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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 01月 27日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(46)

【常不軽品三十箇の大事】

第十 聞其所説 皆信伏随従の事(注)


御義口伝に云く、聞とは名字即(注)なり、所詮は而強毒之(注)の題目なり。

皆とは上慢の四衆(注)等なり、信とは無疑曰信(注)なり、

伏とは法華に帰伏するなり、随とは心を法華経に移すなり、従とは身を此の経に移すなり。


所詮、今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は、末法の不軽菩薩なり。



聞其所説 皆信伏随従
常不軽品の下記の偈にある文

[原文]
軽賎是人 為作不軽名者 見其得大神通力
楽説弁力 大善寂力 聞其所説 皆信伏随従
是菩薩 復化千万億衆 令住阿耨多羅三藐三菩提
[和訳]
是の人を軽じ賎みて、為に不軽の名を作せし者は、其の大神通力・楽説弁力・大善寂力を得たるを見て、其の所説を聞きて、皆、信伏随従せり。
是の菩薩は復、千万億の衆生を化道し、阿耨多羅三藐三菩提(悟りの境地)に住せしむ。

名字即
天台の説いた法華経への信が深まる六の段階、六即の二番目。

1.理即 理の段階では全ての衆生が仏性を内在しているとする。
2.名字即 始めて妙法蓮華経を信じ修行に入った段階。
3.観行即 己心に仏性を観ずる段階
4.相似即 悟りに相似する六根清浄の段階。
5.分真即 菩薩の境涯。元品の無明を残すも、仏性を分々に顕す段階。
6.究竟即 仏の境涯。

而強毒之
法華経を誹謗する衆生に、敢えて強いて説き聞かせて毒心(法華経を説いた人を誹謗)を起こさせることで仏縁を結び、その縁で未来世で法華経に信服する化導の方法を意味します。

日蓮大聖人は、蒙古の国書到来を受け、鎌倉幕府執権・北条時宗以下、計十一人に諌暁の書状を献じ た【十一通御書】に併せて、門下の信徒に宛てた【弟子檀那中への御状】では、【十一通御書】を発した真の目的は、而強毒之を意味しているとしているとし『日蓮が所に来りて書状等披見せしめ給え』と促し、次のように門下を厳しく諭されております。

「大蒙古国の簡牒到来に就いて十一通の書状を以て方方へ申せしめ候、定めて日蓮が弟子檀那・流罪・死罪一定ならん少しも之を驚くこと莫れ方方への強言申すに及ばず是併(しかし)ながら而強毒之の故なり、日蓮庶幾せしむる所に候、各各用心有る可し少しも妻子眷属を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切つて仏果を遂げしめ給え、鎌倉殿・宿屋入道・平の左衛門尉・弥源太・建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・浄光明寺・大仏殿・長楽寺已上十一箇所仍つて十一通の状を書して諌訴せしめ候い畢んぬ、定めて子細有る可し、日蓮が所に来りて書状等披見せしめ給え、恐恐謹言」と。


上慢の四衆
釈尊が法華経方便品を「十如是」まで説くと、それ以上は今は説けないと智慧第一の舎利弗に告げる。舎利弗は三度教えを請くと、釈尊はそこまで言うのであればと説こうをすると、増上慢の五千の衆徒(出家の男女、在家の男女)がその場から退座するが、釈尊は制止せず、これで不信の者はいなくなり、清浄の信徒だけになったとして説法を再開した。

無疑曰信
天台の法華文句にある文で「疑いなきを信と曰うなり」の意。しかしこれは疑わないと言うことではない。疑問を晴らし法門を明瞭に領解し、疑いない状態を示す。つまり一般的によく言われている『鰯の頭も信心から」とは真逆の考えである。









by johsei1129 | 2019-01-27 19:57 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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