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日蓮大聖人『御書』解説

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2020年 02月 23日

【一代五時継図】四

一、不謗人法の事

 安楽行品に云く「人及び経典の過(とが)を説くことを楽(ねが)わざれ、亦諸余の法師を軽慢(きょうまん)せざれ」文。

 止観の十に云く「夫れ仏説に両説あり。一に摂(しょう)。二に折(しゃく)。安楽行の長短を称ぜざるが如き、是れ摂の義なり。大経の刀杖を執持し乃至首を斬る、是れ折の義なり。与奪途(みち)を殊にすと雖も倶に利益せしむ」文。

 弘決の十に云く「夫れ仏法両説等は大経の執持刀杖等は第三に云く、善男子・正法を護持する者・五戒を受けず、威儀を修せず、乃至下の文は仙預(せんよ)国王等の文なり」文。

 文句の八に云く「大経には偏に折伏を論じ一子地に住す。何ぞ曾て摂受無からん。此の経には偏に摂受を明せども、頭七分に破る折伏無きに非ず。各各一端を挙げて時に適うのみ」文。

 顕戒論の中に云く「論じて曰く、持品の上位は四行を用いず。安楽の下位は必ず四行を修す。摩訶薩(まかさつ)の言・定んで上下に通ず」と文。

 文句の八に云く「持品は八万の大士忍力成ずる者・此の土に弘経す。新得記の者は他土に弘経す、安楽行の一品なり」文。

 疏記の八に云く「持品は即ち是れ悪世の方軌、安楽行は即ち是れ始行の方軌なり。故に住忍辱地等と云う。安楽行品に云く他人及び経典の過を説かざれ、他人の好悪・長短を説かざれと」文。

一、念仏の一切衆生の往生せざる事[並びに難行道次に六道輪廻の事]

 善導和尚の玄義分に云く「問うて曰く、未審(いぶかし)・定散の二善出でて何れの文にか在る。今既に教備つて虚しからず、何れの機か受くることを得る。答えて曰く、解するに二義有り。一には謗法と無信八難及び非人と此等は受けざるなり。斯れ乃ち朽林(きゅうりん)頑石生潤(がんせき・しょうにん)の期有る可からず。此等の衆生は必ず受化の義無し。斯れを除いて已外は一心に信楽(しんぎょう)して求めて往生を願ずれば・上み一形を尽し・下も十念を収む。仏の願力に乗じて皆往かざると云うこと莫し」文。

 往生礼讃に云く「女人と及び根欠と二乗種とは生ぜず」と文。

一、八難処の事

 弘決の四に云く「北州と及び三悪に長寿天と並びに世智弁聡(せちべんそう)と仏前仏後と諸根不具を加う。是を八難と為す」と文。

 善導の遺言に云く「我・毎日阿弥陀経六十巻・念仏六万返懈怠無く、三衣は身の皮の如く瓶鉢(びょうはつ)は両眼の如く、諸の禁戒を持ち一戒をも犯さず。未来の弟子も亦然り。設い念仏すと雖も戒を持たざる者は往生即ち得難し。譬えば小舟に大石を載せ、大悪風に向つて去るが如し。設い本願の船有りと雖も破戒の大石重きが故に岸に就くこと万が一なり」文。

 観念法門経に云く「酒肉五辛(ごしん)誓つて発願して手に捉らざれ、口に喫(く)らわざれ。若し此の語に違せば即ち身口倶に悪瘡・著(あくそう・つ)かんと願せよ」文。

 法然上人の起請文に云く「酒肉五辛を服して念仏を申さば予が門弟に非ず」と文。

 観念法門経に云く「戒を持ちて西方弥陀を思念せよ」と文。

 無量寿経に云く「三心を具する者は必ず彼の国に生ず」と文。

 善導の釈に云く「若し一心も少なければ即ち生ずることを得ずと。明らかに知んぬ一少は是れ更に不可なることを。茲に因つて極楽に生ぜんと欲するの人は全く三心を具足す可きなり」。

 月蔵経に云く「我が末法の時の中の億億の衆生、行を起し・行を修すとも未だ一人も得る者有らず。当今は末法なり現に是れ五濁悪世なり。唯浄土の一門のみ有つて通入す可きの路なり」文。

 遺教経に云く「浄戒を持つ者は販売貿易し、田宅を安置し、人民・奴婢・畜生を畜養することを得ざれ。一切の種植及び諸の財宝、皆当に遠離すること火坑(かきょう)を避くるが如くすべし。草木を斬伐(ざんばつ)し・墾土掘地(こんどくっち)することを得ざれ」文。

 善導和尚の所釈の観念法門経の酒肉五辛を禁ずる事の依経をいわば、

 無量寿経一に依り二巻 十六観経二に依り一巻 

 四紙の阿弥陀経三に依り一巻 般舟三昧四に依り 

 十往生経五に依り一巻 浄土三昧経六に依る一巻 

 雙観経の下に云く「無智の人の中にして此の経を説かざれ」文。

一、観経と法華経との説時各別の事

 善導和尚の疏の四に云く「仏・彼の経を説きたまいし時、処別・時別・教別・対機別・利益別なり又彼の経を説きたもう時は即ち観経・弥陀経等を説き給う時に非ず」文。

 阿弥陀経に云く「況んや三悪道無し」文。無三悪と説くと雖も修羅人天之れ有り。

 四十八願の第一に云く 三悪趣無し「設(も)し我れ仏を得んに、国に地獄・餓鬼・畜生有らば正覚を取らじ」。

 第二の願に云く 三悪道に更(か)えらず極楽に於て又死す可しと云う 「設し我れ仏を得るも十方の無量不可思議の諸三悪道には正覚を取らじ」文。

 第三十五の願に云く 名を聞き女人を転ずとも往生せざる事 「設し我・仏を得んに十方の無量不可思議の諸仏の世界に其れ女人有って我が名号を聞いて歓喜信楽(しんぎょう)して菩提心を発して女身を厭悪(えんお)せん。寿終の後、復女像と為らば正覚を取らじ」文。

一、黒衣並びに平念珠地獄に堕つ可き事

 法鼓(ほうく)経に云く「黒衣の謗法なる、必ず地獄に堕す」文。

 勢至経に云く「平形(ひらがた)の念珠を以ゆる者は此れは是れ外道の弟子なり。我が弟子に非ず。仏子・我が遺弟(ゆいてい)必ず円形の念珠を用ゆ可し。次第を超越する者は妄語の罪に因つて必ず地獄に堕せん」文。

一、天台の念仏の事

  止観十章者  一 大意

二 釈名 

三 躰相  

四 摂法 

五 偏円 

六 方便

七 正観

          八 果報

         九 起教

         十 指帰

五略とは 一 発大心 

二 修大行 

三 感大果 

四 裂大網 

五 帰大処

四種三昧 

 一 常坐三昧[本尊は阿弥陀] 文殊説経・文殊問経に依る

 二 常行三昧[本尊は阿弥陀] 般舟三昧経に依る

 三 半行半坐三昧[本尊は別に有り]方等経・法華経に依る

 四 非行非坐三昧[本尊は観音]説経説善・説悪説無記

   右四種三昧の次では先段に之を注す

 止観の七に云く「若し四種三昧修習の方便は通じて上に説くが如し。唯法華懺法(せんぽう)のみ別して六時五悔(ごげ)に約して重ねて方便を作す。今五悔に就いて其の位相を明す」文。

 弘決の七に云く「四種三昧は通じて二十五法を用いて通の方便と為す。若し法華を行ずるには別して五悔を加う。余行に通ぜず」文。

 第七の正修止観とは「止の五に云く前の六重は修多羅に依つて以て妙解を開き、今は妙解に依つて以て正行を立つ」文。

 十疑の第四に云く「釈迦大師一代の説法処処の聖教に、唯衆生心を専にして偏に阿弥陀仏を念じて西方極楽世界に生ぜんことを求めよと勧めたまえり」文。

 七疑に云く「又聞く西国の伝に云く、三の菩薩有り。一を無著と名け、二を世親と名け、三を獅子覚と名く」文。

 八疑に云く「雑集論に云く、若し安楽国土に生ぜんと願わば即ち往生を得る等」文。


つづく





by johsei1129 | 2020-02-23 22:22 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)


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