要点解説その四
故に知んぬ、十方の仏土に無き方便の教を取つて往生の行と為し、十方の浄土に有る一乗の法をば之を嫌いて取らずして成仏す可き道理有る可しや否や。
一代の教主釈迦如来・一切経を説き勘文し給いて言く、三世の諸仏同様に一つ語(ことば)一つ心に勘文し給える説法の儀式なれば我も是くの如く一言も違わざる説教の次第なり云云、方便品に云く「三世の諸仏の説法の儀式の如く、我も今亦是くの如く無分別の法を説く」已上、無分別の法とは一乗の妙法なり善悪を簡(えら)ぶこと無く草木・樹林(じゅりん)・山河・大地にも一微塵の中にも互に各十法界の法を具足す、我が心の妙法蓮華経の一乗は十方の浄土に周編して闕(か)くること無し、十方の浄土の依報・正報の功徳荘厳は我が心の中に有つて片時も離るること無き三身即一の本覚の如来にて是の外には法無し、此の一法計り十方の浄土に有りて余法有ること無し、故に無分別法と云う是なり、此の一乗妙法の行をば取らずして全く浄土には無き方便の教を取つて成仏の行と為さんは迷いの中の迷いなり、我仏に成りて後に穢土に立ち還りて穢土の衆生を仏法界に入らしめんが為に次第に誘引して方便の教を説くを化他の教とは云うなり、故に権教と言い又方便とも云う、化他の法門の有様大体略を存して斯くの如し。
注
二に自行の法とは是れ法華経八箇年の説なり、是の経は寤(うつつ)の本心を説き給う、唯衆生の思い習わせる夢中の心地なるが故に夢中の言語を借りて寤の本心を訓(おしう)る故に語は夢中の言語なれども意(こころ)は寤の本心を訓ゆ、法華経の文と釈との意、此くの如し。
之を明め知らずんば経の文と釈の文とに必ず迷う可きなり。
但し此の化他の夢中の法門も寤の本心に備われる徳用の法門なれば夢中の教を取つて寤の心に摂むるが故に、四十二年の夢中の化他方便の法門(注)も妙法蓮華経の寤の心に摂まりて心の外には法無きなり、此れを法華経の開会とは云うなり。
四十二年の夢中の化他方便の法門 釈迦の成道及び説法の次第
三十歳で菩提樹の下で成道、四十余年後(七十数歳) 霊鷲山で法華経を説き始める。
現在の霊鷲山 世界中から仏教徒が訪れている。