2023年 05月 17日
![]() 七 日 一日二日と過ぐるに、今日既に第七日に至れり。談議のみ七日を過ぎると思ふは不可なり。寿命亦七日促(うなが)れり。豈思はざらんや。 大論廿・廿二、類雑八・十三、弘四本四十五に云く、如阿輸柯(にょあゆか)王とは、大論廿に云く、阿育王宮に常に六万の羅漢を供す。王阿輸柯は是育王の弟なり。毎に衆僧の王の供養を受くるを見て、便(すなわ)ち云く、何ある徳あるか。而も常に供を受る王云く、受くると雖も常に無常を観ず、何の暇あつて貧染せん、弟常に信ぜす。王これを調(ととのえ)んと欲し、密に人を遣し教えて●まに。(●変換不能漢字。手偏に・西・且) 王位に登らしむ。王便ち候ひ得て而してこれに問ふて言く、国に二の主あらん耶。即ち誅罰せんと欲す。且七日閻浮提を受け主ならしめん。是を過ぎなばまさに殺すべし、七日の内意の五欲を恣(ほしいまま)にせよ。一日過ぎ巳つて即ち旃陀羅(せんだら)をして鈴を振り告げて云はしむ。一日過ぎ巳つて余り六日在つて当に死すべし。是の如く、七日を満ち巳つて鈴を振って云く、七日巳に過ぎ又今日まさに死す。王便ち問ふて云く、閻浮提の主なり。楽暢(らくちょう)を受くるやいなや。答へて云く、我都べて見ず、聞かず、覚えず、何を以ての故に旃陀羅・日々に鈴を振り高声に唱へて言く、七日の中に巳に爾許す。日過ぎぬ。爾許日在まさに死す。我れ是の声を聞き、閻浮提の主と作り妙の五欲を得と雖ども、憂深を以ての故に聞かず、見ず、是の故にまさに知るべし、多くの楽力弱し、若し人偏身に楽を受け、一処針を以て刺(さす)に衆の楽・都(すべ)て息みぬ。但刺すの痛みを覚ゆ。 王言く、日丘も亦爾(しか)なり。但無常苦空無我を観ず。何の暇あつて、貧着して供養を受けんと念ぜん巳上。今亦此の如し、談義一日一日と過ぐるを以て何んぞ吾が寿命の促まることを計らざらんや。無常を解し何(いか)んして聞いてこれを信ぜざらん。あら無常かな。誰れか未来の重苦を救ふや。只本門寿量の南無妙法蓮華経是れなり。信解の二字略前に巳んぬ、まさに誠諦の二字を談ずべし。 文九・卅に云く、誠に是れ忠誠に諦、是れ審実・物を欺かず。言則ち真に詣(まい)る巳上。随問九・四十四に云く、文物を欺かずとは是れ忠誠を釈す。言則ち実に詣るとは審美を釈するなり云云。今は忠の字を以て誠の字を釈す、故に誠は是れ忠誠と云ふなり。先の誠の字の地盤の意は、中庸廿五・誠は天之道なり巳上。註に曰く、誠とは真実無妄の謂なり。巳上、忠の字の意は、匀会(きんえ)一・十二に云く、内に其の心を尽して欺かざるなり。伊川裎(いせんてい)氏曰く、中心を忠となす巳上中庸十一註に曰く、己の心を尽すを忠となす巳上。東春五・五十七、仏心実なるを誠となす、故に忠誠と云ふ巳上。 内心実なるを以つて言を発す、故に誠語と云ふなり。此れ等の文の意に准ずるに、忠誠とは内心を覆蔵せざる義なり、然れば誠とは仏の内心を覆蔵せず物を欺かず故に、誠と云ふなり。譬へば我内心は悪と思へども、他の意の背(そむ)かんことを恐れて善なりと云ふ等の類は中心の実を尽さず、物を欺く相なり。今は則ちしからざる故に誠語と云ふなり。 爾前迹門に於いて始成正覚と説くは、近成願ふ機に従つて説くなり。仏の心中は実に久遠実成の仏なれども而も始成正覚と説くは、豈物を欺くに非ずや。今は仏の内心を尽して実に久遠実成と説く故に、是れ則ち楚の萬王(れいおう)の時・卞和(べんか)といふ者あり。これに付いて王代を列するに種々異説有り。和語式二・廿九。○註十・十八並に和語萬王を改めて蚡冒(ふんぼう)に作る可きなり、故に蚡冒武王文王の次第なり。 一には三体詩の李昌註には萬王・武王・共王と列ねたり。二には文選二十四李善か註武王・成王・文王と列ねたり。三には祖庭事苑には萬王・武王・文王と次第せり。蒙求にも萬王・武王・文王の次第和語式の意・取意。三国伝二・七祖庭事苑および蒙求に准ずるか。是れ亦萬王・武王・文王と次第せり。説多しと見へたり。今は且く多分に随ひ萬王・武王・文王の次第に准じてこれを談ずべし。 三国伝に云く、卞和と云ふ者荊山に遊んで璞玉(あらたま)とていまだ琢(みが)かず玉の石大きさ尺余なるを求め得て世に比べ無き玉なるべし。琢かせて御覧あれとて是れを楚の萬王に献す、王則ち玉造りを召して店しむるに玉人(きゅうじん)是れは石なり。玉に非ずと奏す故に詐(いつわ)る事・其の科(とが)浅からずして彼れが足を斬る。武王即位あり、和(か)亦此の璞(あらたま)を献ず。王悦んで玉人に琢かしむに光りなし。是れ石なりと申す。武王我を欺けりとて右の足を斬り荊山の中にすてらる。角て廿四年過ぎるまで猶命存じて此の璞を抱へて渧泣(ていきゅう)す。 其の後文王即位あつて彼の山に入り狩りし玉ふこと三日三夜卞和・両足を斬られて泣き悲しむを御覧有りて、天下に足を斬らる者多し。何んぞ強いて泣く。和が云く、我れ全く此の刑にあふ事を歎(なげ)かず。天下に玉を知る者無くして、真玉を以つて瓦石となし。忠事を以つて慢事となす、これを以つて哭(こく)するなり。 文王此の事を聞いて玉を召して玉人に琢かせ玉ふ。其の光天地に映徹つせり。是れを行路にかければ車十七輌を照しければ車照の玉と名づけたり。是れを宮殿に撥(ひきあげ)れば夜十二街を耀(かがや)かす故に夜光の玉とも云へり。此の玉代々天子の御宝となりて趙王の代に伝はる。趙王これを重して趙壁(ちょうへき)と名づけ。更に身を放ち玉はず。かの趙の隣国に秦と云ふ威勢の王あり。此の玉を競望し、何んして此の玉を乞ひ取らんと、或る時盟会の次に趙壁を拝見し秦の十五城に相替ふべき由云はれける。 趙王存の外に思ひけれども秦王は猛勢なり。今爰(いまここ)にして惜しむとも叶ひ難し。其の一城は一万三百六十六里なり。其れを十五並べたらんし莫大の所領なりと思ふて、十五城に替え玉ふべき由にて玉を与へて帰りけり。秦王これを得て十五城に替へたる玉なれば、片連城の玉とぞ名づけける。其の後・趙王度々使を立て、十五城を乞ひけれども、秦王忽に約を変じて一城をも出たさず、まして玉も返ささけり。 爰に趙王の臣下に藺相如(りんそうじょ)と云ふ者あり、我れ秦王の都に入りてかの玉を取り返し君の憤ふりを休むべしとて趙王に此の由を申して兵一人も召し具せず。自ら劔戟(けんげき)をも帯せず。衣冠正しくして車に乗り専ら使の威儀を調へて秦王の都に行き、宮門に入りて礼義をなし。趙王の使に藺相如直(ただ)ちに奏すべき有つて参りたる由を申ければ秦王南殿に出て面謁す。相如・畏(かしこま)つて申しけるは、先年君王に献ぜし夜光の玉に隠れたる瑕(きず)の少し候。知らせ奉まつらで進じ置かん事越度の至りに候。凡そ玉の瑕を知らで置かれたれば主のために難有る事にて侍る故に告げ申さんための使なりと奏す。 喜んで彼の玉を取り出す。玉盤の上に居えて藺相如が前に置きたり。相如此の玉を取つて楼閣の柱に押し当つて懐中より氷の如くなる劔を抜き出して申しけるは、君子は戯言なし、約束の堅きことは金石の如くとこれ承れ、抑(そもそ)も此の玉は秦の十五城に替えながら其の城をも出さず。玉をも返さず盗跖か悪にも同じく文成が偽りにも越えたり。此の玉全く瑕あるに非ず。臣が命と玉と共に砕けて君王の座に血を淋(そそ)がんと思ふ故に参りたりと忿(いか)りて玉と劔柄とを砕けよと拳り。秦王と玉とを睨(にら)み付けて、近付く人あらば忽に玉体を侵し、玉を切り破り誠に死なんと思ひ切りたる眼ざし。敢いて遮(さえぎ)り止むべきようにも無りけんは、秦王も惘(おじ)て群臣恐れて進まず。藺相如・遂に連城の玉を奪ひ得て趙の国へ帰りけり巳上。 全く其の如く意には玉を奪ひ取らんと思へども而も謀つて玉に瑕あり知らせ奉つらんがために参りたりと申すは内心の実に非らざるなり。故に是れ秦王を欺きたる者なり。さて玉を取り得て瑕ありとは方便なり。実には此の玉を取り返す。しからずんば、命を捨て玉を切破り、玉体を侵さんと云いしは是れ心中の実を尽して云ひける故に是れ忠誠の意なり。 如来も亦しかなり。且(しばら)く方便を以つて始成正覚と説き、内心の実を尽さざる故、是れ秦王を欺きたるものなり、今は中心の実を尽して久遠実成と説く。故に是れ物を欺かず。真実至極の御語を誠と云ふぞと云ふことを、誠は是れ忠誠物を欺かず釈し玉へり。次に諦とは、疏に云く。諦は是れ審美なり。言は則ち真に詣る云云。文の意は是れは直に法体の真実なるを諦と云ふなり。 譬へば天上の月は真の月、水中の月は虚偽なり。天月を説く言は諦語なり。水月を説く言は不諦語なり。全く其の如く爾前迹門に於て、本無今有の当分当分の理を信得せる始成正覚の仏なりと説くは、従本垂迹月の水に現するが如しとも、天月を識らず・但池月を観るとも釈して迦耶始成の仏は水月なれば、此の水月の始成正覚を説くは不諦語なり。 今は則ちしからずして久遠五百塵点の往昔(むかし)を説き。本地惣別超過所説の妙法を証得してある真実久成の仏なりと説き顕はし玉ふに依つて、是れは天上の月を真月なりと説くが如くなれば則ち諦語にてこれありと云ふことを諦是れ審美。真言は則ち真に詣ると釈し玉へり。正しく其の誠諦とは則ち次下の然善男子・我実成仏巳来・無量無辺百千万億那由多劫なりと説き玉へるは。則ち誠諦の言こそあれと云ふ事を天台大師次下に然善男子我実成仏巳来とは上の文の誠諦の誠は則ち此れなりと釈し玉へり。仍て誠諦の語とは、然善男子我実成仏の文是れなり。 しかれば初にまことの誠語を信解せよとある。裏には爾前迹門はまことならざる言ぞと云ふ義自ら分明なり。亦次に我実成仏してより巳来無量無辺等と説き玉へば、裏にて爾前迹門の所説はいまだ真実ならずと云ふ事明かなり。しかれば爾前迹門は他の意に随ひ、且く設け玉ふ所の方便。今此の寿量品は如来随自意真実至極の説でこそあれと云ふこと、自ら顕れてあり、仍つて天台大師は昔は七方便随他意の語なれば誠実を告るに非ず。今は随自意語なればこれを示めすに要を以てす。故に誠諦と云ふ巳上。 此の疏の意は蔵通別の三教を随他意とし寿量品を随自意と釈し玉へり、しかりと雖も爾前迹門の円教に何れの処か久遠実成を明せる。即ち故に実は迹門・爾前倶に随他意の方便、但此の本門寿量品のみ随自意真実の己証の法門でこそあれと云ふことは分明なり。 而も疏に爾前円と迹門とを随他意の内に且くこれを除き玉ふは子細これ有るなり。記九本五十六に云く、円人の中には亦無生忍の者有るを以て遠を聞き易し故に置いて論ぜず巳上。意は爾前迹門の円人の中には、中道無生を証したる者ある故に、此れ等は寿量品を聞くに易きが故に且く置いて論ぜざるなり。しかりと雖も実に爾前迹門は惣じて随他意方便でこそあれと云ふことを昔七方便より誠諦に至るまで七方便権と言ふとは、且く権に寄す。若し果門に対すれば、権実倶に是れ随他意なり巳上。文の意は本疏に七方便を随他意と云ふ事は、且く昔の権に寄せたるなり。若し本門に対する時は爾前の権も、迹門の実も倶に是随他意方便ぞと云ふ事を若対果門権実・倶是随他意と釈するなり。輔記九・十七に云く、本実を以つて自意となす。今は迹門を以つて随他となす巳上。しかれば爾前迹門倶に随他意なり。此の寿量品の如来真実の随自意と云ふ事は文義分明なり。 問ふ、随他意とは其の相如何。 答ふ、涅槃経第十八・卅二・嬰児行(えいじぎょう)品に云く、彼の嬰児啼哭の時、父母即ち樹の黄葉を以つてこれに語つて言く、啼くこと莫れ、我れ汝に金を与へん。嬰児見巳つて真金の相を生じて、便ち止めて啼かざるが如し。しかるに此の黄葉実に金に非ずなり。木牛木馬木男木女嬰児見巳つて亦復男女等の想を生ず。即ち止めて啼かず。実に男女に非ず巳上。 文意に云く只是れ彼れが啼哭を止めんがために其の好む所に随つて、或は金子を以つて止むべきには黄なる楊等をあたへ、或は木馬木牛を与ふるなり。只是れ嬰児の意に随つて一往の方便なり。全く其の如く爾前迹門の間は他の意に随つて其の所好に趣いて一往啼哭を止ま(む)る方便なり。故に真実得道之れ無きなり。故に経に但以方便教化衆生とも説き玉へり。 妙楽大師は権実倶に是れ随他意と釈し。宗祖大聖人は第十八十九又迹門並びに前四味無量義経等は、三説の内悉く随他意・易信易解なり。本門は三説の外の難信難解・随自意なり巳上。然れば釈迦如来、天台、妙楽、祖師大聖人は一同に迹門爾前は皆悉く随他意の易信易解・方便なりと・の玉へり。何んぞ末代に於て異解を生ぜんや。 亦此の随自随他に付ては重々之れ有り。所謂三教随他意、円教随自意。又爾前は惣じて随他意、法華は随自意、又迹門は随他意、本門は随自意なり。其の外之れを略す。 問ふ、迹門は随他意、本門は随自意なる義分明なり、此の義を知つて何の詮有るや。 答ふ、私に之れを宣ぶ詮無し。宗祖云く十七・卅五に云く、問ふ其の義を知つて何の詮有らんや。答ふ、生死の長夜を照らす大燈明、元品の無明を切る大利剣、此の法門に過ぎざるか巳上。 私に云く、是の問答は重々の難信難解・易信易解を知つて何の詮有るやと問ふなり。此を答ふる時・爾に云ふ、何んぞ随自意・随他の問答と云ふや。 答ふ、従義転用なりとも不可無し、況んや次上卅四に云く、易信得易解・随他意の故に難信難解・随自意の故に巳上。故に知んぬ難易有り。所以に随自随・他に由る故に引き答ふなり。 亦上に引く観心本尊抄に三説の外の難信難解・随自意等とこれを思へ。既に分明に爾前は随他意方便なり。法花は随自意真実なり。迹門は随他意方便・本門は随自意真実なりと権実浅深本迹の勝劣を判ずる宗祖の妙判の如くんば、生死の長夜を照す大燈明、元品の無明を切る大利劔は此の法門に過ぎずとのたまへり。 亦明かに知んぬ。権実の起尽(きじん)に迷ひ本迹の優劣を窮(きわ)めざる者は生死の長夜に迷ひ元品の無明を改めず。生死に沈淪せんこと必定なり。現に此の法門に過ぎずとあれば本迹勝劣の法門の外は生死の闇に迷ひ、無明の酒に耽ける法門なることを知るべきなり。 然るに面々は大聖人の流を汲む中にも別して宗祖の御本懐に相ひ叶ふ。当流の法水を嘗(な)め寔(まこと)に生死の長夜を照らす大燈明・元品の無明を切る大利劔・此の本門寿量の南無妙法蓮華経を唱へ奉れば成仏決定せり。春の後に夏は来らずとも・塩の満干(みちひき)は無くとも成仏疑ひ無し。 御書卅四・卅七、我実成仏とは、寿量品巳前を未顕真実と云ふに非らずや。是の故に記九に云く、昔七方便より誠諦に至るまでは七方便・権と言ふとは且く昔の権に寄す。若し果門に対すれば権実倶に是れ随他意なり巳上。此の釈・明に知んぬ。迹門尚随他意と云ふ。寿量品は皆実不虚と巳上 巳上七座畢(おわん)ぬ
元禄十二(1699年)己卯(つちのとう)六月十二日新文句砌云云 覚真日如 これを篇す。
by johsei1129
| 2023-05-17 11:43
| 富士宗学要集
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