様に、信心強盛な在家及び得度し入道・尼となった信徒にも日文字の法号を与へられておられます。

その証拠として日蓮大聖人は俗信徒及び入道及び尼に与えられた御本尊の授与者名に日文字の法名を認められておられます。

日蓮大聖人が俗信徒に日文字の法名を与えられて授与された御本尊の一覧

授与名        ご下付年月日

授与之  婆塞日專  弘安元年太才戊寅四月廿一日

授与之 藤太夫日長  弘安元年太才戊寅十一月廿一日

優婆塞日田 授与之弘安二年太才己卯四月八日

日仰優婆塞 授与之弘安二年太才己卯九月 日

優婆塞日安 授与之  弘安二年太才己卯十一月日

優婆塞日久  弘安二年太才己卯十一月日

俗日頼 授与之 弘安三年太才庚辰二月一日 (四條金吾頼基)

日眼女 授与之   弘安三年太才庚辰二月 日

優婆塞日安 弘安三年太才庚辰二月 日

日安女 弘安三年太才庚辰三月 日

十一 尼日實 授与 弘安三年太才庚辰卯月十日

十二 日妙 弘安三年太才庚辰卯月 日

十三 尼日嚴 授与之 弘安三年太才庚辰卯月 日

十四 俗日円 授与之 弘安三年太才庚辰六月 日

十五 俗藤原国貞 法名日十授与 弘安三年太才庚辰六月 日

十六 俗日肝 授与 弘安三年太才庚辰六月日

十七 俗日重 弘安三年太才庚辰八月 日

十八 俗日目 授与之 弘安三年太才庚辰九月三日※富士上方上野弥三郎重滿与之日 (正和元年出家三郎左近入道也)

十九 優婆夷源日教 授与之弘安三年太才庚辰九月八日

二十 優婆塞藤原日生 授与之 弘安四年太才辛巳二月二日

二十一 俗資光 授与之 亦云寶日弘安四年太才辛巳二月 日

二十二 俗日大 授与之 弘安四年太才辛巳三月 日

二十三. 授与 之俗日常弘安四年太才辛巳九月 日

二十四. 俗日專 授与之  弘安五年太才壬午正月 日

二十五. 藤三郎日金 授与之   弘安五年太才壬午四月 日

[五老僧及び日目上人以外の直弟子へ日文字の法名を与えられて授与された御本尊の一覧]

釋日与 授之  建治二年太才丙子二月 日

大日本国沙門日照之 建治二年太才丙子卯月 日

沙門日門 授与之 弘安元年太才戊寅七月五日

比丘日賢 授与之 ※授与年月日は削損されている。

比丘日弁 授与之 弘安二年太才己卯四月 日

比丘尼日符 弘安二年太才己卯六月 日

沙門日法 授与之弘安二年太才己卯七月

沙弥日徳 授与之弘安二年太才己卯十月 日

沙門日永 授与之弘安二年太才己卯十一月 日

日佛 弘安三年太才庚辰正月 日

十一 沙門日華 授与之 弘安三年太才庚辰五月八日

十二 僧日春 授与之 弘安四年太才辛巳四月五日

十三 比丘尼持圓授与之 弘安四年太才辛巳四月廿五日

ちなみに日蓮大聖人が弘安五年十月八日「本弟子」六人を定めた時の各老僧の年齢は次の通りです。

一 弟子六人事 不次第

一 弁阿闍梨  日昭 六十二歳

一 大国阿闍梨 日朗 三十八歳

一 白蓮阿闍梨 日興 三十七歳

一 佐渡阿闍梨 日向 三十歳

一 伊與阿闍梨 日頂 三十一歳

一 蓮華阿闍梨 日持 三十三歳

 日蓮大聖人と同郷で古参の弟子日昭以外は全て三十代の青年僧であります。

それに比して現在の日蓮正宗宗門のご僧侶の多くは宗門から日文字を賜ることなく、また賜ってもご存命なされている間は日文字の法名を名乗れずにおられます。

この事は【産湯相承事】に認められておられます日蓮大聖人のご遺命に明白に違背しております。現在の日蓮正宗では得度し住職になられましても、日文字の法名を名乗れずに生涯を終えられている御僧侶方が数多くおられ、一信徒として心が痛み慚愧に堪えません。

ちなみに大石寺本山の宗務役僧侶でさえ十五人中八人は日文字を名乗られておらず、現在日文字を名乗られておられる能化は宗門全体でわずか十二名にすぎません。

またご逝去なされた時点で日文字の法名を「大白法」で公表される御尊師もございますが、これでは本来の日文字の法名の意義を失い、畏れ多くも日文字が戒名の役目を果たすことになり大聖人の御遺命を蔑む所業となります。

大聖人御在世当時の弟子の身分は御書を見る限り所化と能化の文字しか見当たらず、得度してほどなく能化として日文字を与えられたと推知されます。しかし現在の宗門の僧階は次の如く十七段階にも区分され、日蓮大聖人御在世当時とは考えられないほどの複雑な僧階が確立しております。

現在の日蓮正宗・宗門における僧位の階層

【教師】

大僧正(法主及び法主経験者)、権大僧正(学頭)、僧正、権僧正

---以上能化---

大僧都、権大僧都、僧都、権僧都、大講師、講師、少講師、訓導、権訓導

【非教師】

一等学衆、二等学衆、三等学衆、沙弥

若し日蓮が現在の弟子並びに未来の弟子等の中にも、日文字を名乗の上の字に置かずんば、自然の法罰を蒙るべし」との日蓮大聖人のご金言の通り、残念ながらこれまで宗門は自然の法罰を度々蒙むっておられます。

とりわけ近年、時の貫首にとって大御本尊の厳護と並び、最重要責務ともいえる次期貫首への相承を為すことができずご逝去なされる事例が発生しておられる事とともに、国家権力による法難を受けるのではなく、宗門と檀信徒間の内紛が絶えない事は既に周知の事実です。

その事例は次の通りです。

次の猊下に伝統的な化儀に則り相承できない事例

一、六十六世日達上人は昭和五十四年七月二十二日病院で急死なされ、次期貫首に自ら相承を授けることができませんでした。

 日達上人は、当時池田大作総講頭が正本堂を本門の戒壇と認定するよう強硬に主張されることに対し、将来広宣流布の時は本門寺の戒壇たるべき建物であるとして妥協を図ります。しかしこれは【三大秘宝抄】の『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か、時を待つ可きのみ。事の戒法と申すは是なり』という日蓮大聖人のご遺命に違背いたします。

日達猊下は、「時を待たず建物だけ先に立てる」という大聖人の御遺命に明らかに違背する「訓諭」を発し、正本堂建立を承認なされます。

このことについて六十七世日顕上人は「時いまだ至らざるに御遺命の戒壇を前もって建てておくという考えは、願望としては許されるでありましょうが、しょせんそれは機情の見であり、その機情の見に応じて御指南が先師にあったとしても、それは当分の慰撫教導の御心によるのであります。真義は、厳然たる御本仏大聖人の金文をもって決すべきであります」と断じ、正本堂解体処分に至ります。

 二、六十二世日恭上人の焼死。

 日恭上人は昭和二十年六月十七日、客殿で焼死し次の貫首に御相承を授けることなく非業の死を遂げられました。神道を仏教の最上位に置く当時の国家に対し、「猊下の座を降りて国家諫暁をしたい」と日亨御隠尊猊下にご相談なされますが、それに対し日亨上人は「猊下のままで諫暁されたほうが良い」とご教授なされます。しかし日恭上人は日亨御隠尊猊下の御教授に随順なされることなく、また猊下の座を降りて国家諫暁を果たすこともなく、さらに次期貫首に相承を授けることなく客殿で覚悟の焼死に至ります。

 三、五十八世日柱上人への宗会による不信任決議

 五十八世日柱上人に対し大正十四年十一月二十日、宗会は不信任決議し管長の辞職を勧告します。

 翌年一月十六日、当時の文部省宗教局は選挙によって管長候補者を選出することを決定、宗会はこの決定を受け入れ二月十六日管長選挙の投票を実施、堀慈琳御尊師が当選いたします。そして同年三月八日に辞職を勧告された日柱上人から相承を受け、五十九世日亨猊下として登座するに至ります。つまり五十八世日柱上人は自らの意思で後継の貫首を決めることができなかったことになります。

近年の日蓮正宗・宗門内檀信徒の内紛の履歴

一、昭和四十九年 日達猊下、妙信講に講中解散処分を下す。

二、昭和五十四年七月二十二日、日達猊下急死。同日、日顕総監が日達猊下より生前血脈相承を内付されたとご申告なされ大石寺第六十七世としてご登座。

三、昭和五十五年七月四日、創価学会に判的な僧侶により正信会結成。日顕猊下は正信会に対し創価学会批判を禁止するよう通告。正信会は学会批判を継続。 

四、日顕猊下、昭和五十五年九月三十日~昭和五十九年二月二十七日迄の間に正信会所属僧侶二百一名を破門。

五、正信会、日達猊下から日顕上人へ血脈相承した形跡がないと主張、管主の資格を有さないとして地位不存在確認の裁判を起こす。

六、平成三年十一月二十八日 日顕上人 創価学会及びSGIを破門。

七、平成四年八月十一日 日顕上人、創価学会名誉会長池田大作氏を信徒除名に処す。

八、平成五年十月一日 創価学会、浄圓寺所蔵の日寛上人御書写の御本尊を複製改変した偽本尊を会員に販売開始。

九、平成九年十二月一日 宗門は宗務行政措置を実施。創価学会員は檀信徒資格を喪失。

十、平成十七年十二月四日 日顕猊下は大石寺での広布唱題会の席で「今年中に法主を退する」と表明。同月十五日 日如上人大石寺第六十八世として登座。管長の隠居は六十四世日昇上人以来となりました。

十一、平成二十八年十一月八日 創価学会原田会長は戒壇の大御本尊は受持の対象にしないと聖教新聞にて公表。教義上でも日蓮正宗からの離脱を表明。

日顕御隠尊猊下は後日、正信会所属僧侶二百一名を破門したことについて「かわいそうな事をした」と語ったと伝え聞いておりますが、もしその言が真実なら是非にも大乗の視点に立ち正信会を教訓の上、破門なされた御僧侶を宗門に復帰させるべきでしょう。

管長の資格に関しては宗門内で決すべき事柄であり、正信会がこの事を裁判所に判断を求めたことは日蓮大聖人の御遺命に反する大いなる過ちであることは明白ですが、創価学会は「人間革命」「宿命転換」「現世利益」などと、日蓮大聖人の御法門と全く相いれない己義を唱えるとともに、民音・公明党の選挙活動等を仏道修行と称し、「日興遺誡置文」の各条項に悉く違背してきました。しかし代々の貫首はこれら創価学会の諸々の行動を摧く事も無く容認し続けます。その結果現在では何百万人とも言われる一閻浮提総与の大御本尊を受持しない大謗法団体に変貌してしまいました。この創価学会を厳しく批判し続けたのが正信会の御僧侶方であるならば、この点については日興上人の日興遺誡置文に叶っていた行動と謂えなくもありません。

いずれにしても『若し日蓮が現在の弟子並びに未来の弟子等の中にも、日文字を名乗の上の字に置かずんば、自然の法罰を蒙るべし』とのご金言の通り、日蓮大聖人の御遺命に一字一句でも違背するならば、今後も正しい化儀に則り法主の座を相承することが叶わず、宗門および檀信徒間の内紛が絶えないは必定です。

創価学会・池田大作氏が「日興遺誡置文」に違背し続けた事例。

一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事

 正本堂を本門の戒壇と称することを時の貫主に強要することは三大秘法抄に明白に違背します。

 「人間革命」は無作三身の法義に違背する西欧流の外道の思想です。

宿命転換は「罪障消滅」の義に及ばないきわめて次元の低い外道の考えです。

一、 謗法を呵責せずして遊戲雑談の化儀並に外書歌道を好む可からざる事。       

日蓮大聖人は「御義口伝」法師功徳品四箇の第一で「功徳とは六根清浄の果報なり」と説かれております。創価学会の現世利益を折伏の中心に置く考えは明らかに宗祖日蓮大聖人の教えに違背しております。また民音活動、公明党の政治活動、東京富士美術館等の文化活動を仏道修行として信徒に活動させる事は日興遺誡置文の本条項に明白に違背します。さらに法華経安楽行品第十四に説かれている「親近処に安住して能く衆生の為に是の経を演説すべし」の親近処から外れた所業となります。

一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事。

 池田名誉会長は会員から集めた資金を提供することで世界各国から数々の称号を得ておりますが、送り先の大半は外道の宗教を根本とする機関でその栄誉を得意になって会員に宣伝し布教の道具として活用しており、この所業は本項に明白に違背しております。

二、「法華講員八十万人体勢構築」の誓願について

 「法華講員八十万人体勢構築の誓願」の如く、何年までに何万人の信徒を獲得するという弘通手法の根拠は御書のどこを探しても見当たりません。もし大聖人の御遺命にその事を示す文言があるのならば是非、お示し頂きたい。

 私はこの八十万の誓願とは、昭和二十六年五月三日、戸田城聖氏が創価学会会長就任演説で「七年間で七十五万世帯を折伏」することを目標に掲げて大規模な布教運動を行った布教手法の焼き直しに過ぎないと推察致しております。

 この戸田会長の布教活動は結果として、獲得した信徒の数倍もの学会批判者を生み出すと共に、日蓮大聖人の仏法への誤った理解を国民の間に蔓延させることで今後の広宣流布の活動に大きな障害となってしまいました。

 目標数値を打ち出す布教手法は事業家としての戸田会長だからこそ行われたのであり、大聖人の法門に基づかない外道の弘教手法であることを宗門は喝破しなければなりませんでした。戸田城聖氏は、宗祖日蓮大聖人立宗七百年記念の報恩行として御書出版の願主となり、堀日亨御隠尊猊下の編集にて昭和二十七年四月二十三日、御書全集を刊行するなど宗門に多大の功績をもたらした大講頭・総講頭でありましたが、日蓮大聖人が大御本尊に「法華講衆等敬白」と名付けられた事に違背し「創価」という外道の理念を根底とする宗教法人を設立するなど布教においては大きな謗法を犯してしまったことになります。

 その戸田会長は七年後の昭和三十三年に目標である七十五万人の折伏を達成したと宣言し、同年三月十六日、寄進した大講堂で「広宣流布の模擬試験」を実行するも、四月一日急性心不全を起こし大石寺を下山、自身の後継者を定めこともなく翌二日の夕方急逝します。

 御義口伝に曰く「法界三千を秘妙とは云うなり。秘とはきびしきなり、三千羅列なり是より外に不思議之無し」

 大聖人は滅後の弘教について三大秘法禀承事に「時を待つ可きのみ」と明確に説かれておられます。

 三大秘法禀承事に曰く「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つ可きのみ。事の戒法と申すは是なり」

 目標を立ててそれに向かって努力するというのはあくまで西欧流のビジネスの世界での手法であり、謂わば外道の手法です。

大聖人が「撰時抄」でも説かれておられますように、広宣流布とは随力弘通しその上で「時を待つ可きのみ」であることは明白です。

 釈尊が大集経で正像二千年と説いたのは仏として悟ったことを随自意でと説かれた教えで事実その通り実現しております。大聖人が「未萌を知るは聖人なり」と認められたそのものです。

 しかしながら「宗祖生誕八百年までに法華講員八十万人体勢を構築する」ことに関しては何ら大聖人の法門に裏付けられた根拠は見いだせません。釈尊が説かれた法華経はおろか爾前経にも数字を掲げてそれに向かって弘通する手法はただの一偈も見いだせません。日蓮大聖人の御書にもそのような弘通方法を御指南なされておられる文言は全く見当たりません。

 日蓮大聖人は就註法華経(御義口伝)の末尾で「広宣流布の要法豈、此の註法華経に過ぎんや」と認められておられます。その註法華経に基づいて日興上人に御義をご講義なされた就註法華経(御義口伝)にも目標数字を掲げて弘通を促す、あるいは誓願する要法は全く説かれておられません。

 池田大作氏が学会員に指導した『大智度論』で説かれている「舎衛の三億」の「仏世には遇い難し。優曇波羅樹の華の時々一度有るが如し。説くが如く、舎衛の中に九億の家あり。三億の家は眼に仏を見え、三億の家は仏ありと耳で聞くも眼では見えず、三億の家は聞かず見ず、云々」とは、あくまで仏には遇い難く、仏の説く教えは聞き難きことを示しているに過ぎません。

【諸法実相抄】に曰く『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし

【椎地四郎殿御書】に曰く

『法師品には若是善男子善女人乃至則如来使と説かせ給いて、僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり

【松野殿御返事(十四誹謗抄)】に曰く

『然るに在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱えありて僧をも供養し給うが肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力演説も有るべきか

[日興遺誡置文]

『一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事

宗祖日蓮大聖人及び唯受一人の日興上人も「随力弘通」を説いておられますが、年月を区切って入信数を目標に掲げて折伏行を推進するという戸田城聖方式の弘通方法は只の一偈も示されておられません。

繰り返しになりますが、日蓮大聖人は御自身滅後の弘法について【三大秘法抄】において『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密(中略)並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つ可きのみ。事の戒法と申すは是なり』と認められ、あくまで『時を待つ可きのみ』と遺言されておられます。

つまり我々日蓮大聖人の弟子及び信徒は「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通に励み」大聖人の御遺命通り広宣流布の時を待つべきなのです。

【唱法華題目抄】に曰く

「謗法と申すは違背の義なり。随喜と申すは随順の義なり」

四菩薩造立抄に曰く

「私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし。此の法門は年来貴辺に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり。総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚人人の御心中は量りがたし」

 日蓮大聖人の御遺命にない事を根拠なく信徒に説くことは松野殿御返事(十四誹謗抄)に説かれておられます十四誹謗の三、計我にあたります。

 宗門は直ちに「宗祖生誕八百年までに法華講員八十万人体勢を構築する」とする請願を撤回し、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通し、時を待つべきのみ」と大聖人の仰せのとおり弟子・信徒に説かなければなりません。

三、御書を信徒に常に持つように指導なされない現在の宗門。


 日興遺誡置文に曰く『当門流に於ては御書を心肝に染め、極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事』

 開目抄下に曰く「不依人等とは初依・二依・三依・第四依・普賢・文殊等の等覚の菩薩が法門を説き給うとも、経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず

 日蓮大聖人は開目抄で『日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なり。かたみともみるべし』と認められ開目抄を「明鏡なり。かたみともみるべし」と宣言なされておられます

さらに上野殿御返事(法要書)に曰く、「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし。かう申し出だして候も、わたくしの計にはあらず。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり。此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば、ゆゆしきひが事なり」と認められ「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし」と断言なされておられます。

さらに[御義口伝 上【信解品六箇の大事】に曰く、「信は智慧の因にして名字即なり信の外に解無く解の外に信無し信の一字を以て妙覚の種子定めたり<中略>

初めて疑惑を破して大乗の見道に入る故に名けて信と為す。進んで大乗の修道に入る故に名けて解と為す」と認められ、信とともに解することの重要性をご指南なされておられます。

さらに[御義口伝 下【寿量品二十七六箇の大事】に曰く「第一 南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事 「無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり云云」

無作の三身つまり日蓮大聖人の所作は御書を心肝に染める以外に我々信徒は知る方法はありません。この意味で「御書は末法の経」であると言っても過言ではありません。

ご歴代貫首上人の御指南集は、謂わば御書の断片を引用しているに過ぎず、日蓮大聖人の内証は長文短文に関わらず一つの御抄全文を読了して心肝に染めなければ末法の御本仏の本義を師伝することは叶いません。

 例えるなら信が車のエンジンで行学が車の両輪とするならば、唱題行、折伏行と同じだけ末寺で御書講義を実施しなければ正しく無上道を歩むことはできません。現在の宗門は明らかに唱題行、折伏行に偏っており、このままでは名目上の信徒の数は増えたとしても真の日蓮大聖人の遣いとしての信徒として「進んで大乗の修道に入る」ことは叶いません。唱題行、折伏行同じく日々御書の研鑽を実践するようご指導なさるすべきです。

 また大白法では継続的に法華経の解説が掲載されておりますが、末法の法華経とも言うべき御義口伝を講義すべきです。日蓮大聖人は御義口伝の最後に「広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや」と認められておられます。御義口伝はこの註法華経に基づき日蓮大聖人の御内証を御義として説かれており「広宣流布の要法中の要法」であると拝されます。広宣流布を叶えようとするならば信徒はなにをおいてもこの御義口伝を心肝に染めるべきです。

つづく



by johsei1129 | 2025-06-06 10:23 | 日蓮正宗 宗門史 | Trackback | Comments(0)


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