人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2018年 09月 13日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(2)

【寿量品二十七箇の大事】

 第二 如来秘密 神通之力の事


 御義口伝に云く、無作三身(むささんじん・注)の依文なり、此の文に於て重重の相伝之有り。


 神通之力とは、我等衆生の作作発発(ささほつほつ)と振舞う処を神通と云うなり。

獄卒の罪人を苛責する音も、皆神通之力なり。

 生住異滅の森羅三千の当体、悉く神通之力の体なり。


 今、日蓮等の類いの意は、即身成仏と開覚するを、如来秘密神通之力とは云うなり。

 成仏するより外の神通と秘密とは、之れ無きなり。

 此の無作の三身をば一字を以て得たり、所謂信の一字なり。

 仍つて経に云く「我等当信受仏語(注)」と。信受の二字に意を留む可きなり。



(注)

無作三身

この文は仏の生命(仏性)を解き明かしている。

無作:つくろわず、はたらかさず、ありのままということ。

三身:法華経では仏も衆生も生命は法身(ほっしん)・報身(ほうしん)・応身(おうじん)の法・報・応の三身に分別できると解き明かしている。

法身は無始無終の生命の本質。

報身は生命の境涯。例せば、仏、人間、畜生といった生命の境涯を示す。

応身は現在この世に生を受けて誕生した命で現実の色心を意味する。


例えば仏としての報身は過去世に菩薩の修行をして仏の境涯を得ると、その後永遠に仏の境涯を保ち続ける。つまり報身は仏となった始まりが有り、終わりはないことになる。

応身は、例えば釈尊はインド釈迦族の王子として誕生し、王宮を出て出家し菩提樹の下て成道し仏となる姿を示し、衆生に法を説いて滅度する。その意味で応身は始めも有り、終りもある。
末法の御本仏日蓮大聖人の応身は鎌倉時代に安房の国・小湊で漁師の家に生まれ、地元の清澄寺で16歳に出家得度、その後比叡山延暦寺等々で修行し32歳で立宗宣言を為し、61歳で強信徒池上宗仲の屋敷にて滅度為された。
 

このことについて如来寿量品では次のように解き明かしてい。

[原文]

我成仏已来。復過於此。百千万億那由佗。阿僧祇劫。
自従是来。我常在此娑婆世界。説法教化。亦於余処。
百千万億。那由佗。阿僧祇国。導利衆生

[和訳]

我(釈尊)、仏に成って已来(このかた)、復た此に過ぎること、百千万億 那由佗 阿僧祇(無数)なり。

是より以来、我(釈尊)は常に此の娑婆世界(地球)に在りて、(衆生を)法説き、(衆生を)教化してきた。亦た、余処の、百千万億 那由佗 阿僧祇(無数の)仏国土に置いても衆生を導き、利してきた。


我等当信受仏語

如来寿量品の下記の偈で説かれている。

[原文]

是時菩薩大衆。弥勒為首。合掌白仏言。

世尊。唯願説之。我等当信受仏語。

[和訳]

是の時菩薩、大衆は、弥勒(菩薩)を上首と為し、合掌して仏にこう言えり。、

世尊(釈尊)よ、唯、之(の経)を説くことを願わん。我等は当に、仏の語を信じ受けとらん。



【御義口伝 下】要点解説(3)に続く



要点解説 目次


by johsei1129 | 2018-09-13 22:51 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


<< 末法の本仏の立場で法華経一部二...      Gosho 破良観等御書 Re... >>