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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 02月 21日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(63)



第二十七 礼拝住処分真即の事


 御義口伝に云く、菩薩は分真即(注)の位と定むるなり。
此の位に立つて理即の凡夫を礼拝するなり。(注)

 之に依つて理即の凡夫なる間、此の授記(注)を受けずして、無智の比丘と謗じたり(注)云云。




分真即
天台が立てた内在する仏性を悟るに至る六段階の修行過程、つまり六即の一つ。

日蓮大聖人は御義口伝【寿量品二十七箇の大事】で次のように説かれておられます。
「六即の配立の時は、此の品の如来は理即の凡夫なり、頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、その故は始めて聞く所の題目なるが故なり、聞き奉りて修行するは観行即なり、此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり。
 さて惑障を伏するを相似即と云うなり、化他(注)に出づるを分真即と云うなり、無作の三身仏なりと究竟(くきょう)したるを究竟即の仏とは云うなり」と。


無智の比丘と謗じたり
全ての衆生を礼拝する常不軽菩薩に対し、礼拝された人々は『この無知の比丘は皆に作仏すると説いているが、このような虚妄の記別は我々は受けない』と常不軽菩薩を非難します。


化他
他者を化道する意味、つまり布教活動で、菩薩行となる。
自ら仏となる修行をすることを自行と言い、他者を化する修行と合わせて「自行化他」と言う。

此の位に立つて理即の凡夫を礼拝するなり。
此の位とは分真即で、常不軽菩薩は他者を化道する菩薩行の位に立って、理即の凡夫に内在する仏性に向かって礼拝した事を示しております。

授記
妙法蓮華経・譬喩品第三で、釈尊は智慧第一の舎利弗に対し『未来世で法華経で修行して離垢(りく)という仏国土に華光如来として作仏する』とする記別(保証)を与える。
譬喩品以降、釈尊は霊鷲山での説法の座に参集した千二百の直弟子等に、次々と記別を与えていく事で、妙法蓮華経が全ての衆生を得道させる唯一無二の経典であることを示した。

妙法蓮華経譬諭品第三の舎利弗への記別を記した文文。
『舎利弗 汝於未来世 過無量無辺 不可思議劫 供養若干 千万億仏 奉持正法 
具足菩薩 所行之道 当得作仏 号曰華光如来 [(以下仏の尊称)応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊] 
国名離垢 [(以下仏国土の讃嘆)其土平正 清浄厳飾 安穏豊楽 天人熾盛 瑠璃為地 有八交道 黄金為縄 以界其側 其傍各有 七宝行樹 常有華果]
華光如来 亦以三乗 教化衆生』

日蓮大聖人は御義口伝【授記品四箇の大事】で、記別について次のように説かれておられます。

『記とは南無妙法蓮華経なり、授とは日本国の一切衆生なり、不信の者には授(さず)けざるなり、又之を受けざるなり。
 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経の記を受くるなり、又云く授記とは法界の授記なり、地獄の授記は悪因なれば、悪業の授記を罪人に授くるなり。余は之に准じて知る可きなり、生の記有れば必ず死す、死の記あれば又生ず、三世常恒の授記なり。
 所詮中根の四大声聞とは我等が生老病死の四相なり、迦葉は生の相、迦旃延は老の相、目連は病の相、須菩提は死の相なり。
 法華に来つて生老病死の四相を四大声聞と顕したり。是れ即ち八相作仏なり、諸法実相の振舞なりと記を授くるなり。
妙法の授記なるが故に法界の授記なり、蓮華の授記なるが故に法界清浄なり、経の授記なるが故に衆生の語言音声は三世常恒の授記なり、唯一言に授記すべき南無妙法蓮華経なり云云」と。







by johsei1129 | 2019-02-21 20:57 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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