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日蓮大聖人『御書』解説

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2018年 12月 13日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(18)

【寿量品二十七箇の大事】


第十八 行道不行道の事 (注)

御義口伝に云く、十界の衆生の事を説くなり。

 行道は四聖(注)、不行道は六道なり。(注)

 又云く行道は修羅・人・天、不行道は三悪道(地獄・餓鬼・畜生)なり。


所詮、末法に入つては、法華の行者は行道なり、謗法の者は不行道なり。

 道とは法華経なり、天台云く「仏道とは別して今の経(注)を指す」と。


今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、行道なり、唱えざるは不行道なり
云云。


行道不行道

妙法蓮華経 寿量品第十六の「自我偈」終段のある下記の偈。

[原文]

我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法 

毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身

[和訳]

我、常に衆生が(仏)道を行じ、行ぜざるかを知りて(衆生を)済度すべき所に随って、為に種種の法を説けり。 

(我は)毎自(つね)に是の念を為せり、『以何にして衆生を、無上道(仏道)に入らしめて、速に仏身を成就せざらん』と。


四聖・六道

釈尊は妙法蓮華経で、衆生の境涯は十の行(界)ーに分別されると解き明かした。

常には六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を巡り巡る。これを六道輪廻と称する。この六道輪廻から脱却したのが四聖の境涯である。四聖は声聞・縁覚・菩薩・仏となる。


 声聞は仏の声を聞く、つまり仏の説法を理解し、又それを衆生に聞かせる境涯を示し、縁覚は縁に触れて自らの力て一定の悟りを得る境涯を示す。例えばニュートンが、林檎が木から落ちるのを見て「万有引力」の法則を発見したような境涯。

菩薩は他者を救済しようとするを示し、菩薩行を経て仏の道に入るとする。


日蓮大聖人は衆生が十界の境涯を持つことを「観心本尊抄」で次のように解き明かしている。

「今数ば他面を見るに但人界に限つて余界を見ず、自面も亦復是くの如し。如何が信心を立てんや。

 答う、数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ、或時は癡現じ或時は諂曲なり。

 瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり、他面の色法に於ては六道共に之れ有り。四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。 

 問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり、四聖は全く見えざるは如何。

 答えて曰く前には人界の六道之を疑う、然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり四聖も又爾る可きか。

 試みに道理を添加して万か一之を宣べん。所以に世間の無常は眼前に有り、豈人界に二乗界(声聞・縁覚)無からんや。無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり。

 但仏界計り現じ難し、九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ。

 
法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」、涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云。

 末代の凡夫出生して法華経を信ずるは、人界に仏界を具足する故なり」と。


今の経

已今当の三説の中の今教を示す。

妙法蓮華経法師品第十で釈尊は次のように解き明かした。

「我が説く所の経典は無量千万億にして、已[すで]に説き、今[いま]説き、当[まさ]に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」


已説は法華経以前に説かれて爾前経(にぜんきょう:華厳経・般若経等)を指し、今経は法華経(妙法蓮華経)、当説は妙法法華経以降に説いた、普賢経、涅槃経を指す。



【御義口伝 下】要点解説(19)に続く




by johsei1129 | 2018-12-13 00:11 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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