第三十 礼拝住処 忍辱地の事
御義口伝に云く、既に上慢の四衆、罵詈瞋恚(めり・しんに)を成して虚妄(こもう)の授記と謗ずと云えども、不生瞋恚と説く間、忍辱地(注)に住して、礼拝の行を立つるなり云云。
初の一の住処(注)は、世流布の学者知れり、後の十三箇所(注)は当世の学者知らざる事なり云云。
已上、十四箇条の礼拝の住処なり云云。
注
忍辱地(にんにくち)
忍辱とは菩薩行の一つで、六波羅蜜(注)のひとつ。迫害や侮辱等を忍受する修行。
初の一の住処
後の十三箇所
六波羅蜜
六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ、梵:Ṣatpāramitā)は、大乗仏教で説く悟りに至るための次の6つの修行の事
「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」
日蓮大聖人は末法では釈尊の仏法は「教・行・証」の内、教は存在しているが、仏となるための「行(修行法)」は既に無力となり、それ故、仏となる「証」も散在しないと断じ、末法における仏となるための修行法について
【諸法実相抄】で次のように門下を諭されておられます。
『此文には日蓮が大事の法門ども・かきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給へ、意得(こころえ)させ給うべし。
一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ(受持)、あひかまへて・あひかまへて、信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし。
行学(勤行唱題、教学)の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし(折伏)』