日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 01月 12日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(33)


第一 法師功徳の事 (注)

御義口伝に云く、法師とは五種法師(注)なり、功徳とは六根清浄(注)の果報なり。

所詮、今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり。

されば妙法蓮華経の法の師と成つて、大なる徳、有るなり。

功は幸と云う事なり、又は悪を滅するを功と云い、善を生ずるを徳と云うなり。功徳とは即身成仏なり。

法華経の説文の如く修行するを、六根清浄と得意可きなり云云。



法師功徳の事
妙法蓮華経 法師功徳品第十九の題号名。

本品の冒頭で釈尊は、法華経を授受(信じ)し、読誦する善男女は、人間の根本たる六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が清浄になると解き明かしている。

五種法師
妙法蓮華経の修行者が実践する五つの修行のこと。
一、受持  妙法蓮華経を受け、持つこと、つまり妙法蓮華経を信じること。別な言い方としては「帰命」すること。つまり自分の命の根本の教えとしそれに帰する事。

二、読経 妙法蓮華経を頭で読む、つまり観念すること。

三、誦経(ずきょう )妙法蓮華経を声を出して読経すること。
  日蓮大聖人は御義口伝で「声仏事を為す之を名けて経と為す」と断じておられます。

四、解説(げせつ) 妙法蓮華経を他の人に説いて説明する事。

五、書写  妙法蓮華経を書写する事。

日蓮大聖人は【法蓮抄】で五種の修行の内、「書写は最下の功徳なり、何に況や読誦なんど申すは無量無辺の功徳なり」断じておられます。
『五種法師の中には書写は最下の功徳なり、何に況や読誦なんど申すは無量無辺の功徳なり。今の施主・十三年の間・毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏・乃能究尽なるべし』

六根清浄
眼・耳・鼻・舌・身・意が清浄になること。
この六根が清浄になることにより、衆生は妙法蓮華経に叶った正しい認識を知覚することができ、それにより正しい判断及び行動を為すことができ、現世で善行をなし、ひいては未来世で善処に生まれる事ができるようになるとする。
つまり法華経における功徳とは現世利益ではなく、貪瞋痴に塗れた命を浄化することにより、本来あるべき人間の姿つまり仏になる事である。

六根清浄を説いた法師功徳品の冒頭の文
[原典]
爾時仏告 常精進菩薩摩訶薩 若善男子 善女人
受持是法華経 若読 若誦 若解説。若書写
是人当得 八百眼功徳 千二百耳功徳 八百鼻功徳
千二百舌功徳 八百身功徳 千二百意功徳 以是功徳
荘厳六根 皆令清浄
[和訳]
爾の時仏(釈尊)は、常精進・菩薩に告げたり。若し善男子・善女人が、
是の法華経を受持し、若くは読み、若くは誦し、若は解説し、若は書写せば、是の人は当に八百の眼の功徳、千二百の耳功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得て、是の功徳を以て、六根を荘厳し、皆、清浄にせしめん。











by johsei1129 | 2019-01-12 13:51 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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