人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2021年 10月 20日

妙法蓮華経 方便品第二 (2)

                  漢訳版

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

比丘比丘尼の 増上慢を懐くこと有る

優婆塞の我慢なる 優婆夷の不信なる 

是の如き四衆等 其の数五千有り
自ら其の過(とが)を見ず 戒に於いて欠漏有って 

其の瑕疵(けし)を護り惜しむ 是の小智は已に出でぬ 

衆中の糟糠(そうこう)なり 仏の威徳の故に去りぬ 

斯の人は福徳尟(すくな)くして 是の法を受くるに堪えず
此の衆は枝葉無し 唯諸の貞実(じょうじつ)のみ有り
舎利弗善く聴け 諸仏所得の法は 

無量の方便力をもって 衆生の為に説きたもう
衆生の心の所念 種種の所行の道 

若干の諸の欲性 先世の善悪の業 

仏悉く是れを知しめし已って 諸の縁譬喩 

言辞方便力を以って 一切をして歓喜せしめたもう
或は修多羅 伽陀(かだ)及び本事 

本生未曾有を説き 亦因縁 

譬喩並びに祇夜(ぎや) 優婆提舎経(うばだいしゃきょう)を説きたもう
鈍根にして小法を楽(ねが)い 生死に貪著し 

諸の無量の仏に於いて 深妙の道を行ぜずして 

衆苦に悩乱せらる 是れが為に涅槃を説きたもう
我是の方便を設けて 仏慧に入ることを得せしむ

未だ曾て汝等 当に仏道を成ずることを得べしと説かず 

未だ曾て説かざる所以は 説時未だ至らざる故なり 

今正しく是れ其の時なり 決定して大乗を説かん
我が此の九部の法は 衆生に随順して説く 

大乗に入るに為れ本なり 故を以って是の経を説く
仏子の心浄く 柔輭(にゅうなん)に亦利根にして 

無量の諸仏の所にして 深妙の道を行ずる有り 

此の諸の仏子の為に 是の大乗経を説く
我是の如き人 来世に仏道を成ぜんと記す 

深心に仏を念じ 浄戒を修持するを以っての故に 

此れ等仏を得べしと聞いて 大喜身に充遍す
仏彼の心行を知れり 故に為に大乗を説く 

声聞若しは菩薩 我が所説の法を聞くこと 

乃至一偈に於いてもせば 皆成仏せんこと疑い無し
十方仏土の中には 唯一乗の法のみ有り 

二無く亦三無し 仏の方便の説をば除く 

但仮の名字を以って 衆生を引導したもう 

仏の智慧を説かんが故なり 諸仏世に出でたもうには 

唯此の一事のみ実なり 余の二は則ち真に非ず 

終に小乗を以って 衆生を済度したまわず

仏は自ら大乗に住したまえり 其の所得の法の如き 

定慧の力荘厳せり 此れを以って衆生を度したもう
自ら無上道 大乗平等の法を証して 

若し小乗を以って化すること 乃至一人に於いてもせば 

我則ち慳貪に堕せん 此の事は為めて不可なり
若し人仏に信帰すれば 如来欺誑したまわず 

亦貪嫉(とんしつ)の意無し 諸法の中の悪を断じたまえり 

故に仏十方に於いて 独り畏るる所無し
我相を以って身を厳り 光明世間を照らす 

無量の衆に尊まれて 為に実相の印を説く
舎利弗当に知るべし 我本誓願を立てて 

一切の衆をして 我が如く等しくして異ること無からしめんと欲しき 

我が昔の所願の如き 今者は已に満足しぬ 

一切衆生を化して 皆仏道に入らしむ
若し我衆生に遇えば 尽く教うるに仏道を以ってす 

無智の者は錯乱し 迷惑して教えを受けず
我知んぬ此の衆生は 未だ曾て善本を修せず 

堅く五欲に著して 癡愛(ちあい)の故に悩みを生ず 

諸欲の因縁を以って 三悪道に墜堕(ついだ)し 

六趣の中に輪廻して 備さに諸の苦毒を受く
受胎の微形 世世に常に増長し 

薄徳少福の人として 衆苦に逼迫(ひっぱく)せらる
邪見の稠林(ちゅうりん) 若しは有若しは無等に入り 

此の諸見に依止して 六十二を具足す
深く虚妄の法に著して 堅く受けて捨つべからず 

我慢にして自ら矜高(こうこう)し 諂曲(てんごく)にして心不実なり
千万億劫に於いて 仏の名字を聞かず 

亦正法を聞かず 是の如き人は度し難し
是の故に舎利弗 我為に方便を設けて 

諸の尽苦の道を説き 之に示すに涅槃を以ってす
我涅槃を説くと雖も 是れ亦真の滅に非ず 

諸法は本より来 常に自ら寂滅の相なり 

仏子道を行じ已って 来世に作仏することを得ん
我方便力有りて 三乗の法を開示す 

一切の諸の世尊も 皆一乗の道を説きたもう 

今此の諸の大衆 皆応に疑惑を除くべし 

諸仏は語異なること無し 唯一にして二乗無し
過去無数劫の 無量の滅度の仏 

百千万億種にして 其の数量るべからず 

是の如き諸の世尊も 種種の縁譬喩 

無数の方便力をもって 諸法の相を演説したまいき
是の諸の世尊等も 皆一乗の法を説き 

無量の衆生を化して 仏道に入らしめたまいき
又諸の大聖主 一切世間の 

天人群生類 深心の所欲を知しめして 

更に異の方便を以って 第一義を助顕したまいき
若し衆生類有って 諸の過去の仏に値いたてまつって 

若しは法を聞いて布施し 或は持戒忍辱(じかい・にんにく) 

精進禅智等 種種に福徳を修せし 

是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき
諸仏滅度し已って 若し人善輭(ぜんなん)の心ありし 

是の如き諸の衆生 皆已に仏道を成じき
諸仏滅度し已って 舎利を供養する者 

万億種の塔を起てて 金銀及び頗黎(はり) 

硨磲(しゃこ)と碼碯(めのう) 玫瑰(まいえ)瑠璃珠とをもって 

清浄に広く厳飾(ごんじき)し 諸の塔を荘校(しょうきょう)し 

或は石廟を起て 栴檀及び沈水 

木樒並びに余の材 甎瓦(せんが)泥土等をもってする有り
若しは曠野の中に於いて 土を積んで仏廟を成し 

乃至童子の戯れに 沙(すな)を聚(あつ)めて仏塔と為せる 

是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき
若し人仏の為の故に 諸の形像を建立し 

刻彫して衆相を成せる 皆已に仏道を成じき
或は七宝を以って成し 鍮鉐(ちゅうじゃく)赤白銅 

白鑞(びゃくろう)及び鉛錫(えんじゃく) 鉄木及与び泥 

或は膠漆布(きょうしっぷ)を以って 厳飾して仏像を作れる 

是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき
綵画(さいが)して仏像の 百福荘厳の相を作すこと 

自らも作し若しは人をしてもせる 皆已に仏道を成じき
乃至童子の戯れに 若しは草木及び筆 

或は指の爪甲(そうこう)を以って 画いて仏像を作せる 

是の如き諸人等 漸漸に功徳を積み 

大悲心を具足して 皆已に仏道を成じき
但諸の菩薩を化し 無量の衆を度脱しき
若し人塔廟 宝像及び画像に於いて 

華香旛蓋(けこう・ばんがい)を以って 敬心にして供養し 

若しは人をして楽を作さしめ 鼓を撃ち角貝を吹き 

簫笛琴箜篌(しょうちゃく・きんくうごう) 琵琶饒銅鈸(びわ・にょうどうばつ) 

是の如き衆の妙音 尽く持って以って供養し 

或は歓喜の心を以って 歌唄(かばい)して仏徳を頌(じゅ)し 

乃至一小音をもってせし 皆已に仏道を成じき
若し人散乱の心に 乃至一華を以って 

画像に供養せし 漸く無数の仏を見たてまつりき
或は人有りて礼拝し 或は復但合掌し 

乃至一手を挙げ 或は復小し頭を低れて 

此れを以って像に供養せし 漸(ようや)く無量の仏を見たてまつり 

自ら無上道を成じて 広く無数の衆を度し 

無余涅槃に入ること 薪(たきぎ)尽きて火の滅ゆるが如くなりき
若し人散乱の心に 塔廟の中に入って 

一たび南無仏と称せし 皆已に仏道を成じき
諸の過去の仏 現在或は滅後に於いて 

若し是の法を聞くこと有りし 皆已に仏道を成じき
未来の諸の世尊 其の数量有ること無けん 

是の諸の如来等も 亦方便して法を説きたまわん
一切の諸の如来 無量の方便を以って 

諸の衆生を度脱して 仏の無漏智に入れたまわん
若し法を聞くこと有らん者は 一りとして成仏せずということ無けん

諸仏の本誓願は 我が所行の仏道 

普く衆生をして 亦同じく此の道を得せしめんと欲す
未来世の諸仏 百千億 

無数の諸の法門を説きたもうと雖も 其れ実には一乗の為なり 

諸仏両足尊 法は常に無性なり 

仏種は縁によって起ると知しめす 是の故に一乗を説きたまわん
是の法は法位に住して 世間の相常住なり 

道場に於いて知しめし已って 導師方便して説きたまわん
天人の供養したてまつる所の 現在十方の仏 

其の数恒沙の如く 世間に出現したもうも 

衆生を安穏ならしめんが故に 亦是の如き法を説きたもう
第一の寂滅を知しめして 方便力を以っての故に 

種種の道を示すと雖も 其れ実には仏乗の為なり
衆生の諸行 深心の所念 

過去所習の業 欲性精進力 

及び諸根の利鈍を知しめして 種種の因縁 

譬喩亦言辞を以って 応に随って方便して説きたもう

今我も亦是の如し 衆生を安穏ならしめんが故に 

種種の法門を以って 仏道を宣示す 

我智慧力を以って 衆生の性欲を知って 

方便して諸法を説いて 皆歓喜することを得せしむ
舎利弗当に知るべし 我仏眼を以って観じて 

六道の衆生を見るに 貧窮にして福慧無し 

生死の険道に入りて 相続して苦断えず 

深く五欲に著すること 犛牛(みょうご)の尾を愛するが如し 

貧愛を以って自ら蔽(おお)い 盲瞑(もうみょう)にして見る所無し
大勢の仏 及与(およ)び断苦の法を求めず 

深く諸の邪見に入りて 苦を以って苦を捨てんと欲す 

是の衆生の為の故に 而も大悲心を起しき
我始め道場に坐し 樹を観じ亦経行して 

三七日の中に於いて 是の如き事を思惟しき 

我が所得の智慧は 微妙にして最も第一なり
衆生の諸根鈍にして 楽に著し癡に盲(めし)いられたり 

斯の如きの等類 云何(いかん)がして度す可きと
爾の時に諸の梵王 及び諸の天帝釈 

護世四天王 及び大自在天 

並びに余の諸の天衆 眷属百千万 

恭敬合掌し礼して 我に転法輪を請ず
我即ち自ら思惟すらく 若し但仏乗を讃めば 

衆生苦に没在し 是の法を信ずること能わじ 

法を破して信ぜざるが故に 三悪道に堕ちなん 

我寧ろ法を説かずとも 疾く涅槃にや入りなん
尋いで過去の仏の 所行の方便力を念うに 

我が今得る所の道も 亦応に三乗と説くべし
是の思惟を作す時 十方の仏皆現じて 

梵音をもって我を慰諭(いゆ)したもう 善い哉釈迦文 

第一の導師 是の無上の法を得たまえども 

諸の一切の仏に随って 方便力を用いたもう

我等も亦皆 最妙第一の法を得れども 

諸の衆生類の為に 分別して三乗と説く
少智は小法を楽って 自ら作仏せんことを信ぜず 

是の故に方便を以って 分別して諸果を説く 

復三乗を説くと雖も 但菩薩を教えんが為なりと
舎利弗当に知るべし 我聖師子の 

深浄微妙の音を聞いて 喜んで南無仏と称す
復是の如き念を作す 我濁悪世に出でたり 

諸仏の所説の如く 我も亦随順して行ぜんと
是の事を思惟し已って 即ち波羅奈(はらない)に趣く 

諸法寂滅の相は 言を以って宣ぶべからず 

方便力を以っての故に 五比丘の為に説きぬ
是を転法輪と名づく 便ち涅槃の音 

及以び阿羅漢 法僧差別の名有り
久遠劫より来(このかた) 涅槃の法を讃示して 

生死の苦永く尽くすと 我常に是の如く説きき
舎利弗当に知るべし 我仏子等を見るに 

仏道を志求する者の 無量千万億 

咸く恭敬の心を以って 皆仏所に来至せり 

曾て諸仏に従いたてまつって 方便所説の法を聞けり
我即ち是の念を作さく 如来出でたる所以は 

仏慧を説かんが為の故なり 今正しく是れ其の時なり
舎利弗当に知るべし 鈍根小智の人 

著相憍慢(じゃくそう・きょうまん)の者は 是の法を信ずること能わず 

今我喜んで畏れ無し 諸の菩薩の中に於いて 

正直に方便を捨てて 但無上道を説く
菩薩是の法を聞いて 疑網皆已に除く 

千二百の羅漢 悉く亦当に作仏すべし
三世の諸仏の 説法の儀式の如く 

我も今亦是の如く 無分別の法を説く
諸仏世に興出したもうこと 懸遠(けんのん)にして値遇すること難し 

正使世に出でたもうとも 是の法を説きたもうこと復難し 

無量無数劫にも 是の法を聞くこと亦難し 

能く是の法を聴く者 斯の人亦復難し
譬えば優曇華の 一切皆愛楽し 

天人の希有(けう)にする所として 時時に乃(いま)し一たび出ずるが如し
法を聞いて歓喜し讃めて 乃至一言をも発せば 

則ち為れ已に 一切三世の仏を供養するなり 

是の人甚だ希有なること 優曇華に過ぎたり
汝等疑い有ること勿れ 我は為れ諸法の王 

普く諸の大衆に告ぐ 但一乗の道を以って 

諸の菩薩を教化して 声聞の弟子無し
汝等舎利弗 声聞及び菩薩 

当に知るべし是の妙法は 諸仏の秘要なり
五濁の悪世には 但諸欲に楽著せるを以って 

是の如き等の衆生 終に仏道を求めず 

当来世の悪人は 仏説の一乗を聞いて 

迷惑して信受せず 法を破して悪道に堕せん
慙愧(ざんぎ)清浄にして 仏道に志求する者有らば 

当に是の如き等の為に 広く一乗の道を讃むべし
舎利弗当に知るべし 諸仏の法是の如く 

万億の方便を以って 宜しきに随って法を説きたもう 

其の習学せざる者は 此れを暁了すること能わじ
汝等既已に 諸仏の世の師の 

随宜方便の事を知りぬ 復諸の疑惑無く 

心に大歓喜を生じて 自ら当に作仏すべしと知れ


つづく





by johsei1129 | 2021-10-20 09:32 | 法華経28品 並開結 | Trackback | Comments(0)


<< 妙法蓮華経 如来寿量品第十六  訓読      妙法蓮華経 方便品第二 (1)... >>