2020年 02月 23日
法華の外(ほか)は小乗の事 寿量品に云く「小法を楽(ねが)う徳薄垢重(とくはく・くじゅう)の者、是の人の為に我少(わか)きより出家して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く」云云。 文句九に云く「始成(しじょう)を説きたもうことは皆小法を楽(ねが)える者と為すのみ」云云。 疏記(しょき)に云く「但し近成(ごんじょう)を楽う者、楽小(ぎょうしょう)の者と為すは華厳の頓部諸味の中の円なり」文。 天親菩薩の法華論に云く「一往三蔵を名けて小乗と為し、再往は三教を名けて小乗と為す」文。 文句の九に云く「小を楽(ねが)う者は小乗の人に非ざるなり。乃ち是・近説(ごんせつ)を楽う者を小と為すのみ」文。 疏記の九に云く「楽小法とは久近を以て相望して小と為す」文。 秀句の下に云く「仏滅度の後の六七百年の経宗論宗、九百年の中の法相の一宗は歴劫(りゃっこう)修行を説いて衆生を引摂(いんしょう)す。是の故に未顕真実なり」云云。 伝教大師の依憑集に云く「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯(ほろぼ)し、旧到(くとう)の華厳家は則ち影響(ようごう)の規模を隠し、沉空(じんくう)の三論宗は弾呵の屈耻(くっち)を忘れて称心の心酔を覆(おお)ひ、著有(じゃくう)の法相宗は僕陽(ぼくよう)の帰依を非(なみ)して青竜の判経を撥(はら)ふ」云云。 秀句の下に云く「誠に願くは一乗の君子、仏説に依憑(えひょう)して口伝を信ずること莫れ。仰いで誠文(じょうもん)を信じて偽会(ぎえ)を信ずること莫れ。天台所釈の法華宗は諸宗に勝る。寧(むし)ろ所伝を空うせんや。又云く、謹みて無量義経を案ずるに云く、次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて菩薩の歴劫修行を宣説す已上経文。大唐の伝に云く方等十二部経とは法相宗の所依の経なり、摩訶般若とは三論宗の所依の経なり、華厳海空とは華厳宗の所依の経なり、倶に歴劫修行を説いて未だ大直道(だいじきどう)を知らず」文。 妙楽大師の弘決(ぐけつ)の九に云く「法華以前は猶是れ外道の弟子なり」文。 伝教大師の守護章の上に云く「妙法の外更に一句の経無し」文。 智証大師・授決集の上に云く「経に大小無く・理に偏円無からん、一切人に依らば仏説無用ならん。若し然らずんば文に拠って伝う可し。己が父は国王に勝ると執すること莫れ、又他に劣ると謂うこと莫れ。然も家家の尊勝国国の高貴・大小各(おのおの)分斉有り。土を以て金と為せば家家に之有り、金を以て金と為せば有無処を異にす。久成の本・開権の妙・法華独り妙にして独り勝る。強いて抑えて之を喪(そう)し仏説を哽塞(こうそく)す。如来を咎(とが)む合(べ)し、伝者を非すること莫れ」又云く「国国とは五味、家家とは四教八教なり」文。 天台の玄義の十に云く「若し余教を弘むるには教相を明さざれども義に於て傷むこと無し。法華を弘むるには教相を明さざれば文義闕(か)くること有り。但聖意幽隠にして教法弥弥(いよいよ)難し。前代の諸師或は名匠に祖承し・或は思い袖衿(しゅうきん)より出ず。阡陌(せんびゃく)縦横(じゅうおう)なりと雖も孰(いず)れか是なることを知ること莫し。然るに義・雙(なら)び立たず、理両(ふた)つながら存する無し。若し深く所以有りて復修多羅と合する者は録して之を用ゆ。文無く義無きは信受す可からず」と。 一、開会(かいえ)の事 寿量品に云く「諸の経方に依つて好き薬草の色香美味(しきこう・みみ)・皆悉く具足するを求めて擣簁和合(とうし・わごう)す文。 文句の九に云く「経方とは即ち十二部経なり。薬草は即ち教の所詮の八万の法門なり。香美味とは戒定慧なり。空観は擣(つ)くが如く、仮観は簁(ふる)うが如く、中観は合するが如し」文。 大経に云く「衆流海に入りて同一鹹味(かんみ)。故に海味と云う」文。 玄の三に云く「諸水海に入れば同一鹹味なり。諸智・如実智に入れば本の名字を失す」と文。 一、是諸経之王と云う事 信解品に云く「並びに親族国王大臣を会す」。 文句の六に云く「国王とは一切漸頓の諸経なり」。 疏記の六に云く「諸の小王を廃して唯一の王を立つ。是の故に法華を王中の王と名く」文。 一、法華已前の説を権と云う事 玄義の三に云く「涅槃の聖行品に云く、追つて衆経を分別す、故に具(つぶさ)に四種の四諦を説くなり。徳王品に追つて衆経を泯(ほろぼ)す」文。 釈籤(しゃくせん)の三に云く「涅槃に追と言うは退なり。劫(かえ)つて更に前の諸味を分別す。泯(みん)とは合会(ごうえ)なり。法華より已前の諸経皆泯す。此の意は則ち法華の部に順ずるなり」文。 弘の三に云く「彼の経の四教皆常住を知る。故に本意は円に在り」文。 玄義の四に云く「法華の意を得る者は涅槃に於て次第の五行を用いざるなり」文。 一、常好坐禅と云う事 安楽行品に云く「亦師と同ずることを楽わず。常に坐禅を好む」文。 普賢経に云く「専ら大乗を誦し三昧に入らず文。又云く其の大乗経典を読誦するもの有らば諸悪永く滅して仏恵(ぶって)より生ずるなり」文。 一、天台宗阿弥陀の事 弘決の二に云く「諸経の讃する所多く弥陀に在り。故に西方を以て一准(じゅん)と為す」文。私に云く此の釈・文殊説・文殊問の両経に依るなり、常坐三昧の下。 止観の二に云く「弥陀を唱うるは即ち是れ十方の仏を唱うる功徳と等し。但専ら弥陀を以て法門の主と為す。要を挙げて之を言わば歩歩・声声・念念・唯阿弥陀仏に在り」文。私に云く、此の釈般舟三昧(はんじゅざんまい)経に依るなり。常行三昧の下・口説嘿(くせつもく)の下。 又云く「意に止観を論ぜば西方阿弥陀仏を念ず。此れを去ること十万億仏刹(ぶっせつ)」文。此の釈般舟三昧の経の文に依るなり、常行三昧の下。 又云く「陀羅尼咒(だらにじゅ)を誦し三宝十仏を請じ、摩訶祖持(まかそじ)陀羅尼を思惟せよ」文。此の釈は方等陀羅尼経に依る半行半坐の三昧の下。 又云く「三宝・七仏・釈尊・弥陀・三陀羅尼・二菩薩・聖衆を礼せよ」此の釈は諸経に依る非行非坐三昧の下。 玄義の九に云く「諸行は傍の実相を以て躰と為し、体行倶に麁(そ)なり」文。又云く「諸経の方法に依る常行等の行は傍を以て体と為す。体行倶に麁なり」文。 已上四十余年の経釈 止観の二に云く「別に一巻有り法華三昧と名。是れ天台大師の著す所なり。世に流伝して行者之を宗(たっと)ぶ。此れ則ち説嘿(せつもく)を兼ぬ。復別に論ぜざるなり」文。 法華三昧に云く「道場の中に於て好き高座を敷き、法華経一部を安置し亦未だ必ず形像・舎利並に余の経典を安(やすん)ずることを須(もち)いず。唯法華経を置け」文。 止観の二に云く「意の止観とは普賢観に云く、専ら大乗を誦して三昧に入らず。日夜六時に六根の罪を懺(さん)す。安楽行品に云く、諸法に於て行ずる所無く亦不分別を行ぜざれ」文。 法華経に云く「乃至余経の一偈をも受けざれ」文。 又云く「復舎利を安ずることを須いず」文。 一、天台念仏の事 止観の六に云く「見思(けんじ)の惑、即ち是れ仏法界なりと覚して法身を破せざるを念仏と名く」と文。 止観二に云く「意の止観とは普賢観に云く、専ら大乗を誦し・三昧に入らず・日夜六時に六根の罪を懺す。安楽行品に云く、諸法に於て行ずる所無く亦不分別を行ぜざれ」。 秀句の下に云く「能化の竜女歴劫の行無し、所化の衆生も亦歴劫無し」文。 一、法華成仏の人数の事 二の巻・舎利弗は華光如来、三の巻迦葉は光明如来、須菩提は名相如来、迦旃延は閻浮那提金光如来、目連は多摩羅跋旃檀香(たまらばつ・せんだんこう)如来、四の巻・富楼那(ふるな)は法明如来、陳如(じんにょ)等の千二百は普明如来、阿難は山海慧(さんかいえ)自在通王仏、羅睺羅は蹈七宝華(とうしっぽうけ)如来、五の巻提婆達多は天王如来、摩訶波闍波堤(まかはじゃはだい)比丘尼は一切衆生喜見仏、耶輸陀羅女(やしゅたらにょ)は具足千万光相如来、娑竭羅(しゃから)竜王の女の八歳の竜女は無照光如来[正法華経の説なり] 提婆品に云く「当時の衆会・皆竜女を見る。忽然の間に変じて男子と成り、菩薩の行を具して即ち南方無垢世界に往き、宝蓮華に坐して等正覚を成じ三十二相・八十種好あり。普(あま)ねく十方一切衆生の為に妙法を演説す」文。又云く「爾の時に娑婆世界の菩薩・声聞・天竜・八部・人と非人と皆遥かに彼の竜女の成仏して普ねく時の会の人天の為に法を説くを見て、心大いに歓喜して遥かに敬礼(きょうらい)す」文。 一、四十余年の諸の経論に女人を嫌う事 華厳経に云く「女人は地獄の使ひなり、能く仏の種子を断つ。外面は菩薩に以て内心は夜叉の如し」文。 又云く「一たび女人を見れば能く眼の功徳を失う。縦い大蛇を見ると雖も女人を見る可からず」文。 銀色女経に云く「三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも、法界の諸の女人は永く成仏の期(ご)無らん」文。 華厳経に云く「女人を見れば眼・大地に堕落す。何に況んや犯すこと一度せば三悪道に堕つ」文。 十二仏名経に云く「仮使(たとい)法界に遍する大悲の諸菩薩も彼の女人の極業の障(さわり)を降伏(ごうぶく)すること能わず」文。 大論に云く「女人を見ること一度なるすら永く輪廻の業を結ぶ。何に況んや犯すこと一度せば定んで無間獄に堕す」文。 往生礼讃に云く「女人と及び根欠と二乗種とは生せず」文。 大論に云く「女人は悪の根本なり。一たび犯せば五百生、彼の所生の処・六趣の中に輪廻す」文。 華厳経に云く「女人は大魔王、能く一切の人を食す。現在には纒縛(てんばく)と作り、後生は怨敵と為る」文。
by johsei1129
| 2020-02-23 22:18
| 重要法門(十大部除く)
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