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日蓮大聖人『御書』解説

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2021年 11月 04日

仏説観普賢菩薩行法経 (1)  訓読

観普賢菩薩行法経   漢訳


是の如きを我聞きき、一時、仏、毗舎離国(びしゃりこく)、大林精舎、重閣講堂に在して、諸の比丘に告げたまわく、

却って後三月あって、我当に般涅槃すべし。

尊者阿難、即ち座より起って衣服を整え、手を叉(あざ)え合掌して、仏を遶る(めぐ)こと三帀(さんそう)して、仏の為に礼を作し、胡跪(こき)し合掌して、諦(あきら)かに如来を観たてまつりて目暫(しばら)くも捨てず。長老摩訶迦葉、弥勒菩薩摩訶薩も亦座より起って、合掌し礼を作して尊顔を瞻仰(せんごう)したてまつる。

時に三大士、異口同音(いくどうおん)にして仏に白して言さく、
世尊、如来の滅後に云何にしてか衆生、菩薩の心を起し、大乗方等経典を修行し、正念に一実の境界を思惟せん。云何にしてか無上菩提の心を失わざらん。云何にしてか復当に煩悩を断ぜず五欲を離れずして、諸根を浄め諸罪を滅除することを得、父母所生の清浄の常の眼、五欲を断ぜずして而も能く諸の障外(しょうげ)の事を見ることを得べき。

仏、阿難に告げたまわく、
諦かに聴け、諦かに聴け、善く之を思念せよ。如来昔、耆闍崛山(ぎしゃくっせん)及び余の住処に於いて、已に広く一実の道を分別せしかども、今此の処に於いて、未来世の諸の衆生等の大乗無上の法を行ぜんと欲せん者、普賢の行を学し普賢の行を行ぜんと欲せん者の為に、我今当に其の所念の法を説くべし。若しは普賢を見及び見ざる者の罪数を除却せんこと、今汝等が為に当に広く分別すべし。
阿難、普賢菩薩は乃ち東方の浄妙国土に生ぜり。其の国土の相は雑華経の中に已に広く分別せり。我今此の経に於いて略して解説せん。
阿難、若し比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、八部一切衆生の大乗を誦せん者、大乗を修せん者、大乗の意を発せん者、普賢菩薩の色身を見んと楽(ねが)わん者、多宝仏の塔を見たてまつらんと楽わん者、釈迦牟尼仏及び分身の諸仏を見たてまつらんと楽わん者、六根清浄を得んと楽わん者は、当に是の観を学すべし。此の観の功徳は、諸の障礙を除いて上妙の色を見る。三昧に入らざれども、但誦持(じゅじ)するが故に、心を専らにして修習し、心心相次いで大乗を離れざること、一日より三七日に至れば普賢を見ることを得。重き障ある者は、七七日の後然して後に見ることを得、復重きことある者は一生に見ることを得、復重きことある者は二生に見ることを得、復重きことある者は三生に見ることを得。是の如く種種に業報不同なり、是の故に異説す。

普賢菩薩は身量無辺、音声無辺、、色像無辺なり。此の国に来らんと欲して自在神通に入り、身を促(しょう)めて小ならしむ。閻浮提の人は三障重きが故に、智慧力を以って化して白象に乗れり。其の象に六牙あり、七支地を跬(ささ)えたり。其の七支の下に七蓮華を生ぜり。其の象の色鮮白なり、白の中に上(すぐ)れたる者なり。頗棃雪山(はりせっせん)も比とすることを得ず。象の身の長さ四百五十由旬、高さ四百由旬。六牙の端に於いて六つの浴池あり。一一の浴池の中に十四の蓮華を生ぜり、池と正等なり。其の華開敷(かいふ)せること天の樹王のごとし。一一の華の上に一人の玉女あり。顔色紅の如くにして、暉天女(ひかりてんにょ)に過ぎたるあり。手の中に自然に五つの箜篌(くうごう)を化せり。一一の箜篌に五百の楽器あり以って眷属とせり、五百の鳥あり。鳧()、雁(がん)、鴛鴦(えんのう)、皆衆宝の色にして、華葉の間に生ぜり。象の鼻に華あり、其の茎譬えば赤真珠の色の如し。其の華金色にして含んで未だ敷(ひら)けず。

是の事を見已って復更に懺悔し、至心に諦観して大乗を思惟すること心に休廃せざれば、華を見るに即ち敷け金色に金光あり。其の蓮華台は是れ甄叔迦宝(けんしゅくかほう)、妙梵摩尼(みょうぼんまに)を以て華台とし、金剛宝を以って華鬚(けしゅ)とせり。化仏有(いま)せるを見るに蓮華台に坐したまえり。衆多の菩薩蓮華鬚(ぼさつれんげしゅ)に坐せり。化仏の眉間(みけん)より亦金色の光を出して象の鼻の中に入る。紅蓮華の色にして象の鼻の中より出でて象の眼の中に入り、象の眼の中より出でて象の耳の中に入り、象の耳より出でて象の頂上を照らして化して金台と作る。象の頭の上に当って三化人あり、一人は金輪を捉()り、一人は摩尼珠を持ち、一人は金剛杵(こんごうしょ)を把(にぎ)れり。杵を挙げて象に擬するに象即ち能く行歩す。脚地を履まず、虚を躡()んで遊ぶ。地を離るること七尺、地に印文あり。印文の中に於いて千輻轂輞(せんぷくこくもう)皆悉く具足せり。一一の輞間(もうけん)に一の大蓮華を生ず。此の蓮華の上に一の化象を生ぜり。亦七支あり、大象に随って行く。足を挙げ足を下すに七千の象を生ず。以って眷属となして大象に随従せり。象の鼻紅蓮華の色なる、上に化仏有して眉間の光を放ちたもう。其の光金色にして前の如く象の鼻の中に入り、象の鼻の中より出でて象の眼の中に入り、象の眼の中より出でて還って象の耳に入り、象の耳より出でて象の頂上に至る。漸々に上り象の背中に至り、化して金鞍(こんなん)と成って七宝校具(きょうぐ)せり。鞍の四面に於いて七宝の柱あり、衆宝校飾して以て宝台を成せり。台の中に一の七宝の蓮華鬚あり。其の蓮華鬚は百宝をもって共に成ぜり。其の蓮華台は是れ大摩尼なり。

一人の菩薩あり、結跏趺坐(けっかふざ)せり、名を普賢という。身白玉の色にして五十種の光あり。光に五十種の色あり、以って頂光と為す。身の諸の毛孔より金光を流出す。其の金光の端に無量の化仏まします。諸の化菩薩を以って眷属と為せり。
安詳(あんじょう)として徐(ようや)くに歩み、大いなる宝蓮華を雨らして行者の前に至らん。其の象口を開くに、象の牙の上に於いて、諸池の玉女鼓楽絃歌す。
其の声微妙にして大乗一実の道を讃歎す。行者見已って歓喜し敬礼して、復更に甚深の経典を読誦し遍く十方無量の諸仏を礼し、多宝仏塔及び釈迦牟尼仏を礼したてまつり並に普賢、諸の大菩薩を礼して、是の誓願を発す。

若し我宿福あらば応(まさ)に普賢を見たてまつるべし。願わくは尊者遍普、我に色身を示したもうべしと。是の願を作し已って、昼夜六時に十方の仏を礼し懺悔の法を行じ、大乗経を読み大乗経を誦し、大乗の義を思い大乗の事を念じ、大乗を持つ者を恭敬し供養し、一切の人を視ること猶お仏の想の如くし、諸の衆生に於いて父母の想の如くせよ。

是の念を作し已りなば、普賢菩薩即ち眉間(みけん)より大人相白毫(びゃくごう)の光明を放たん。
此の光現ずる時に、普賢菩薩身相端厳にして紫金山(しこんせん)の如く、端正微妙にして三十二相皆悉く備え有てらん。身の諸の毛孔より大光明を放ち、其の大象を照らして金色とならしめん。一切の化象も亦金色となり、諸の化菩薩も亦金色と作らん。其の金色の光東方無量の世界を照らすに、皆同じく金色とならん。南西北方四維上下も亦復是の如し。
爾の時に十方面、一一の方に於いて一人の菩薩の六牙の白象王に乗れるあり。亦普賢の如く等しくして異なることあることなけん。是の如く十方無量無辺の中に満てる化象も、普賢菩薩の神通力の故に、持経者をして皆悉く見ることを得せしめん。
是の時に行者、諸の菩薩を見て身心歓喜して、其の為に礼を作して白して言さく、
大慈大悲者、我を愍念したもうが故に我が為に法を説きたまえと。

是の語を説く時に、諸の菩薩等異口同音に各清浄の大乗経法を説いて、諸の偈頌を作って行者を讃歎すべし。是れを始めて普賢菩薩を観ずる最初の境界と名づく。

爾の時に行者是の事を見已って、心に大乗を念じて昼夜に捨てざれば、睡眠の中に於いて、夢に普賢其の為に法を説くと見ん。覚の如くにして異なることなく、其の心を安慰して是の言を作さん、

汝が誦持する所、是の句を忘失し是の偈を忘失せりと。爾の時に行者、普賢の深法を説くことを聞いて其の義趣を解し、憶持して忘れじ。

日日に是の如くして其の心漸く利ならん。普賢菩薩其れをして十方の諸仏を憶念せしめん。普賢の教に随って正心、正憶にして、漸く心眼を以って東方の仏の身黄金の色にして端厳微妙なるを見たてまつらん。一仏を見たてまつり已って、復一仏を見たてまつらん。是の如く漸漸に遍く東方の一切の諸仏を見たてまつり、心想利なるが故に、遍(あまね)く十方の一切の諸仏を見たてまつらん。諸仏を見たてまつり已って、心に歓喜を生じて、是の言を作さく、

大乗に因るが故に大士を見ることを得、大士の力に因るが故に諸仏を見たてまつることを得たり。諸仏を見たてまつると雖も、猶お未だ了了ならず。目を閉ずれば則ち見、目を開けば則ち失う。是の語を作し已って、五体を地に投じて遍く十方の仏を礼せん。諸仏を礼し已って、胡跪し合掌して是の言を作せ、

諸仏世尊は十力、無畏、十八不共法、大慈、大悲、三念処まします。常に世間に在して色の中の上色なり。我何の罪あって見たてまつることを得ざると。

是の語を説き已って復更に懺悔せよ。懺悔清浄なること已りなば、普賢菩薩復更に現前して行、住、坐、臥に其の側を離れず。乃至夢の中にも常に為に法を説かん。此の人覚め已って法喜の楽を得ん。是の如くして昼夜三七日を経て、然して後に方に旋陀羅尼(せんだらに)を得ん。陀羅尼を得るが故に、諸仏、菩薩の所説の妙法憶持して失わじ。亦常に夢に過去の七仏を見たてまつらんに、唯釈迦牟尼仏のみ其れが為に法を説きたまわん。是の諸の世尊、各各に大乗経典を称讃したまわん。爾の時に行者復更に歓喜して、遍く十方の仏を礼せん。十方の仏を礼し已りなば、普賢菩薩其の人の前に住して、教えて宿世の一切の業縁を説いて、黒悪の一切の罪事を発露せしめん。
諸の世尊に向いたてまつり、口に自ら発露せよ。
既に発露し已りなば、尋いで時に即ち諸仏現前三昧を得ん。是の三昧を得已って、東方の阿閦仏(あしゅくぶつ)及び妙喜国を見たてまつること了了分明(ふんみょう)ならん。是の如く十方各諸仏の上妙の国土を見ること了了分明ならん。既に十方の仏を見たてまつり已って、夢むらく、象の頭の上に一人の金剛人あり、金剛の杵を以て遍く六根に擬()す。六根に擬し已りなば、普賢菩薩、行者の為に六根清浄懺悔の法を説かん。是の如く懺悔すること、一日より三七日に至らん。諸仏現前三昧の力を以っての故に、普賢菩薩の説法荘厳の故に、耳漸漸に障外の声を聞き、眼漸漸に障外の事を見、鼻漸漸に障外の香を聞がん。広く説くこと妙法華経の如し。是の六根清浄を得已って、身心歓喜して諸の悪想なけん。心を是の法に純らにして法と相応せん。復更に百千万億の旋陀羅尼を得。復更に広く百千万億無量の諸仏を見たてまつらん。是の諸の世尊各の右手を申べて、行者の頭を摩でて是の言を作したまわん。

善哉善哉、大乗を行ずる者、大荘厳の心を発せる者、大乗を念ずる者なり。我等昔日(むかし)菩提心を発せし時皆亦是の如し。汝慇懃(おんごん)にして失わざれ。我等先世に大乗を行ぜしが故に、今清浄正遍知の身と成れり。汝今亦当に勤修して懈(おこた)らざるべし。

此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり。
此の経を持つ者は、即ち仏身を持ち、即ち仏事を行ずるなり。当に知るべし、是の人は即ち是れ諸仏の所使なり。諸仏世尊の衣に覆われ、諸仏如来の真実の法の子なり。汝大乗を行じて法種を断たざれ。
汝今諦かに東方の諸仏を観じたてまつれ。


つづく


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by johsei1129 | 2021-11-04 20:08 | 法華経28品 並開結 | Trackback | Comments(0)


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