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日蓮大聖人『御書』解説

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2018年 09月 14日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(3)

【寿量品二十七箇の大事】



 第三 我実成仏已来 無量無辺等の事(注)

 御義口伝に云く、我実とは、釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり。

 然りと雖も当品の意は、我とは法界の衆生なり、十界己己を指して我と云うなり。

 
 実とは無作三身の仏なりと定めたり。此れを実と云うなり。

 成とは能成・所成なり。成は開く義なり。法界無作の三身の仏なりと開きたり。仏とは此れを覚知するを云うなり。

 

 已とは過去なり、来とは未来なり、已来の言の中に現在は有るなり。

 我実と成けたる仏にして、已も来も無量なり無辺なり。

 百界千如・一念三千と説かれたり。

 百千の二字は百は百界、千は千如なり、此れ即ち事の一念三千なり。


 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、寿量品の本主(仏)なり。

 惣じては迹化の菩薩、此の品に手をつけ、いろ(錡)うべきに非ざる者なり。
 彼(釈尊)は迹表本裏(しゃくひょうほんり)、此れ(日蓮)は本面迹裏(ほんめんしゃくり)。然りと雖も而も、当品は末法の要法に非ざるか。

 

 其の故は、此の品は(釈迦)在世の脱益(注)なり。題目の五字計り当今(末法)の下種(注)なり。

 然れば在世は脱益、滅後は下種なり。仍て下種を以て末法の詮と為す云云。



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[釈迦が法華経を説いた霊鷲山の山頂]

(注)
我実成仏已来 無量無辺

如来寿量品の下記の偈にある文で、この如来寿量品で、釈尊は遥か久遠に菩薩の道を行じて仏となり、無数の仏国土で衆生を導いてきたと解き明かした。この説法はそれまでの四十余年の説法では全く説き明かすこと無く、霊鷲山での法華経の説法の座で始めて説かれた。これが法華経が釈尊が説いた一切経の頂点に立つ所以である。

[原文]

皆謂今釈迦牟尼仏 出釈氏宮 去伽耶城不遠 坐於道場。

得阿耨多羅三藐三菩提 然善男子 我実成已来

無量無辺 百千万億 那由佗劫

[和訳]

皆は、今、釈迦牟尼仏は釈迦族の王宮を出て伽耶城(がやじょう・注)を去ること遠からず、道場(菩提樹の下)に座して、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら・さんみゃくさんぼだい・悟りの境地)を得たと謂(おも)えり。

然るに善男子よ、我、実に成仏して已来、無量無辺 百千万億 那由佗劫 (遥か久遠の時)を経ているのだ。


伽耶城

釈迦が主に布教活動していた当時の強国・マガダ国の都城の一つ。


脱益・下種

仏となる過程を、田に種を蒔き育て実を刈り取ることに喩えた。

脱益とは解脱益のことで、釈迦在世の衆生は、過去世に成仏得道の種を心田に蒔かれており、釈尊の教えで修行することで成仏得道できたとする。

 
日蓮大聖人は末法の衆生は過去世に成仏得道の種が蒔かれておらず、折伏することで心田に種を蒔くことでき、妙法蓮華経と唱えることでその種が育ち、やがて得道できると解き明かした。



【御義口伝 下】要点解説(4)に続く




要点解説 目次



by johsei1129 | 2018-09-14 21:20 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


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