要点解説その二
故に三蔵教を修行すること三僧祇・百大劫を歴て、終りに仏に成らんと思えば、我が身より火を出して灰身(けしん)入滅とて灰と成つて失せるなり。
通教を修行すること七阿僧祇・百大劫を満てて仏に成らんと思えば前の如く同様に灰身入滅して跡形も無く失せぬるなり、別教を修行すること二十二大阿僧祇・百千万劫を尽くして終りに仏に成りぬと思えば、生死の夢の中の権教の成仏なれば本覚の寤の法華経の時には別教には実仏無し、夢中の果なり、故に別教の教道には実の仏無しと云うなり、別教の証道には初地に始めて一分の無明を断じて一分の中道の理を顕し始めて之を見れば、別教は隔歴不融(きゃくりゃく・ふゆう)の教と知つて円教に移り入つて円人と成り已つて別教には留まらざるなり。
上中下三根の不同有るが故に初地・二地・三地・乃至・等覚までも円人と成る故に別教の面(おもて)に仏無きなり、故に有教無人と云うなり。
故に守護国界章(注)に云く「有為の報仏は夢中の権果前三教の修行の仏、無作(むさ)の三身は覚前の実仏なり。
後の円教の観心の仏」又云く「権教の三身は未だ無常を免れず 前三教の修行の仏 実教の三身は倶体倶用なり後の円教の観心の仏」此の釈を能く能く意得(こころう)可きなり、権教は難行苦行して適(たまたま)仏に成りぬと思えば夢中の権の仏なれば本覚の寤の時には実仏無きなり、極果の仏無ければ有教無人なり況や教法実ならんや、之を取つて修行せんは聖教に迷えるなり。
此の前三教には仏に成らざる証拠を説き置き給いて末代の衆生に慧解(えげ)を開かしむるなり。
九界の衆生は一念の無明の眠(ねむり)の中に於て生死の夢に溺れて本覚の寤を忘れ、夢の是非に執して冥(くら)きより冥きに入る。
是の故に如来は我等が生死の夢の中に入つて顛倒の衆生に同じて夢中の語を以て夢中の衆生を誘(いざな)い、夢中の善悪の差別の事を説いて漸漸に誘引し給うに、夢中の善悪の事重畳して様様に無量・無辺なれば先ず善事に付いて上中下を立つ、三乗の法是なり三三九品なり。
注 守護国界章
最澄の著作。九巻。弘仁九 (818) 年成立。法相宗の僧侶徳一が天台の教理を批判したのに対しこれを論破した書。
守護国界章によって天台宗の基礎が確立されたとみられております。
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