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日蓮大聖人『御書』解説

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2020年 06月 18日

勤行用 妙法蓮華経 方便品第二 長行

されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ月水御書

方便品の長行(かき)(まいら)せ候、先に進せ候し自我偈に相(そえ)て読みたまうべし。 曾谷入道殿御返事 

迹門の(かん)(ちょう)は方便読誦(どくじゅ)欲令(よくりょう)衆生開仏知見なり。本門の潅頂は寿量品読誦・然我実成仏已来なり。 百六箇抄

妙法蓮華経の体内に()(ぜん)の人法を入るを妙法蓮華経方便品とは云うなり、是を即身成仏とも如是本末究竟等とも説く。御義口伝

(そもそ)今の御状に云く、教信の御房、観心本尊抄の「未得」等の文字に付て迹門をよまじ(不読)と疑心の候なる事、不相伝の僻見(びゃっけん)にて候か 観心本尊得意抄

総じて日蓮が弟子と()つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ四菩薩造立抄 

若し広開に至らずんば一念三千其の義(なお)(いま)分明(ふんみょう)ならず、故に広開長行を誦するなり。当流行事抄



妙法蓮華経 方便品 第二

()時世(じせ)(そん)(ごう)舎利(しゃり)(ほつ)汝已(にょい)慇懃三請(おんごんさんしょう)()(とく)不説(ふせつ)汝今諦聴(にょこんたいちょう)善思念之(ぜんしねんし)()(とう)()(にょ)分別(ぶんべつ)解説(げせつ)(せつ)()()()会中(えちゅう)()比丘(びく)比丘尼(びくに)()()(そく)()()()()(せん)(にん)(とう)即従座起(そくじゅうざき)礼仏而退(らいぶつにたい)所以者(しょいしゃ)()()(はい)(ざい)(こん)深重(じんじゅう)及増上慢(きゅうぞうじょうまん)未得謂(みとくい)(とく)しょう謂証いしょう有如此失うにょししつ是以ぜい不住ふじゅうそん黙然もくねん不制止ふせいし爾時仏告にじぶつごう舎利しゃりほつこんしゅう無復むぶ枝葉しよう純有じゅんぬじょうじつ舎利しゃりほつ如是増上慢人にょぜぞうじょうまんにん退亦佳矣たいやっけいにょ今善聴こんぜんちょう当為とうい汝説にょせつ舎利しゃりほつごんゆいねんそん願楽欲聞がんぎょうよくもん仏告ぶつごう舎利しゃりほつにょみょうほう諸仏しょぶつ如来にょらい時乃説之じないせっしにょどんばっ時一じいち現耳げんに舎利しゃりほつにょとう当信とうしんぶつ所説しょせつごん不虚妄ふこもう舎利しゃりほつ諸仏随宜しょぶつずいぎ説法せっぽう意趣いしゅ難解なんげ所以者しょいしゃ我以がい無数むしゅ方便ほうべん種種しゅじゅ因縁いんねん言辞ごんじ演説えんぜつ諸法しょほう是法ぜほう非思量分ひしりょうふんべつ之所ししょのうゆいしょぶつ乃能知之ないのうちし所以者しょいしゃ諸仏しょぶつそん唯以ゆいい一大事因いちだいじいん縁故ねんこ出現於しゅつげんの舎利しゃりほつうん何名がみょう諸仏しょぶつそん唯以ゆいい一大事因いちだいじいん縁故ねんこ出現於しゅつげんの諸仏しょぶつそん欲令よくりょう衆生しゅじょう開仏かいぶつ知見ちけん使とく清浄しょうじょう出現於しゅつげんの欲示よくじ衆生しゅじょうぶつ知見ちけん出現於しゅつげんの欲令よくりょう衆生しゅじょう悟仏ごぶつ知見ちけん出現於しゅつげんの欲令よくりょう衆生しゅじょう入仏にゅうぶつ知見ちけんどう出現於しゅつげんの舎利しゃりほつ諸仏しょぶつ唯以ゆいい一大事因いちだいじいん縁故ねんこ出現於しゅつげんの仏告ぶつごう舎利しゃりほつ諸仏しょぶつ如来にょらいたん教化きょうけ菩薩ぼさつ諸有しょう所作しょさじょう一事いちじ唯以仏之ゆいいぶっし知見ちけん衆生しゅじょう舎利しゃりほつ如来但以にょらいたんに一仏乗いちぶつじょう衆生しゅじょう説法せっぽう無有余乗むうよじょう若二若三にゃくににゃくさん舎利しゃりほつ一切いっさい十方じっぽう諸仏しょぶつ法亦如ほうやくにょ舎利しゃりほつ過去かこ諸仏しょぶつ無量むりょう無数むしゅ方便ほうべん種種しゅじゅ因縁いんねん言辞ごんじ衆生しゅじょう演説えんぜつ諸法しょほう是法ぜほうかい一仏乗いちぶつじょう諸衆生しょしゅじょう従諸じゅうしょ仏聞法ぶつもんぽう究竟くきょうかいとく一切いっさいしゅ舎利しゃりほつ未来みらい諸仏しょぶつ当出於とうしゅっとう亦以やくい無量むりょう無数むしゅ方便ほうべん種種しゅじゅ因縁いんねん言辞ごんじ衆生しゅじょう演説えんぜつ諸法しょほう是法ぜほうかい一仏乗いちぶつじょう諸衆生しょしゅじょう従仏聞法じゅうぶつもんぽう究竟くきょうかいとく一切いっさいしゅ舎利しゃりほつ現在げんざい十方じっぽう無量百千万億むりょうひゃくせんまんのくぶつ土中どちゅう諸仏しょぶつそん多所饒たしょにょうやく安楽あんらく衆生しゅじょう諸仏しょぶつ亦以やくい無量むりょう無数むしゅ方便ほうべん種種しゅじゅ因縁いんねん言辞ごんじ衆生しゅじょう演説えんぜつ諸法しょほう是法ぜほうかい一仏乗いちぶつじょう諸衆生しょしゅじょう従仏聞法じゅうぶつもんぽう究竟くきょうかいとく一切いっさいしゅ舎利しゃりほつ諸仏しょぶつたん教化きょうけ菩薩ぼさつ欲以仏之よくいぶっし知見ちけん衆生しゅじょう欲以仏之よくいぶっし知見ちけん衆生しゅじょう欲令よくりょう衆生しゅじょう入仏にゅうぶつ知見ちけんどう舎利しゃりほつ我今亦復如がこんやくぶにょ諸衆生しょしゅじょう種種しゅじゅよく深心所著じんしんじょじゃくずい其本性ごほんしょう種種しゅじゅ因縁いんねん言辞ごんじ方便力ほうべんりき説法せっぽう舎利しゃりほつにょかい得一仏乗とくいちぶつじょう一切いっさいしゅ舎利しゃりほつ十方じっぽう世界中せかいちゅうしょう二乗にじょう何況がきょう有三うさん舎利しゃりほつ諸仏出於しょぶしゅっと五濁ごじょくあく所謂劫濁しょいこうじょく煩悩濁ぼんのうじょく衆生濁しゅじょうじょく見濁けんじょく命濁みょうじょくにょ舎利しゃりほつ劫濁こうじょくらん衆生しゅじょうじゅう慳貪けんどん嫉妬しっと成就じょうじゅしょ善根ぜんこん諸仏以しょぶつい方便力ほうべんりき於一仏乗おいちぶつじょう分別説三ぶんべつせっさん舎利しゃりほつにゃく弟子でし自謂じい阿羅漢あらかん辟支びゃくし仏者ぶっしゃ不聞ふもん不知ふち諸仏しょぶつ如来にょらいたん教化きょうけ菩薩事ぼさつじ非仏弟子ひぶつでし非阿羅漢ひあらかん非辟支仏ひびゃくしぶつ舎利しゃりほつ諸比丘しょびく比丘尼びくに自謂已じいいとく羅漢らかん最後さいごしん究竟くきょう涅槃ねはん便べん不復ふぶ阿耨多羅三藐三あのくたらさんみゃくさん菩提ぼだい当知とうちはい皆是増上慢人かいぜぞうじょうまんにん所以者しょいしゃにゃく比丘びくじつとく阿羅漢あらかんにゃく不信ふしん此法しほう無有むう是処ぜしょじょ仏滅度後ぶつめつどご現前げんぜん無仏むぶつ所以者しょいしゃ仏滅度後ぶつめつどごにょとうきょう受持じゅじ読誦どくじゅ義者ぎしゃ是人難ぜにんなんとく若遇余仏にゃくぐよぶつ此法中しほうちゅう便得決べんとくけつりょう舎利しゃりほつにょとう当一心とういっしんしん受持じゅじ仏語ふつご諸仏しょぶつ如来にょらいごん無虚妄むこもう無有余乗むうよじょう唯一仏乗ゆいいつぶつじょう



by johsei1129 | 2020-06-18 07:10 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


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