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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 02月 14日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(57)




 二十一 生老病死 礼拝住処の事  (注)


 御義口伝に云く、一切衆生、生老病死を厭離せず、無常遷滅の当体に迷うに依つて、後世、菩提を覚知せざるなり。

 此を示す時、煩悩即菩提・生死即涅槃(注)と教うる当体を、礼拝と云うなり。

 左右の両の手を開く時は、煩悩・生死・上慢・不軽、各別なり。

 礼拝する時、両の手を合する(注)は煩悩即菩提・生死即涅槃なり。 

 上慢の四衆(注)の所具の仏性も、不軽所具の仏性も一種の妙法なりと礼拝するなり云云。


生老病死 
生老病死は四苦八苦の四苦で、これに次の四苦を加えて八苦と言う。

愛する者と別れる苦 (愛別離苦)
怨み憎しむ者に会う苦 (怨憎会苦)
欲しいものを手にできない苦 (求不得苦)
身心を作る五陰からの苦しみが盛んになる (五陰盛苦)

煩悩即菩提
妙法蓮華経の蓮華は他の草花と異なり、泥中に育ち、泥に染まる事無く清浄な大輪の白蓮華を咲かせる。これは衆生が妙法蓮華経に帰依することにより、煩悩を厭離(おんり)することなく、そのままで菩提に至るとする煩悩即菩提を象徴している。

生死即涅槃
法華経では人の身は法身・報身・応身の三身であると分別している。

応身は現実に目に見える色心(肉体・意識)で、誕生があり、死がある。
しかし応身は朽ちても法身・報身は存在し続け、未来世で縁に触れて再び応身は誕生する。その意味で死は決して嘆く事象ではなく、無数に生死を繰り返すというのが法華経での仏の悟りである。

身近な例でいれば、水は、雪、氷、雨と取り巻く環境変化に応じ、常にその姿を変えて存在している。そしてその本質はH2Oで、人間の存在も同様に永遠に続くようなものである。

礼拝する時、両の手を合する 
日蓮大聖人が図現された十界曼荼羅に向かいて「南無妙法蓮華」と唱える時、左右の手のひらを合わせる事で、日蓮大聖人はその衆生の姿そのものが、煩悩即菩提・生死即涅槃を表していると解き明かされておられます。

上慢の四衆
妙法蓮華経方便品第二で釈尊が「一大事因縁」を説こうとした時、慢心の五千人の四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)が説法を聞かず退坐する。
釈尊はこの上慢の四衆の対座を止めることなく、これで残されたものは全て清浄の志をもつ衆生であるとして「一大事因縁」を説き始める。
[原文]

説此語時会中有比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷 五千人等 即従座起 礼仏而退

所以者何此輩罪根深重 及増上慢 未得謂得 未証謂証 有如此失 是以不住

世尊黙然而不制止 爾時仏告舎利弗 我今此衆 無復枝葉

純有貞実舎利弗 如是増上慢人 退亦佳矣








by johsei1129 | 2019-02-14 19:52 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


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