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日蓮大聖人『御書』解説

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2021年 10月 28日

妙法蓮華経 譬喩品第三 (2)  訓読

漢訳版

爾の時に舎利弗、仏に白して言さく、
世尊我今復疑悔無し。親(まのあた)り仏前に於いて、阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得たり。是の諸の千二百の心自在なる者、昔学地に住せしに、仏常に教化して言わく、
我が法は、能く生老病死を離れて、涅槃を究竟すと。是れ学無学の人、亦各自ら我見、及び有無の見等を離れたるを以って、涅槃を得たりと謂えり。而るに今、世尊の前に於いて、未だ聞かざる所を聞いて、皆疑惑に堕せり。善い哉世尊、願わくは四衆の為に、其の因縁を説いて、疑悔を離れしめたまえ。
爾の時に仏、舎利弗に告げたまわく、

我先に諸仏世尊の種種の因縁、譬喩言辞を以って、方便して法を説きたもうは、皆、阿耨多羅三藐三菩提の為なりと言わずや。是の諸の所説は、皆、菩薩を化せんが為の故なり。然も舎利弗、今当に復譬喩を以って、更に此の義を明かすべし。諸の智有らん者、譬喩を以って解することを得ん舎利弗、若し国邑聚落(こくおうじゅらく)に大長者有らん。其の年衰邁して財富無量なり。多く田宅及び諸の僮僕有り。其の家広大にして、唯一門有り諸の人衆多くして、一百二百、乃至五百人、其の中に止住せり。堂閣朽ち故り、牆壁頽(じょうびゃく・くず)れ落ち、柱根腐()ち敗れ、梁棟傾き危し。周帀(しゅそう)して倶時に、歘然(こつ)に火起って舎宅を焚焼す。長者の諸子、若しは十、二十、或は三十に至るまで、此の宅の中に在り。長者是の大火の四面より起るをみ見て、即ち大いに驚怖して、是の念を作さく、

我能く此の所焼の門より、安穏に出ずることを得たりと雖も、而も諸子等、火宅の内に於いて嬉戯(きげ)に楽著(ぎょうじゃく)して、覚らず、知らず、驚かず、怖じず。火来って身を逼()め、苦痛己れを切()むれども、心厭患(えんげん)せず。出でんと求むる意無し。
舎利弗、是の長者、是の思惟を作さく、
我身手に力有り。当に衣裓(えこく)を以ってや、若しは几案(きあん)を以ってや、舎より之を出すべき。
復更に思惟すらく、
是の舎は唯一門あり。而も復狭小なり。諸子幼稚にして未だ識る所有らず。戯処に恋著せり。或は当に堕落して火に焼かるべし。我当に為に怖畏(ふい)の事を説くべし。此の舎已に焼く。宜しく時に疾く出でて、火に焼害せられしむること無かるべし。
是の念を作し已って、思惟する所の如く、具に諸子に告ぐ、
汝等速かに出でよと。
父憐愍(れんみん)して、善言をもって誘諭すと雖も、而も諸子等、嬉戯に楽著し、肯て信受せず、驚かず、畏れず。了(つい)に出ずる心無し。亦復、何者か是れ火、何者か為れ舎、云何なるかを失うと為すを知らず。但東西に走り戯れて、父を視て已みぬ。爾の時に長者、即ち是の念を作さく、
此の舎已に大火に焼かる。我及び諸子、若し時に出でずんば必ず焚()かれん。我今当に方便を設けて、諸子等をして、斯の害を免るることを得せしむべし。
父、諸子の先心に、各好む所有る種種の珍玩(ちんがん)、奇異の物は、情(こころ)必ず楽著(ぎょうじゃく)せんと知って、之を告げて言わく、
汝等が玩好する所は希有にして得難し。汝若し取らずんば後に必ず憂悔(うけ)せん。此の如き種種の羊車、鹿車、牛車、今門外に在り。以って遊戯すべし。汝等此の火宅より、宜しく速かに出で来るべし。汝が所欲に随って、皆当に汝に与うべし。
爾の時に諸子、父の所説の珍玩の物を聞くに、其の願いに適えるが故に、心各勇鋭して、互いに相推排(あい・すいはい)し、競うて共に馳走し、争って火宅を出ず。
是の時に長者、諸子等の安穏に出ずることを得て、皆四衢道(しくどう)の中の露地に於いて、坐して復障礙(しょうげ)無く、其の心泰然として歓喜踊躍するを見る。時に諸子等、各父に白して言さく、
父、先に許す所の玩好の具の、羊車、鹿車、牛車、願わくば時に賜与したまえ。
舎利弗、爾の時に長者、各諸子に等一の大車を賜う。其の車、高広にして衆宝荘校し、周帀(しゅうそう)して欄楯(らんじゅん)あり。四面に鈴を懸け、又其上に於いて幰蓋(けんがい)を張り設け、亦珍奇の雑宝を以って之れを厳飾(ごんじき)し、宝繩絞絡(ほうじょう・きょうらく)して、諸の華纓(けよう)を垂れ、❶綖(おんねん)を重ね敷き、丹枕(たんちん)を安置して、駕するに白牛を以ってす。膚色充潔に、形体姝好にして大筋力有り。行歩平正にして、其の疾きこと風の如し。又、僕従多く之を侍衛(じえい)せり。 所以は何ん。是の大長者、財富無量にして、種種の庫蔵悉く皆充溢せり。而も是の念を作さく、

我が財物極り無し。応に下劣の小車を以って諸子等に与うべからず。今此の幼童は、皆是れ吾が子なり。愛するに偏党無し。我、是の如き七宝の大車有り。其の数無量なり。応当に等心にして、各各に之を与うべし。宜しく差別すべからず。所以は何ん。我が此の物を以って、周(あまね)く一国に給うとも、猶尚匱(なお・とぼ)しからじ。何に況や諸子をや。是の時に諸子、各大車に乗って、未曾有なることを得るは、本の所望に非ざるが若し。


舎利弗、汝が意に於いて云何。是の長者、等しく諸子に珍宝の大車を与うること、寧ろ虚妄(こもう)有りや否や。
舎利弗の言さく、
不なり、世尊。是の長者、但諸子をして火難を免れ、其の躯命(くみょう)を全うすることを得せしむとも、為れ虚妄に非ず。何を以っての故に。若し身命を全うすれば、便ち為れ已に玩好の具を得たるなり。況や復、方便して、彼の火宅於()り、而も之を抜済(ばっさい)せるをや。世尊、若し是の長者、乃至最小の一車を与えざるとも、猶虚妄ならじ。何を以っての故に。是の長者先に是の意を作さく、

我、方便を以って、子をして出ずることを得せしめんと。是の因縁を以って虚妄無し。何に況や長者、自ら財富無量なりと知って、諸子を饒益せんと欲して、等しく大車を与うるをや。


仏、舎利弗に告げたまわく、
善い哉善い哉、汝が所言の如し。舎利弗、如来も亦復是の如し。則ち為れ一切世間の父なり。諸の怖畏、衰悩、憂患(うげん)、無明、暗蔽(あんぺい)に於いて、永く尽くして余(あまり)無し。而も悉く無量の知見、力、無所畏を成就し、大神力及び智慧力有って、方便智慧波羅蜜を具足す。大慈大悲常に懈倦(けげん)無く、恒に善事を求めて一切を利益す。而も三界の朽ち故りたる火宅に生ずること、衆生の生老病死、憂悲苦悩、愚癡暗蔽、三毒の火を度して、教化して阿耨多羅三藐三菩提を得せしめんが為なり。諸の衆生を見るに、生老病死、憂悲苦悩に焼煮(しょうしゃ)せらる。亦、五欲財利を以っての故に、種種の苦を受く。又、貪著し追求するを以っての故に、現には衆苦を受け、後には地獄、畜生、餓鬼の苦を受く。若しは天上に生れ、及び人間に在っては、貧窮困苦、愛別離苦、怨憎会苦(おんぞうえく)、是の如き等の種種の諸苦あり。衆生其の中に没在して歓喜し遊戯して、覚えず、知らず、驚かず、怖ず。亦、厭うことを生さず、解脱を求めず。此の三界の火宅に於いて、東西に馳走して大苦に遇うと雖も、以って患(うれい)と為さず。舎利弗、仏此れを見已って、便ち是の念を作さく、
我は為れ衆生の父なり。応に其の苦難を抜き、無量無辺の仏智慧の楽を与え、其れをして遊戯せしむべし。
舎利弗、如来復是の念を作さく、
若し我、但神力及び智慧力を以って、方便を捨てて諸の衆生の為に、如来の知見、力、無所畏を讃めば、衆生是れを以って得度すること能わじ。所以は何ん。是の諸の衆生、未だ生老病死、憂悲苦悩を免れずして、而も三界の火宅に焼かる。何に由ってか能く仏の智慧を解せん。

舎利弗、彼の長者の復身手に力有りと雖も、而も之を用いず。但慇懃(おんごん)の方便を以って、諸子の火宅の難を勉済して、然して後に、各珍宝の大車を与うるが如く、如来も亦復是の如し。力、無所畏(むしょい)有りと雖も、而も之を用いず。但智慧方便を以って、三界の火宅於り、衆生を抜済せんとして、為に三乗の声聞、辟支仏(びゃくしぶつ)、仏乗を説く。而も是の言を作さく、
汝等楽(ねが)って、三界の火宅に住することを得ること莫れ。麤弊(そべい)の色声香味触を貪ること勿れ。若し貪著して愛を生ぜば、則ちこれ焼かれなん。汝等速かに三界を出でて、当に三乗の声聞、辟支仏、仏乗を得べし。我今汝が為に此の事を保任す。終に虚しからじ。汝等、但当に勤修精進すべし。
如来、是の方便を以って衆生を誘進す。復是の言を作さく、
汝等当に知るべし。此の三乗の法は、皆是れ聖の称歎したもう所なり。自在無繋(むげい)にして、依求する所無し。是の三乗に乗じて、無漏の根、力、覚、道、禅定、解脱、三昧等を以って、自ら娯楽して、便ち無量の安穏快楽を得べし。


舎利弗、若し衆生有り、内に智性有って、仏世尊に従いたてまつりて法を聞いて、信受し慇懃に精進して、速かに三界を出でんと欲して自ら涅槃を求む。是れを声聞乗と名づく。彼の諸子の羊車を求むるを為って火宅を出ずるが如し。
若し衆生有り、仏世尊に従いたてまつりて法を聞いて信受し、慇懃に精進して自然慧を求め、独り善寂を楽い、深く諸法の因縁を知る。是れを辟支仏乗と名づく。彼の諸子の、鹿車を求むるを為って火宅を出ずるが如し。

若し衆生有り、仏世尊に従いたてまつりて法を聞いて信受し、勤修精進して、一切智、仏智、自然智、無師智、如来の知見、力、無所畏を求め、無量の衆生を愍念安楽し、天人を利益し、一切を度脱す。是れを大乗と名づく。菩薩此の乗を求むるが故に、名づけて摩訶薩(まかさつ)と為す。彼の諸子の、牛車を求むるを為って火宅を出ずるが如し。舎利弗、彼の長者の、諸子等の安穏に火宅を出ずることを得て、無畏の処に到るを見て、自ら財富無量なることを惟いて、等しく大車を以って諸子に賜えるが如し。如来も亦復是の如し。為()れ一切衆生の父なり。若し無量億千の衆生の仏教の門を以って、三界の苦、怖畏険道(ふいけんどう)を出でて、涅槃の楽を得るを見ては、如来爾の時に、便ち是の念を作さく、
我無量無辺の智慧、力、無畏等の諸仏の法蔵有り。是の諸の衆生は 皆是れ我が子なり。等しく大乗を与うべし。人として独り滅度を得ること有らしめじ。皆如来の滅度を以って之を滅度せん。

是の諸の衆生の三界を脱れたる者には、悉く諸仏の禅定、解脱等の娯楽の具を与う。皆是れ一相一種にして、聖の称歎したもう所なり。能く浄妙第一の楽を生ず。
舎利弗、彼の長者の、初め三車を以って諸子を誘引し、然して後に、但大車の宝物をもって荘厳し、安穏第一なるを与うるに、然も彼の長者虚妄(こもう)の咎(とが)無きが如く、如来も亦復是の如し。虚妄有ること無し。初め三乗を説いて衆生を引導し、然して後に、但大乗を以って之を度脱す。何を以っての故に、如来は無量の智慧、力、無所畏、諸法の蔵有って能く一切衆生に大乗の法を与う。但尽くして能く受けず、舎利弗、此の因縁を以って当に知るべし。諸仏方便力の故に、一仏乗に於いて、分別して三と説きたもう。


注 変換不能漢字❶:「糸」偏に「苑」。読みは「オン」


つづく


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by johsei1129 | 2021-10-28 19:55 | 法華経28品 並開結 | Trackback | Comments(0)


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