第八 畢竟住一乗~是人於仏道 決定無有疑の事(注)
御義口伝に云く、畢竟とは広宣流布なり(注)。
住一乗とは南無妙法蓮華経の一法に住す可きなり。是人とは名字即の凡夫なり。
仏道とは究竟即なり、疑とは根本疑惑の無明を指すなり。
末法当今は、此の経(注)を受持する一行計りにして、成仏す可しと定むるなり云云。
注
畢竟住一乗~是人於仏道 決定無有疑の事
神力品 最終段の下記の偈にある文
[原典]
教無量菩薩 畢竟住一乗 是故有智者 聞此功徳利
於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑
[和訳]
無量の菩薩をえ、畢竟して一乗(仏道)に住せしめん。是の故に智、有らん者、此の功徳の利を聞きて、
我(仏)滅度の後に於いて、応に斯の経を受持すべし。是の人、仏道に於いて、決定して疑い有ること無けん
畢竟とは広宣流布なり
日蓮門下の僧俗の究極の目的は、南無妙法蓮華経の世界流布である事を示しておられます。
尚、畢竟とは必定の意です。