【常不軽品三十箇の大事】
第八 心不浄者の事 (注)
御義口伝に云く、謗法の者は色心二法、共に不浄なり。
先ず心法不浄の文は、今此の心、不浄者なり。
又、身、不浄の文は譬喩品に「身常臭処 垢穢不浄(注)」と云えり。
身、浄は、法師功徳品に云く「若持法華経 其身甚清浄(注)」の文なり。
心浄とは、提婆品に云く「浄心信敬(注)」」と云云。
浄とは法華経の信心なり、不浄とは謗法なり云云。
注
心不浄者
上記は次の常不軽菩薩品の次の文に偈にある文文
[原文]
四衆之中 有生瞋恚 心不浄者 悪口罵詈言
是無智比丘 従何所来 自言我不軽汝 而与我等授記
当得作仏 我等不用 如是虚妄授記
[和訳]
四衆の中に瞋恚を生じ、心、不浄なる者有り。悪口罵詈して言わく
『是の無智な比丘は、いずれの所より来たれりや、自から「我、汝を軽ろんぜず」と言いて、しかして我等に「当ら作仏することを得べし」と授記を与えり。
我等は是の如くな、虚妄の授記を用いず』
身常臭処 垢穢不浄(くえ・ふじょう・譬喩品)
身は常に臭きに処 して、垢穢、不浄なり
若持法華経 其身甚清浄(法師功徳品)
若し法華経を持たば、其の身、甚だ清浄なり
浄心信敬(提婆品)
[原文]
浄心信敬 不生疑惑者 不墮地獄 餓鬼畜生
生十方仏前 所生之処 常聞此経
「和訳]
浄心に信敬し、疑惑を生じない者は、地獄・餓鬼・畜生界に墮せず、
十方の仏前に生じ、所生の処にて、常に此の(法華)経を聞けり