日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 01月 10日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(30)


第三 仏子住此地 則是仏受用の事

御義口伝に云く、此の文を自受用の明文と云えり、此地とは無作の三身(注)の依地なり。

 仏子とは法華の行者なり、仏子は菩薩なり、法華の行者は菩薩なり。
 住とは信解(注)の義なり。

今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、妙法の地に住するなり。仏の受用の身なり、深く之を案ず可し云云。


(注)

無作の三身(むさのさんじん)

無作とは「はたらかさず、つくろわず、もとのまま」という意味です。
無作の対語が有作(うさ)になります。

三身とは法報応の三身を意味します。

釈尊は化道の初期には、悟りを得る為の修行法として八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)という実践方法を説いた。
しかし晩年の八年間に説いた法華経で、衆生には仏の命=仏性が内在していることを明かし、仏は衆生に対し、その仏性を開き、示し、悟らせ、仏道に入らせる「開・示・悟・入」のために此の娑婆世界に出現したという「一大事因縁」を始めて解き明かした。

妙法蓮華経の象徴である蓮華は他の草花と異なり泥中で生育しながらその泥に染まらず泥をと栄養分として大輪の白蓮華を咲かせる。
泥とは煩悩を意味し、法華経以前は煩悩からの解脱、つまり有作の修行法を説いていたが、法華経では己心の仏性を開くことで煩悩を菩提(悟り)へと昇華させる煩悩即菩提が可能であることを解き明かした。

日蓮大聖人はその内在している仏性を開くために、人間に備わる地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の十界を顕した十界曼荼羅を自らの命として図現し、その御本尊に全ての衆生に内在する仏の慈悲心の音声である「南無妙法蓮華経」と、唱えることで本尊と感応して仏界を開く、末法万年尽未来際に渡る究極の修行法を、妙法蓮華経有縁の地日本において、末法の鎌倉時代に確立した。

信解(しんげ)
妙法蓮華経を信じること理解(解する)こと。

日蓮大聖人は[御義口伝 上]【信解品六箇の大事】で「信解」について次のように解き明かしておられます。

「今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり。
 信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり。又云く信は不変真如の理なり。其の故は信は知一切法皆是仏法と体達して実相の一理と信ずるなり、解は随縁真如なり自受用智を云うなり」と。






by johsei1129 | 2019-01-10 15:31 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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