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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 01月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(24)

【寿量品二十七箇の大事】

第二十四 此の寿量品の所化の国土と修行との事

御義口伝に云く、当品(注)流布の国土とは日本国なり、惣じては南閻浮提(注)なり。

 所化(注)とは日本国の一切衆生なり、修行とは無疑曰信(注)の信心の事なり。

授与の人とは本化地涌の菩薩(注)なり云云。


当品
如来寿量品第十六

南閻浮提 (若しくは閻浮提(えんぶだい、サンスクリット:Jumbūdvīpaの音訳)

古代インド(バラモン教・仏教等)の世界観で人間が住む大陸を意味する。
仏教では須弥山の周囲にある4つの大陸(四大洲)の1つで南に位置するので南閻浮提若しくは閻浮提と称する。つまり全世界(地球)を示している。

日蓮大聖人は本抄で 『当品流布の国土とは日本国なり』と断じておられるが、実際に現時点で、世界で如来寿量品第十六が日常的に読誦されているのは日本国つまり日本人が最大である。

 鎌倉時代に武士に広まっていた禅宗(曹洞宗)は「教外別伝」と言って、釈尊から口伝で最長老の弟子摩訶迦葉に付属されたとして経典は読まず、「不立文字」として座禅で悟るとしたが、現在では般若心経の他、法華経如来寿量品も読誦している。


所化
仏によって化道される人々、また修行中の僧を意味する。指導する段階の僧侶は能化(能く化道する)と称する。


無疑曰信

「疑い無きを信と曰う」 これは俗に「鰯の頭も信心から」の様に、無批判に信じることを意味していない。疑問点が明瞭になり疑いがなくなった状態での信を意味する。
法華経で釈尊は、仏から衆生への一方的な説法ではなく、智慧第一の舎利弗、弥勒菩薩等と問答方式で自身の悟りを解き明かされております。

日蓮大聖人も十大部などの重要法門は全て問答方式で解き明かされておられます。さらに【開目抄】では次のように当時の弟子信徒に問いかけておられます。
『但し世間の疑といゐ、自心の疑と申し、いかでか天(日蓮を)扶け給わざるらん。
 諸天等の守護神は仏前の御誓言あり、法華経の行者には・さるになりとも、法華経の行者とがう(号)して早早に仏前の御誓言を・と(遂)げんとこそ、をぼすべきに、其の義なきは我が身・法華経の行者にあらざるか。
 此の疑は此の書(開目抄)の肝心、一期の大事なれば処処にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし』と。


地涌の菩薩
従地涌出品第十五に説かれている、釈尊滅後に法華経を弘通するために地から涌出した無数の菩薩を示す。

従地涌出品では次のように記されている。
『我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩あり。一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属あり。是の諸人等能く我が滅後に於て、護持し読誦し広く此の経を説かん。仏是れを説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩あって同時に涌出せり』

日蓮大聖人は地涌の菩薩の上首「上行菩薩」の再誕として末法の日本に出現し、竜ノ口の法難で末法の本仏としの本地を顕した。

さらに【諸法実相抄】で地涌の菩薩の意味について次のように解き明かしています。
『いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや。経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり。
 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。
 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』と。






by johsei1129 | 2019-01-04 21:10 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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