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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 08月 22日

日蓮正宗 宗門史 その一

日蓮正宗 宗門史 その一

末法の御本仏 日蓮大聖人が直弟子日興上人に法門を付属されて以後、日興上人は日蓮大聖人の遺言【宗祖御遷化記録】により、大聖人が弟子の教化育成をしていた身延久遠寺の別当として広宣流布及び弟子の教化育成に邁進していた。しかし地頭・波木井実長の度重なる謗法により身延山の離山を決意、日蓮大聖人の有力な檀那で親子二代の強信徒であった南条時光の呼びかけで1289年(正応2年)、持仏堂(後の下之坊)に移住する。翌1290年(正応3年)、日興上人は南条時光の大石ヶ原寄進によって大石寺を建立。現在の日蓮正宗の礎を築き上げた。その故もあり当時、日興上人一門は富士方・富士門跡と称していた。

時を経て近年は、明治政府が一宗一管長制を打ち出したのを受け、1872年(明治5年)富士門流は他の日蓮大聖人を宗祖とする門流と合同し、日蓮宗を形成。しかし2年後の1874年(明治7年)には各派別に管長を置くことが許可されると、日蓮宗は、日蓮宗一致派と日蓮宗勝劣派に分かれ、富士門流は勝劣派に属した。さらに2年後の1876年(明治9年)、富士門流は興門派八ヵ本山とその末寺からなる日蓮宗興門派を組織し勝劣派から分離することになる。そして1899年(明治32年)には本門宗と改称する。

以上の経緯を経て1900年(明治33年)大石寺が内務省への分離独立請願を結実させ、「日蓮宗富士派」として本門宗から独立。1912年(明治45年)6月に日蓮正宗と改称し現在に至ります。尚、現在の貫主は第六十八世日如上人猊下となります。現在、日蓮大聖人が安房国(現千葉県)の小湊にご生誕なされてから797年となります。

この間、富士門流の法門はどのようにこれまで伝承されたかを本ブログて考察していきます。



日蓮正宗 宗門史 その二に続く








by johsei1129 | 2019-08-22 11:41 | 草稿 | Trackback | Comments(0)


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