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日蓮大聖人『御書』解説

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2022年 08月 11日

人の心を貫く妙法蓮華経は宇宙に遍満し一体であると明かされた 【三世諸仏総勘文教相廃立】

要点解説その五


 譬えば衆流を大海に納むるが如きなり、仏の心法妙・衆生の心法妙と此の二妙を取つて己心に摂むるが故に心の外に法無きなり。己心と心性と心体との三は己身の本覚の三身如来なり。

是を経に説いて云く「如是相応身如来、如是性報身如来、如是体法身如来」

此れを三如是と云う、此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し、十方法界を心性と為し、十方法界を相好(そうごう)と為す。

是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり、法界に周編して一仏の徳用なれば一切の法は皆是仏法なりと説き給いし時、其の座席に列し諸の四衆・八部・畜生・外道等一人も漏れず皆悉く妄想の僻目、僻思(ひがおもい)、立所(たちどころ)に散止して本覚の寤に還て皆仏道を成ず。

 仏は寤の人の如く衆生は夢見る人の如し、故に生死の虚夢(こむ)を醒して本覚の寤に還るを即身成仏とも、平等大慧とも、無分別法とも、皆成仏道とも云う、只一つの法門なり。

 十方の仏土は区(まちまち)に分れたりと雖も通じて法は一乗なり。


方便無きが故に無分別法なり。

十界の衆生は品品に異りと雖も実相の理(ことわり)は一なるが故に無分別なり百界千如・三千世間の法門殊なりと雖も十界互具するが故に無分別なり。夢と寤と虚と実と各(おのおの)別異なりと雖も一心の中の法なるが故に無分別なり。

 過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり。

一切経の語は夢中の語とは譬えば扇と樹との如し、法華経の寤の心を顕す言(ことば)とは譬えば月と風との如し、故に本覚の寤の心の月輪の光は無明の闇を照し、実相般若の智慧の風は妄想の塵を払う、故に夢の語の扇と樹とを以て寤の心の月と風とを知らしむ、是の故に夢の余波(なごり)を散じて寤の本心に帰せしむるなり、故に止観に云く「月・重山(じゅうざん)に隠るれば扇を挙げて之に類し、風大虚(たいこ)に息()みぬれば樹を動かして之を訓ゆるが如し」文、


弘決()に云く「真常性(しんじょうしょう)の月煩悩の山に隠る、煩悩一に非ず故に名けて重と為す、円音教(えんのんぎょう)の風は化を息めて寂に帰す、寂理無礙なること猶大虚の如し、四依の弘教は扇と樹との如し乃至月と風とを知らしむるなり已上、夢中の煩悩の雲・重畳せること山の如く、其の数八万四千の塵労にて心性本覚の月輪を隠す、扇と樹との如くなる経論の文字言語の教を以て月と風との如くなる本覚の理を覚知せしむる聖教なり、故に文と語とは扇と樹との如し」文、上釈は一往の釈とて実義に非ざるなり、月の如くなる妙法の心性の月輪と風の如くなる我が心の般若の慧解とを訓え知らしむるを妙法蓮華経と名く、故に釈籤(しゃくせん)に云く「声色(しょうしき)の近名(ごんみょう)を尋ねて無相の極理に至る」と已上。

 声色の近名とは扇と樹との如くなる夢中の一切経論の言説なり。無相の極理とは月と風との如くなる、寤の我が身の心性の寂光の極楽なり。

 此の極楽とは十方法界の正報の有情と十方法界の依報の国土と和合して、一体三身即一なり、四土不二にして法身の一仏なり。十界を身と為すは法身(ほっしん)なり、十界を心と為すは報身なり、十界を形と為すは応身なり。

 十界の外に仏無し・仏の外に十界無くして依正不二(えしょうふに)なり、身土不二なり、一仏の身体なるを以て寂光土と云う。是の故に無相の極理とは云うなり。


弘決

『止観輔行伝弘決』

妙楽大師湛然による『摩訶止観』の注釈書。十巻。

天台大師よる摩訶止観の法門の正統性を明示。天台宗内の異端や華厳宗・法相宗の主張を批判。


要点解説その六に続く





by johsei1129 | 2022-08-11 10:04 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)


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