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日蓮大聖人『御書』解説

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2018年 06月 12日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(78)

【宝塔品二十箇の大事】


第十二 譬如大風 吹小樹枝の事(注)


   御義口伝に云く、此の偈頌の如清凉池と、譬如大風と、燃大炬火とは三身(注)なり。

 其の中に譬如大風とは題目の五字なり、吹小樹枝とは折伏門なり。

今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、大風の吹くが如くなり。



(注) 
譬如大風 吹小樹枝の事
上記の文に該当する宝塔品の偈
[原文]

譬如大風 吹小樹枝 以是方便 令法久住 

告諸大衆 我滅度後 誰能護持 読誦斯経

今於仏前 自説誓言

[和訳]

譬えば大風の、小樹の枝を吹くが如し。是の方便を以て、法を久しく住せしめん。

諸の大衆に告ぐ『我(釈尊)滅度の後に、誰か能く斯の経(妙法蓮華経)を護持し、読誦するや。今、仏の前に於いて、自ら誓言を説け』


三身
  
妙法蓮華経では人間の一身は、法身・報身・応身の三身で構成されていると分別する。

法身無始無終の謂わば魂魄。

報身は現世で善行を積むことにより、その報いとして獲得した未来世の境涯。修行の結果、諸法の実相を覚知し仏となると、その境涯から後退することはないの、報身は有始無終といえる。

釈迦族の王子として時を感じ、インドに応誕した釈尊の一身(色心)は応身で、誕生も有り滅度ある、謂わば有始有終の存在。


日蓮大聖人は【四条金吾釈迦仏供養事】で、この「三身」を月に譬えて次の様に解き明かしておられます。

『三身とは一には法身如来、二には報身如来、三には応身如来なり。此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす。譬へば月の体は法身、月の光は報身、月の影は応身にたと(譬)う。
 一の月に三のことわり(理)あり、一仏に三身の徳まします。この五眼三身の法門は法華経より外には全く候はず、故に天台大師の云く「仏三世に於て等しく三身有り、諸教の中に於て之を秘して伝えず」云云。
 此の釈の中に於諸教中とかかれて候は、華厳・方等・般若のみならず法華経より外の一切経なり。秘之不伝とかかれて候は、法華経の寿量品より外の一切経には、教主釈尊秘めて説き給はずとなり』と。

これは、太古の昔より存在する月そのものは「法身」。夜、天空に輝き娑婆世界を照らす月は報身。そして月の影として池に映し出される「池月」は、雲、風に揺れる草木等に遮られ、見えたり見えなかったり変幻するので、応身のようなものだと譬えられておられます。



【御義口伝 上】要点解説(79)に続く




by johsei1129 | 2018-06-12 22:16 | 御義口伝 | Trackback | Comments(2)
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Commented at 2018-06-13 08:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by johsei1129 at 2018-06-13 10:24
失礼しました。
ご指摘の通り修正しましたのでご確認願います。
ありがとうございます。


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