第二十六 慈悲の二字礼拝住処の事
御義口伝に云く、不軽礼拝の行は、皆当作仏(注)と教うる故に慈悲なり。
既に杖木瓦石(じょうもくがしゃく)を以て打擲(ちょうちゃく)すれども、而強毒之(にごうどくし・注)するは慈悲より起れり。
仏心とは大慈悲心是なりと説かれたれば、礼拝の住処は慈悲なり云云。
注
皆当作仏
常不軽菩薩品の次の文にある。
[原文]
[和訳]
我は敢えて、汝等を軽んぜず。汝等は皆、作仏するゆえに。
而強毒之
妙法蓮華経の布教に際し、正直に正法に帰依しない者に対し、敢えて強く説き聞かせて毒心を起こさせる事で、妙法蓮華経に縁する化道方法をいいます。
毒心とは貪瞋癡(とんじんち)の三毒で、この毒心を起こさせることによって一旦は地獄に落ちるが、未来世で妙法蓮華経に再び縁し仏道修行に入ることができるようになります。
『今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸(ぜんぜん)に衰微して、権実の二機、皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓(どっく)を撃たしむるの時なり』と。