【勧持品十三箇の大事】
第二 不惜身命(ふしゃくしんみょう)の事 (注)
御義口伝に云く、身とは色法、命とは心法なり。
事理(注)の不惜身命之れ有り。法華の行者、田畠等を奪わるは理の不惜身命なり。命根を断たる(注)を、事の不惜身命と云うなり。
今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、事理共に値うなり。
(注)
不惜身命
勧持品冒頭の次の文文にある偈
[原文]
後悪世衆生 善根転少 多増上慢 貪利供養 増不善根 遠離解脱 雖難可教化
我等当起大忍力 読誦此経 持説書写 種種供養 不惜身命
[和訳]
(釈迦滅度)後の、悪世の衆生は、善根、転(うたた)少なく、増上慢多くして、利供養を貪り、不善根を増し、解脱を遠離し、教化すべき事、難しと雖ど、我等は当に大忍力を起し、此の経を読誦し、持ち、説き、書写し種種に供養して、身命を惜しまざらん。
事理
日蓮大聖人は森羅万象の諸法を「事・理」の概念で解き明かしております。
例えば、すべての衆生は「仏界つまり仏の命」と有するとするのは「理」として有している事を意味します。そして日蓮大聖人が図現された「十界曼荼羅の本尊」に南無妙法蓮華経と唱えることで、冥伏していた仏界が己心に仏界が実際に湧現することを「事=事実として」仏界を有すると解き明かしておられます。
命根を断たる
日蓮大聖人御在世当時、実際に『命根を断たる』程の大難に遭われたのは、日蓮大聖人自らは額に刀傷を負い、左腕を骨折した『小松原の法難』。
鎌倉幕府の処刑場で断首の難に遭われた『竜の口の法難』。そして弟子信徒では『小松原の法難』での強信徒工藤吉隆、及び最古参の弟子鏡忍房の討ち死。『熱原の法難』で断首された農民信徒代表の神四朗、弥五郎、弥六郎の三人が存在する。
※参照:小説日蓮「十七小松原の法難 日蓮、額に傷を負う 」
「三十、竜の口の法難」
「八十三、永遠なれ、熱原の三烈士 」
【御義口伝 上】要点解説(97)に続く
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