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日蓮大聖人『御書』解説

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2022年 08月 11日

人の心を貫く妙法蓮華経は宇宙に遍満し一体であると明かされた 【三世諸仏総勘文教相廃立】

要点解説其の六

 生滅無常の相を離れたるが故に無相と云うなり、法性(ほっしょう)の淵底(えんでい)・玄宗の極地なり故に極理と云う、此の無相の極理なる寂光の極楽は一切有情の心性の中に有つて清浄無漏(むろ)なり、之を名けて妙法の心蓮台とは云うなり、是の故に心外無別法と云う、此れを一切法は皆是仏法なりと通達解了すとは云うなり。

 生と死と二つの理は生死の夢の理なり・妄想なり・顛倒なり。本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し、既に生死を離れたる心法に非ずや・劫火にも焼けず・水災にも朽ちず・剣刀にも切られず・弓箭にも射られず・芥子の中に入るれども芥子も広からず・心法も縮まらず・虚空の中に満つれども虚空も広からず・心法も狭からず・善に背くを悪と云い・悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し、此の善と悪とを離るるを無記と云うなり。善悪無記・此の外には心無く・心の外には法無きなり。故に善悪も浄穢も、凡夫・聖人も、天地も大小も、東西も南北も、四維も上下も、言語道断し心行所滅す。心に分別して思い、言い顕す言語なれば心の外には分別も無分別も無し。言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり。凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くるなり。神通とは神(たましい)の一切の法に通じて礙(さわり)無きなり。

 此の自在の神通は一切の有情の心にて有るなり、故に狐狸(こり)も分分に通を現ずること皆心の神(たましい)の分分の悟なり、此の心の一法より国土世間も出来する事なり、一代聖教とは此の事を説きたるなり、此れを八万四千の法蔵とは云うなり、是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり、此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり、我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり、此の心が善悪の縁に値うて善悪の法をば造り出せるなり、

 華厳経に云く「心は工(たくみ)なる画師(えし)の種種の五陰を造るが如く、一切世間の中に法として造らざること無し、心の如く仏も亦爾なり、仏の如く衆生も然なり、三界唯一心なり、心の外に別の法無し、心仏及び衆生・是の三差別無し」已上、

無量義経に云く「無相・不相の一法より無量義を出生す」已上、無相・不相の一法とは一切衆生の一念の心是なり、文句に釈して云く「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり、二乗の有余・無余の二つの涅槃の相を離るが故に不相と云うなり」云云、心の不思議を以て経論の詮要と為すなり

此の心を悟り知るを名けて如来と云う、之を悟り知つて後は十界は我が身なり・我が心なり・我が形なり・本覚の如来は我が身心なるが故なり、之を知らざる時を名けて無明と為す、無明は明かなること無しと読むなり、我が心の有様を明かに覚らざるなり、之を悟り知る時を名けて法性(ほっしょう)と云う。

故に無明と法性とは一心の異名なり。


要点解説其の七に続く




by johsei1129 | 2022-08-11 14:03 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)


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