要点解説その三
此くの如く説き已つて後に又上上品の根本善を立て上中下、三三九品の善と云う。
皆悉く九界生死の夢の中の善悪の是非なり。
今是をば総じて邪見外道と為す捜要記の意、此の上に又上上品の善心は本覚の寤の理なれば此れを善の本(もと)と 云うと説き聞かせ給し時に、夢中の善悪の悟の力を以ての故に寤の本心の実相の理を始めて聞知せられし事なり。
是の時に仏説いて言く、夢と寤との二は虚事と実事との二の事なれども心法は只一なり。
眠の縁に値(あ)いぬれば夢なり、眠去りぬれば寤の心なり。
心法は只一なりと開会せらるべき下地を造り置かれし方便なり。
此れは別教の中道の理 是の故に未だ十界互具・円融相即を顕さざれば成仏の人無し。
故に三蔵教より別教に至るまで四十二年の間の八教は、皆悉く方便・夢中の善悪なり。
只暫く之を用いて衆生を誘引し給う支度方便なり。
此の権教の中にも分分に皆悉く方便と真実と有りて権実の法闕(か)けざるなり。
四教一一に各四門有つて差別有ること無し、語(ことば)も只同じ語なり、文字も異ること無し。
斯(こ)れに由つて語に迷いて権実の差別を分別せざる時を仏法滅すと云う。
是の方便の教は唯、穢土(えど)に有つて総じて浄土には無きなり。(注)
法華経に云く「十方の仏土の中には唯一乗の法のみ有つて二無く亦三も無し、仏の方便の説をば除く」已上。
注
穢土(えど)に有つて総じて浄土には無きなり
穢土とは煩悩で穢れている衆生の住む地球上の現実世界でいわゆる娑婆(しゃば)世界
浄土とは大乗仏教で仏や菩薩の住む清浄な国土をいう。
しかし日蓮大聖人は守護国家論で「此経を信ずる人の所佳の処は即ち浄土なり」と断じられておられれます。
要点解説その四に続く