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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 02月 16日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(59)



 第二十三 無明礼拝住処の事

 御義口伝に云く、自他の隔意(きゃくい)を立て、彼は上慢の四衆、我は不軽と云う。

 不軽は善人、上慢は悪人と善悪を立つるは無明なり。

 此に立つて、礼拝の行を成す時、善悪不二・邪正一如(注)の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云云。



善悪不二・邪正一如

日蓮大聖人は【一念三千法門】で『善悪不二・邪正一如』について次のように説かれております。
 『此の経は専ら聞を以て本と為す。凡(およそ)此の経は悪人・女人・二乗・闡提を簡(えら)ばず。故に皆成仏道とも云ひ又平等大慧とも云う。
 善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す。故に即身成仏と申し、一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ。
 義を知らざる人なれども唱ふれば、唯仏と仏と悦び給ふ。我即歓喜・諸仏亦然云云。百千合せたる薬も口にのまざれば病愈(い)えず、蔵に宝を持ども開く事をしらずしてかつ(飢)へ、懐(ふところ)に薬を持(もち)ても飲まん事をしらずして死するが如し』

また【当体義抄(とうたいぎしょう)】では次のように解き明かされておられます。

 『問う一切衆生の当体即妙法の全体ならば地獄乃至九界の業因業果も皆是れ妙法の体なるや。
 答う、法性の妙理に染浄の二法有り。染法は熏じて迷(まよい)と成り、浄法は熏じて悟(さとり)と成る。悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり。
 
 此の迷悟の二法、二なりと雖も然も法性真如の一理なり。譬えば水精の玉の日輪に向えば火を取り、月輪に向えば水を取る。玉の体一なれども縁に随て其の功同じからざるが如し。
 真如の妙理も亦復是くの如し。一妙真如の理なりと雖も、悪縁に遇えば迷と成り、善縁に遇えば悟と成る、悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり。
 譬えば人、夢に種種の善悪の業を見、夢覚めて後に之を思えば、我が一心に見る所の夢なるが如し。
 一心は法性真如の一理なり。夢の善悪は迷悟の無明法性なり。是くの如く意得れば、悪迷の無明を捨て善悟の法性を本と為す可きなり』と。







by johsei1129 | 2019-02-16 22:15 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


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