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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 04月 01日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(88)

【普門品五箇の大事】

第二 観音妙の事

御義口伝に云く、妙法の梵語は薩達摩と云うなり。(注)
薩とは妙と翻ず、此の薩の字は観音の種子なり、仍て観音法華・眼目異名と釈せり。

今、末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は、観音の利益より天地雲泥せり(注)

所詮、観とは円観なり、世とは不思議なり、音とは仏機なり。観とは法界の異名なり、既に円観なるが故なり。

諸法実相の観世音なれば地獄・餓鬼・畜生等の界界を不思議世界と知見するなり。

音とは諸法実相なれば衆生として実相の仏に非ずと云う事なし。

寿量品の時は十界本有と説いて無作の三身(注)なり。

観音既に法華経を頂受せり、然らば此の経受持の行者は観世音の利益より勝れたり云云。



妙法の梵語は薩達摩と云うなり。
妙法蓮華経の梵語は、さ(妙)だるま(法)ふんだりか(白蓮華)そたらん(経)となり、意味は白蓮華のような不思議な法の経となる。

日蓮大聖人は御義口伝の冒頭で次の様に解き明かされておられます。
「南無妙法蓮華経の南無とは梵語・妙法蓮華経は漢語なり梵漢共時(ぐじ)に南無妙法蓮華経と云うなり。
又云く梵語には薩達磨・芬陀梨伽・蘇多覧と云う、此には妙法蓮華経と云うなり、薩は妙なり、達磨は法なり、芬陀梨伽は蓮華なり蘇多覧は経なり」と。

観音の利益より天地雲泥せり
観音とは観世音菩薩のことで、本品(観世音菩薩普門品)では一心に観世音菩薩の名号を唱える事の利益について説かれている。
しかし日蓮大聖人は【観心本尊抄】で妙法蓮華経の核心は如来寿量品の一品とその前後の半品を加えた『一品二半』以外は小乗経であると断じられておられます。
『本門に於て序正流通有り。過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品、涅槃経等の一代五十余年の諸経、十方三世諸仏の微塵の経経は、皆寿量の序分なり、一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く』と。

とりわけ妙法蓮華経の神力品二十一の上行菩薩への別付属、属累品第二十二の総付属以降の諸品は、口伝で伝えられた難信難解の法華経に、後世の僧が、易信易解の経を付け加えたと強く推察される。
その易信易解の観世音菩薩の名号を唱える功徳に実体はなく、諸法の実相である一念三千を解き明かした「妙法蓮華経」と唱える功徳とは全く比較にならない。

その意味において日蓮大聖人は本抄で『今、末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は、観音の利益より天地雲泥せり』と断じられておられます。

日蓮大聖人は観心本尊抄の最終段で次の様に解き明かされておられます。
『一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う、四大菩薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり』と。

無作の三身
無作とは「はたらかさず、つくろわず、もとのまま」という意味で、仏の境涯を意味します。
無作の対語が有作(うさ)になります。
三身とは法報応の三身を意味します。










by johsei1129 | 2019-04-01 19:42 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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