その四
一には化他・二には自行
自行は通常、仏道修行の自行・化他行の場合、自行は自らの成仏を願う、勤行唱題教学を意味し、
化他(行)は他者を救済する目的の摂受・折伏行を意味するが、本抄で日蓮大聖人は、 自行は仏が説く法が仏の悟りそのままを説く随自意である法を自行、相手の機根を考慮して説く随他意の法を説く場合を化他と称しております。
日蓮大聖人は秀句十勝抄において次のように示しておられます。
「已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経(注)は易信易解なるとし、随他意なるが故に。
此の法華経は最も為れ難信難解なり。随自意なるが故に。随自意の説は随他意に勝る」 と示しておられます。
已説は四時の経、今説は無量義経、当説は涅槃経とするのは天台の説で、法華経は已説、今説、当説の範囲を超えているとするが、当時の他の仏教学者から「当説は今説いているのであるから法華経である」と主張する天台大師への批判は多かった。