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日蓮大聖人『御書』解説

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2021年 11月 03日

無量義経 十功徳品第三 (1)  訓読

無量義経 十功徳品第三   漢訳

爾の時に大荘厳菩薩摩訶薩、仏に白して言さく、
世尊、世尊、是の微妙甚深(みみょう・じんじん)、無上大乗、無量義経を説きたもう。真実甚深、甚深甚深なり。所以(ゆえん)は何(いか)ん、此の衆の中に於いて、諸の菩薩摩訶薩及び諸の四衆、天、龍、鬼神、国王、臣民、諸有の衆生、是の甚深、無上大乗、無量義経を聞いて、陀羅尼門、三法、四果、菩提の心を獲得せざることなし。当に知るべし、此の法は文理真正なり、尊にして過上なし。三世の諸仏の守護したもう所なり。衆魔群道、得入することあることなし。一切の邪見生死に壊敗(えはい)せられず。所以は何ん、一たび聞けば能く一切の法を持つが故に。
若し衆生あって是の経を聞くことを得るは、則ち為(こ)れ大利なり。所以は何ん、若し能く修行すれば必ず疾く無上菩提を成ずることを得ればなり。
其れ衆生あって聞くことを得ざる者は、当に知るべし、是等は為れ大利を失えるなり。無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん、菩提の大道を知らざるが故に、険径(けんぎょう)を行くに留難多きが故に。
世尊、是の経典は不可思議なり。唯願わくは世尊、広く大衆の為に慈哀して是の経の甚深不思議の事を敷演したまえ。世尊、是の経典は何れの所よりか来り、去って何れの所にか至り、住って何れの所にか住する。乃ち是の如き無量の功徳不思議の力あって、衆をして疾く阿耨多羅三貎三菩提を成ぜしめたもうや。
爾の時に世尊、大荘厳菩薩摩訶薩に告げて言わく、
善哉善哉、善男子、是の如し是の如し、汝が説く所の如し。善男子、我是の経を説くこと甚深甚深真実甚深なり。所以は何ん、衆をして疾く無上菩提を成ぜしむるが故に、一たび聞けば能く一切の法を持つが故に、諸の衆生に於て大に利益するが故に、大直道を行じて留難なきが故に。善男子、汝、是の経は何れの所よりか来り、去って何れの所にか至り、住って何れの所にか住すると問わば、当に善く諦(あきら)かに聴くべし。善男子、是の経は本諸仏の室宅の中より来り、去って一切衆生の発菩提心に至り、諸の菩薩所行の処に住す。善男子、是の経は、是の如く来り、是の如く去り、是の如く住したまえり。是の故に、此の経は、能く是の如き無量の功徳、不思議の力あって、衆をして疾く無上菩提を成ぜしむ。
善男子、汝、寧ろ是の経に復十の不思議の功徳力あるを聞かんと欲するや不や。
大荘厳菩薩の言さく、
願わくは聞きたてまつらんと欲す。
仏の言わく、
善男子、第一に、是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして菩提心を発さしめ、慈仁なき者には慈心を起さしめ、殺戮(せつりく)を好む者には大悲の心を起さしめ、嫉妬(しっと)を生ずる者には随喜の心を起さしめ、愛著ある者には能捨の心を起さしめ、諸の慳貪(けんどん)の者には布施の心を起さしめ、憍慢(きょうまん)多き者には持戒の心を起さしめ、瞋恚(しんに)盛んなる者には忍辱(にんにく)の心を起さしめ、懈怠(けたい)を生ずる者には精進の心を起さしめ、諸の散乱の者には禅定の心を起さしめ、愚癡多き者には智慧の心を起さしめ、未だ彼を度すること能わざる者には、彼を度する心を起さしめ、十悪を行ずる者には、十善の心を起さしめ、有為(うい)を楽う者には無為の心を志ざしめ、退心ある者には不退の心を作さしめ、有漏(うろ)を為す者には無漏の心を起さしめ、煩悩多き者には除滅の心を起さしむ。善男子、是れを是の経の第一の功徳不思議の力と名づく。

善男子、第二に是の経の不思議の功徳力とは、若し衆生あって是の経を聞くことを得ん者、若しは一転、若しは一偈乃至一句もせば、則ち能く百千億の義に通達して、無量数劫にも受持する所の法を演説すること能わじ。所以は何ん、其れ此の法は義無量なるを以っての故に。
善男子、是の経は、譬えば一の種子より百千万を生じ、百千万の中より一一に復百千万数を生じ、是の如く展転(てんでん)して乃至無量なるが如く、是の経典も又復是の如し。一法より百千の義を生じ、百千の義の中より一一に復百千万数を生じ、是の如く展転して乃至無量無辺の義あり。是の故に此の経を無量義と名づく。善男子、是れを是の経の第二の功徳不思議の力と名づく。

善男子、第三に是の経の不可思議の功徳力とは、若し衆生あって是の経を聞くことを得て、若しは一転、若しは一偈乃至一句もせば、百千万億の義に通達し已って、煩悩ありと雖も煩悩なきが如く、生死に出入すれども怖畏(ふい)の想(おもい)なけん。諸の衆生に於いて憐愍(れんみん)の心を生じ、一切の法に於いて勇健(ゆうごん)の想を得ん。壮んなる力士の諸有の重き者を能く担い能く持つが如く、是の持経の人も亦復是の如し。能く無上菩提の重き宝を荷(にな)い、衆生を担負(たんぷ)して生死の道を出す。未だ自ら度すること能わざれども、已に能く彼を度せん。猶お船師の身重病に嬰(かか)り、四体御(おさ)まらずして此の岸に安止すれども、好き堅牢の舟船常に諸の彼を度する者の具を弁ぜることあるを、給い与えて去らしむるが如く、是の持経者も亦復是の如し。五道諸有の身百八の重病に嬰り、恒常に相纏(あい・まと)わされて無明、老、死の此の岸に安止せりと雖も、而も堅牢なる此の大乗経無量義の能く衆生を度することを弁ずることあるを、説の如く行ずる者は、生死を度することを得るなり。善男子、是れを是の経の第三の功徳不思議の力と名づく。

善男子、第四に是の経の不可思議の功徳力とは、若し衆生あって是の経を聞くことを得て、若しは一転、若しは一偈乃至一句もせば、勇健の想を得て、未だ自ら度せずと雖も而も能く他を度せん。諸の菩薩と以って眷属と為り、諸仏如来、常に是の人に向って而も法を演説したまわん。是の人聞き已って悉く能く受持し、随順して逆らわじ。転た復人の為に宜しきに随って広く説かん。
善男子、是の人は譬えば国王と夫人と、新たに王子を生ぜん。若しは一日、若しは二日、若しは七日に至り、若しは一月、若しは二月、若しは七月に至り、若しは一歳、若しは二歳、若しは七歳に至り、復国事を領理すること能わずと雖も、已に臣民に宗敬(しゅきょう)せられ、諸の大王の子を以って伴侶とせん、王及び夫人、愛心偏に重くして常に与(く)みし共に語らん。所以は何ん、稚小なるを以っての故にといわんが如く、善男子、是の持経者も亦復是の如し。諸仏の国王と是の経の夫人と和合して、共に是の菩薩の子を生ず。若し是の菩薩是の経を聞くことを得て、若しは一句、若しは一偈、若しは一転、若しは二転、若しは十、若しは百、若しは千、若しは万、若しは億万恆河沙(ごうがしゃ)無量無数転せば、復真理の極を体(さと)ること能わずと雖も、復三千大千の国土を震動し、雷奮梵音をもって大法輪を転ずること能わずと雖も、已に一切の四衆、八部に宗(たっと)み仰がれ、諸の大菩薩を以って眷属とせん。深く諸仏秘密の法に入って、演説する所違(たが)うことなく失なく、常に諸仏に護念し慈愛偏に覆(おお)われん、新学なるを以ての故に。善男子、是れを是の経の第四の功徳不思議の力と名づく。

善男子、第五に是の経の不思議の功徳力とは、若し善男子、善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、其れ是の如き甚深無上大乗無量義経を受持し読誦し書写することあらん。是の人復具縛(ぐばく)煩悩にして、未だ諸の凡夫の事を遠離(おんり)すること能(あた)わずと雖も、而も能く大菩薩の道を示現し、一日を演べて以って百劫と為し、百劫を亦能く促(ちじ)めて一日と為して、彼の衆生をして歓喜し信伏せしめん。善男子、是の善男子、善女人、譬えば龍子始めて生れて七日に、即ち能く雲を興し亦能く雨を降らすが如し。善男子、是れを是の経の第五の功徳不思議の力と名づく。
善男子、第六に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子、善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、是の経典を受持し読誦せん者は、煩悩を具せりと雖も、而も衆生の為に法を説いて、煩悩生死を遠離し一切の苦を断ずることを得せしめん。衆生聞き已って修行して得法、得果、得道すること、仏如来と等しくして差別なけん。譬えば王子復稚小なりと雖も、若し王の巡遊し及び疾病するに、是の王子に委せて国事を領理せしむ。王子是の時大王の命に依って、法の如く群僚百官を教令し正化を宣流するに、国土の人民各其の要に随って、大王の治するが如く等しくして異なることあることなきが如く、持経の善男子、善女人も亦復是の如し。若しは仏の在世若しは滅度の後、是の善男子未だ初不動地に住することを得ずと雖も、仏の是の如く教法を用説したもうに依って而も之を敷演せんに、衆生聞き已って一心に修行せば、煩悩を断除し、得法、得果、乃至得道せん。善男子、是れを是の経の第六の功徳不思議の力と名づく。




by johsei1129 | 2021-11-03 15:43 | 法華経28品 並開結 | Trackback | Comments(0)


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