【化城喩品七箇の大事】
第六 即滅化城の事
御義口伝に云く、我等が滅する当体は化城なり。此の滅を滅と見れば化城なり。不滅の滅と知見するを宝処とは云うなり。
是を寿量品にしては而実不滅度(注)とは説くなり。滅と云う見を滅するを滅と云うなり。三権即一実の法門之を思う可し。
或は即滅化城とは謗法の寺塔を滅する事なり。
今、日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、化城即宝処(注)なり。我等が居住の山谷曠野(せんごくこうや)、皆皆常寂光の宝処なり云云。
(注)
而実不滅度
如来寿量品の次の偈にある文
[原典]
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
[和訳]
我、仏を得てより来(このかた)、経たる所の諸の劫数は、無量百千万 億載阿僧祇なり。
常に法を説き教化し、無数億の衆生を、仏道に入ら令め、爾来、無量劫になる。
衆生を度せんが為の故に、方便にて涅槃を現ずるも、而(しか)して実に滅度せず、常に此(娑婆世界)に住して法を説けり。
化城即宝処
法華経で説かれる7つの比喩の一つで、化城喩品第七で次のように説かれている。
「宝のある所(宝処)に向かって遥かな長旅をする人々がいた。しかし険しい道程で皆が疲れ、歩みが止まった。そこで導師が、神通力で仮想の城(化城)を出現させ、疲れた人々を休息させて癒した。
人々が宝処に到達したと満足しているのを見て、導師はこれは貴方がたを休息させるための仮の城で、本当の宝処はすぐ近くにあると説き、再び宝処に向かって真の宝処に導いた」
この譬喩の中の導師は仏を意味し、旅する人々は衆生を意味する。
さらに化城は二乗(声聞・縁覚)の悟り、宝処は一乗(仏)の悟りを意味し、仏の化導によって二乗がその悟りから脱し、仏道修行を続りけて仏として成道することを示している。
【御義口伝 上】要点解説(46)に続く
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